第三章
第21話
千春が記憶を取り戻してからというもの亮はそのままの生活を続けた。
朝起きて食事を作り職場に顔をだしバイトに明け暮れる。
何事もなく続くと思われた日常。
だが予想外の人物が現れた。
「こんにちは清水くん。久しぶりだね」
そういってやってきたのは千春の母を連れた飯田だった。
おそらく千春の様子がおかしくて心配して顔を出したのだろう。
それにしてもタイミングが悪い。
今は逆に記憶がない頃よりも不安定だ。
「千春がお世話になっております。千春の母です」
どこか他人行儀な口調。顔は知っているとはいえ面と向かって会話をしたことはほとんどない。
「こちらこそ長らくお待たせして申し訳ありません」
本来ならこちらの方が連絡をとるべきだったのだがそれをしなかったのには理由がある。
それは愛川の家が厳格な家庭であることと千春が彼らに苦手意識を持っていることからだ。
「お邪魔します」
そういってずかずかと入り込んで千春の方を見やる。
「お母さん……」
「こんなところで油を売って何しているの? 」
相変わらず本人の意思を尊重しないやり方に複雑な感情を覚えた。
彼女はそれが嫌で逃げてきたというのに。
「あなたは今学校を休んでいるのに男の部屋に転がり込んで……。これ以上家に恥をかかせるのはやめて」
千春の腕をつかみ無理矢理外に引き連れようとする。
「待ってくださいっ」
「あなたには言われたくないわ」
ぎろりとこちらを睨み付ける。その視線にはただの嫌悪だけではないものが混じっていた。
「千春をこんなにしたのはあなたの家の人たちにも責任があるんじゃないかしら」
兄の彰のことを指しているのだろう。
それだけはすぐにわかった。
憎しみを込めてそう告げられると言葉につまる。
「飯田さんもいるのでその話はまた後でしましょう」
名前を挙げられた彼女は困ったような顔をしていた。
当然だろう。自分はただ友人を探しに来ただけなのに修羅場に巻き込まれるとは思わなかったはずだ。
「と、とにかく早く家に帰りなさい。お父さんも心配しているから」
「……そんなわけないよ」
うつむきがちに千春はそう呟く。
厳しい家庭に育った彼女には色々と思うところがあるのだろう。
母親も千春を心配しているというよりは周囲に噂されるのがたまらないというところだ。
「この期に及んで何を言うのかしら。私たちはもう待ったわ。これ以上は待てない」
だったらどうして今やってきたのだろう。
本心で迎えたいと思っているわけではないのは分かりきっている。
「どうしていつもあなたは私の手を煩わせるのかしら。高校を卒業したら落ち着くと思ったのにそれとは真逆に……。本当に私のことくらい考えてよ」
いつもそうやって愚痴を言っていたのだろう。
「あなたなんて……」
「待ってください」
亮は思わず千春の母を制止する。
これ以上言わせてはいけない。直感的にそう感じたのだ。
それは千春のためでもあり彼女の母のためでもあった。
これ以上二人の仲をこじれさせてはいけない。
「僕が彼女と暮らしているのは心配なのはわかります。それに僕の身内がご迷惑をおかけしたことは重々承知しております」
一息ついてから続ける。
「ですが彼女もこの暮らしに慣れてきて落ち着いてきたところなんです。もう少し待っていただけませんか」
そう頭を下げる。すると千春の母はぴしゃりと言い放つ。
「私がうんざりしているのはあなたの態度なのよ。本当にうちの娘の心配をしているならこんなところにいさせないで私のもとに戻すように考えるはずでしょう」
兄弟揃って最低だとでも言いたげだった。
こんなところと我が家を評されるのは堪えた。
これでも二年間大切にしていた部屋なのだから。
だがここで負けてはいられない。
「お願いします。千春さんに……。僕に時間をください」
ようやく記憶を取り戻してまた一からやり直そうという時期にまた引き戻されるのではたぶん彼女は立ち直れないだろう。
「そうですよお母さん。突然やって来て清水くんも困っているはずですし」
飯田が思いがけないところで助け船を出してくれた。
「ちょっと……」
まさか自分の味方から裏切られるとは思わなかったのだろう。
千春の母は不満げだった。
「今日はこのくらいにしてまた改めてうかがいましょう。そうした方が千春の気も変わるかもしれないし」
そうやってなだめる飯田に千春の母もようやく納得したようだ。
「悪いわね飯田さん。いつも千春の面倒見てくれているだけあって助かるわ」
先程まで取り乱した様子とは打ってかわって冷静な口調でそう返す。
だが視線は相変わらず冷たい。
亮のことを好ましくは思っていないのが見てとれる。
(これは骨が折れそうだな)
おそらく飯田は過去にも千春のことを母親から尋ねられたのだろう。
それをうまくかわしながら飯田は千春のことを話していたのだろうが。
「じゃあね清水くん」
飯田は母親の腕から千春を引き離す。
たまらず彼女を抱き止めると二人はその場を離れていった。
「ありがとう飯田さん」
ぽつりとそういうと彼女が優しく微笑むのが目に入る。
その口はごめんねと告げていた。
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