第19話

 MRIの結果を知らされたのはそこから一週間後だった。

 相変わらずバイトの交代を頼むためのバイトといういささか矛盾したような気もする仕事をこなしたあと二人で地元の病院に向かった。


「清水亮さん、結論から言うとね」


 主治医ではないがそれに近い医師はためを作って一言告げる。


「異常はなかったよ」

「そうですか……」


 その一言に気が抜けた。もしなにかあったらと不安もあったが結果的に兄の彰が残したものは大したことではなかったらしい。隣の千春もほっとしたような顔をしている。


「念のための検査だったからね。まあ問題なくてよかったよ」


 これで頭を打って内部に異常があったら手術ということもあったとのことらしい。


「体調が思わしくないとのことで様子を見ていたけど問題もなさそうだし」


 確かにバイトの繰り返しで疲れは残っていたが事件の当時ほど具合は悪くない。

 亮は静かにうなずくとありがとうございましたと頭を下げる。


「まあ怪我をしたのは気の毒だけど今後のために警察に届け出とかした?」

「それはしてません」


 相手が身内なこともあってなんとなく気が進まなかった。


「あまりひどかったら相談するのも手だからね。かわいい彼女さんのためにも一人で抱え込まないように」


 そう注意されて診察は終わった。案外あっけないものだった。


「うーん。なんか心配したことと反対の結果だったね」

「まあ何事もないってことがわかって安心したし、お金はかかったけどよかったよ」


 千春は小さく笑う。


「亮が大丈夫そうならよかった」

「俺も健康だってことがわかったしな」


 若いんだから多少の無茶は大丈夫というわけではないがひとまず安心した。


「しかし忙しかったから疲れたよ。病院いくために逆に仕事増やした気がするな」


 バイト先は店長が気むずかしいことも含めグレーな仕事時間もあり人手が足りていない。

 このまま働いていたら正社員の話が来ないかな、と軽い希望も抱いているがあまり現実的ではないだろう。


「もうそんなこと言っちゃダメだよ」


 ふふっと彼女が笑う。それを見るとだんだんこっちも気が抜けて眠気が襲ってきた。


「帰ったら寝るか。でもさすがに自堕落すぎるか」

「たまにはいいんじゃない?」


 千春がそういうので会計を済ましたあとは家に直帰した。


 ***


 帰宅したあとは千春が食事の準備をしてくれることになった。

 正直疲れがたまっていたのでありがたい。


 亮はそのまま軽い仮眠に入ることにした。


「おやすみ」


 タオルケットを握って布団に横たわる。

 冷房をいれていると気分は極楽でまるでダメ人間になったようだ。


 そしてうつらうつらしていると遠くで彼女がとんとんと包丁を使っているおとが聞こえてくる。


 幸せだな。ふとそう思った。

 こうして誰かが自分のそばにいてくれること。それが心底ありがたかった。

 もう寂しい思いをしなくて済むのだと心の奥底で思った。


 そして先日の一件がフラッシュバックする。

 兄の彰に攻撃されたこと。千春が昔を思い出して涙を流したこと。


 そのどれもがどうしようもないことで自分一人で解決できることなのかわからなかった。

 だけど二人でいられるのなら彼女の抱える孤独や不安を受け止められるようになりたいと思うのだ。


 千春はどうなんだろう。

 亮がいることで少しは過去という呪縛から逃れられるようになったのだろうか。


 それともその呪縛に苦しめられるのはこれからのことなのだろうか。


 亮にはまだわからなかった。


「ごはんできたよ。ちょっとお昼はどうするの?」

「……」

「もうっ」


 考え事をしていると千春が声をかけてくる。


 千春が食事を準備してくれたのがわかっていたがあまりの眠気に負けそうだった。


 彼女が無理矢理タオルケットを奪おうとしてくるのがわかる。


「わかった。あと五分で起きるから」

「そう言って起きた人はいません」


「うう……」


 普段とは立場が逆になっているのに気がついたのか彼女は口許を綻ばせた。


「亮ったらいつもと違ってだらしないよ?」

「悪い。バイト疲れが」

「もう仕方ないなあ」


 彼女がさらに枕を奪う。

 そしてしばらくすると。


「ほら膝枕」

「ん?」


 眠気で何をいっているのかわからなかったが柔らかい感触に一瞬はっとする。

 そしてふわふわした意識のもと彼女の膝に頭をのせることになる。


「ほら五分たったよ」


 そして千春の言葉が耳に入る頃には。


「おはよう」

「もうお昼過ぎだよ」


 お互い少し照れたように顔を見合わせる。

 亮も耳を赤くして急いで起き上がる。


「ふふっ。じゃあお昼食べよう」

「そうだな」


 彼女が作ったのは先日の手の込んだキーマカレーではなくて卵抜きのチャーハンだった。


 もとの千春は卵料理が苦手だった。それを意識していたのだが出会ったばかりの彼女はキョトンとしていた。それが戻っているということは。


「君は……」

「話はあとでしよう」


 そしてウインナーの入ったチャーハンを口にして昼食は終わった。

 片付けは亮が寝ていた分を取り戻すように自分ですることにした。当然だ。


 千春はそれを無言で見守っている。

 なにか不穏なものを抱えながら。

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