第18話

 二人で向かったのは子供の頃によく通った公園だった。

 時間帯はまだ子供が遊ぶのには早くほとんど人気がない。


「ねえあの滑り台に乗ってみたい」

「服が汚れるぞ」


 それに千春の格好はスカートだ。動くのにはあまり向いていない。


「ねえじゃあブランコにしよう」


 そして亮の気も知らず勝手に駆け出していく。


「もう子供じゃないんだから」


 一人で苦笑していると彼女が手を振ってくる。


「亮急いで」


「はいはい待ってろって」


 急かされるままにブランコのもとへと向かう。


「私、子供の頃ここで遊んでたんだね」

「ああそうか君は覚えていないのか」


 記憶喪失。その言葉が脳裏をよぎる。

 二人の思い出がなくなったことを寂しく重いながら亮は話し出す。


「君はおてんばである意味男顔負けの行動力があったからな」


 その証拠にこのブランコでも誰よりも高く漕いでいた。

 それを話すと千春は顔を赤らめた。


「私、そんなにやんちゃだと思われてたんだ」

「昔の話」


 いまはさすがに無茶はしないだろう。


「君と一緒にいた時間は結構あったけど一番気に入っていたのはあのタコの滑り台だったかな」

「へえ」


 忘れているのは承知の上だがなにか思い出さないか投げ掛ける。

 彼女は目をキラキラさせて話を聞いていた。


「いつもあそこで秘密の会議をしていたんだ」

「秘密って? なんだか気になる」


 それは他愛のない話だったから今にしてみれば大したことのないように感じられる。

 だが大切な時間だった。


「クラスの人間関係とか先生の文句とか」

「それ言っていたの亮の方でしょ」

「君だって結構話していたんだよ」


 自分の事だけどあまりよくわかっていないらしい。


「まあそんなことで放課後を過ごしていたんだ」


 そうやってまとめるとすごく小さな事に思えるが亮にとっては忘れられない日々の一つだ。


 ブランコがきしむおとがする。

「やっぱり子供用は無理があるか……」

「あっ今私が太っているとか思ったでしょ」


 体重のことを気にしているのかこちらを睨み付ける。

 しかしあまり迫力はない。


「いや、普通ブランコは音が出るから」


 だから気にするなと言いたかったが彼女はブランコから飛び降りた。


「君って人は……」


 やはり天真爛漫というか自由人というか。

 記憶を失っても中身はあまり変わらない。


「ねえ昔の私と今の私どっちが好き? 」

「そんなの決められないよ」


 記憶を失っても彼女は彼女だ。


「そこはどっちもって答えてくれないと」


 少し不服そうにこちらを見る彼女が可愛らしくて亮は笑った。


「君はまるで子供だな」

「それでも結構」


 得意気な顔で滑り台の方に駆けていく。


「亮も早く」


 またしても呼ばれる。まるでおいかけっこをしているようだ。

 昔は彼女がての届かない存在だと諦めていたけど今は違う。


 この手につかめるほど近い距離にある。


「本当にスカートで大丈夫なのか? 」

「平気平気。誰も見てないって」


 女子としてどうなんだと思いつつ無邪気な顔で見つめられるとこれ以上うるさく言う気も起きない。


「じゃあ二人で滑り台乗ろう」

「まあこの丈夫さなら行けるかな」


 いささか狭くはあるができない幅ではない。


「私がスリムでよかったでしょう」

「はいはい」


 亮が後ろから抱き抱えるような体勢になるとお互いの体温が伝わり温もりが感じられる。

 彼女のシャンプーの香りが鼻腔をくすぐり女の子特有の甘い匂いに胸が高鳴る。


 この緊張が相手に伝わっていないといい。

 そう思いながらじっとその時が来るのを待つ。


「じゃあ行くよ」


 彼女の明るい声がして一気に滑り出していく。

 久しぶりの感覚に血流が逆行したような気がする。


「きゃあっ」


 千春も楽しそうに手を上に広げ笑っている。


「楽しかったね」


 滑り終わると二人で手を洗い木陰のベンチで休憩する。


「滑り台、子供の頃以来だったな」


 正直ここまでやるとは思わなかったが思いの外楽しかった。

 端から見れば結構恥ずかしいのだろうけど朱に交わればなんとやらで自分一人じゃないのがかえってよかったのかもしれない。


「あれっ? 」

「どうかしたのか」


 彼女が空を見上げると立ちくらみにあったようだ。

 心配だったので体をささえると千春がポツリと呟く。


「ちょっとだけ思い出したの」

「思い出した? 」


 何をだろう。それが辛い思い出ではないことを祈るのみだ。


「私がここにきたときのこと。何歳位なのかな。亮を探していたときの記憶」


 おそらく亮が街を離れたときのことだろう。

 彼女には寂しい思いをさせた。


「お母さんに怒られて悲しくなって亮を探していた。でも亮はここにはいなかった」


 青白い顔で一人小さく笑う彼女が想像できてこちらまで冷たい気分になった。


「ああわかった。君は全部忘れたかったんだ」


 辛かった記憶を。寂しかった思い出を。


「だけど大丈夫だよ。俺は君のそばにいるよ」


 今度こそ彼女を一人にしないために。

 力の限り千春を抱き締めた。


「うん。わかってるの。だけど少しだけ寂しかったこと思い出しちゃった」


 これからはずっと一緒にいよう。

 亮は心にそう誓った。


「これから記憶が戻って混乱することもあるかもしれない。その時は俺に言ってほしい」


 刺激を受けてどんどん新しい記憶が戻ってくる可能性はある。

 その時彼女は耐えられるのだろうか。


 千春が苦しいときそばにいられなかった後悔はある。

 だからこそ後悔しないためにも彼女にできることはなんだってしたい。


 そう思ったのだ。


「ありがとう亮」


 胸のなかで彼女が静かにそう呟く。

 その細さに手折ってしまわないか心配になりながらも千春の背をそっと撫でる。


 どうやらそれで落ち着いたようだ。


「帰ろうか」

「そうだね」


 言葉を交わして手をそっと握る。

 仄かな温もりを感じながらこの時間がずっと続けばいいと思った。

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