第16話
改めて近所の診療所に行き事情を説明すると医者は複雑そうな顔をした。
「まあ大事はないと思いますけど念のため紹介状書いておきますから」
そしてなんの因果か亮と千春の地元の病院を紹介してくれた。
「脳に損傷がないとも言い切れません。MRIとって異常がなければそのままかえって大丈夫です」
「……はい」
思ったよりも重症患者扱いされて亮は戸惑っていた。
付き添ってくれる千春はそれでも熱心に話を聞いている。
「彼女さんも心配でしょうが念には念をということで」
事件性があった場合賠償とかも考えられますからねと付け足される。
兄である彰が残した傷跡は思いの外大きかったようだ。
もし異常があったら彼に請求することになるのだろうか。
おそらくバックレるのだろうなと思いながらも最悪のシナリオを考える。
なにかあった場合千春は実家に返さなければ、と考えていたが彼女の身の上を考えるとそうもいかない。何はともあれ自分のことを考えなければ千春のことも守れない。
自分以外の誰かを守るという気持ちが芽生えてからというものの自分のからだが自分のためだけではないのだと強く実感させられる。
「ありがとうございました」
診察と会計を終えて処方された痛み止めを近所の調剤薬局で待つ。
今度紹介された大病院の名を聞いたとき千春は息を飲んだ。
おそらく彼女が事故にあったときに診察してくれた病院なのだろう。
不思議な縁というものがあるんだなと一人ごちる。
それにしてもバイトの交代をまた頼まなければならないのは若干申し訳ないが致し方ない。
「今度の週末は休日返上でバイトかな。千春は悪いけど待っていてくれるか」
「それより本当に身体の方は大丈夫なの?」
薬局で暇なのでお茶でものみながらこれからの予定を話す。
だが千春は亮を気遣わしげな瞳で見つめる。
「ああちょっと頭がいたいのと具合が悪いことくらいかな」
「うーん心配だなあ」
額に手を当てられる。熱はないのだがいささか気恥ずかしい。
「子供じゃないんだから大丈夫だよ」
「私から見たら危なっかしいよ」
むーっと彼女がこちらを見つめる。
「もしかしたらこんなのんびりやっている場合じゃないのかもしれないし」
「急に心配性になってどうした?」
「私だって心配くらいします」
更に頬を膨らませて反論する。
「だって亮は私にとって大事な人なんだから」
怒ったような顔で言うのに中身はのろけられているみたいで再び顔が赤くなる。
「あっ急に熱くなった」
「それは君が……」
言いかえそうかと思ったが考え直してやめた。
薬を待っている間に周囲の視線がこちらに向いているのに気がついたからだ。
午前に診察を受けたのでそばにいるのは年配のご老人ばかりだ。
それとたまにいるのは親子連れ。
わざわざ二人でやってくる人は珍しい。
「と、とにかく俺は大丈夫だから」
「それは次の病院の日にわかる話」
頬を軽くつままれる。この間の意趣返しとばかりに。
「倒れたとき変なおとがしたからこっちだって心配しているよ」
「悪かったよ」
素直に反省する。本当なら殴りあいの喧嘩になっても不思議ではなかったが自分から手を出す気にはなれなかった。兄の彰相手に喧嘩をしても無駄だと悟っていたからか。
「でもMRIか……。結構高くつくのかな」
今まで健康診断を受けたことがあるがせいぜいレントゲンくらいしか受けたことはない。
確か金属製品があると恐ろしいことが起きるとか起きないとか。
生まれてはじめてのことなのでなにかと不安だ。
「心配なの?亮って意外とそういうの気にする人なんだ」
「ま、まあな」
歯切れ悪くそう答える。なんとなく自分がカッコ悪い気がしたからだ。
好きな人の前ではカッコつけたい人種というわけではないが自分が小さい人間のように思えて少し気恥ずかしい。
「大丈夫だよ。私もついているし」
そっと手を握られる。
小さくて暖かい感触がした。
「あ、ありがとう」
「素直じゃないんだから」
そうこうしている間に亮が呼ばれる。
「清水さん、本日処方されたのは痛み止めですね。こちらは頓服です」
丁寧な説明を受けて薬を受けとる。
支払いを済ませると時間はお昼になっていた。
「最近外食が続いているし家で食べるか」
作りおきの料理は最近具合が思わしくないので使いきってしまったが予算の問題もある。
「亮、今日は私が料理作るよ」
「でも君に包丁を持たせるのはな……」
先日の鮭の一件でどうしても信用がおけない。
彼女の料理が下手というわけではないが自分の方が得意だという自覚はある。
「私だって料理くらいできますっ」
どうやら機嫌を損ねてしまったらしい。
「確かに亮の方が上手だって分かるけど……」
そう言われるとかえって任せないのも女子に失礼な気もするので否定しておく。
「千春もたしかに昔は料理好きだったからな、お菓子とかは上手だったよ」
「ほ、本当に?」
記憶をなくす前の彼女のことを語ると彼女は興味を抱いたらしい。
少し前までは記憶がないことに罪悪感を感じていたようだが徐々にその意識は弱まりつつあった。
彼女も彰と対峙して意識が変わったようだ。
「じゃあ私も亮に負けていられないね」
腕捲りをしてスーパーで食材を買い足す。
いくつかのスパイスにトマトの水煮缶、根菜類と挽き肉、それにサラダ用の野菜にアボカドを購入していた。
なんとなく作る料理は想像ついた。
「ふふーん今日は何を作ると思いますかあ?」
そして千春は得意気にそう質問する。
「なんだろうな?お昼だろ」
「出来上がるまでのお楽しみです」
とぼけると彼女は嬉しそうに笑う。
正解はわかっているんだけどなと思いつつも彼女が楽しそうならそれでいい。
スーパーで食材を買ったらアパートに戻る。
重いものは亮が持ち、千春の袋には軽い野菜が入っているだけだ。
「ただいま、と」
「おかえり」
「一緒に帰ってきているのに変な感じするね」
「そうだな」
顔を見合わせて笑い会う。
一人で暮らしていたときはこうしたやり取りもなかったのでどこか新鮮だ。
大家からは苦情も入っていないのでまだ安心して暮らすことができる。
こういうのも悪くないな、とそう思った。
「じゃあ亮は手を洗ってごはんができるまで待ってて」
「本当に一人でできるか?」
心配そうにそういうと彼女は自信満々に答える。
「今回は前回の汚名挽回ってことで」
「それをいうなら汚名返上だろ」
ちょっと頭が弱くなったのかと逆に心配になった。
「もう細かいことはいいから待っててね」
「君は昔からそういうところがあったな」
そう指摘すると彼女は顔を赤くする。
「余計なことは言わなくてよろしい」
「はいはい」
ということで千春は料理を始める。
「包丁は猫の手で持つんだぞ」
「わかってまーす」
しつこいと思われないか心配だったが気になるのでついつい口を出してしまう。
「ボウルは棚のしたにあるから」
「了解っと」
端から見ていると段取りは悪くない。
料理は下手になったわけではなさそうだ。
「ああっ油入れすぎたっ」
「キッチンタオルで拭き取れば大丈夫だから」
やはり前言撤回だ。どこか手つきがおぼつかないというか全体的にわたわたしている。
「本当に大丈夫か?」
「むう。亮はそこで待っててっ」
それからもわあだのきゃあだの料理とは思えない声が聞こえてきて冷静に対処せざるをえなかった。
「頼むからガスコンロの周辺は気を付けてくれよ」
「だ、大丈夫だからっ」
焦ったような口調でフライパンがバチバチいっているのが聞こえてくる。
「火強すぎじゃないか?」
中華料理を作っているわけではないはずなのだが。
「はーい。あとちょっとでできるから静かにしててっ」
言われて気がついたのか火は弱めたようだった。
ちょうどごはんが炊けた音がする。
「お待たせしました。こっちも完成だよ」
そして亮を招き寄せる。
「今日はアボカドのサラダとキーマカレーです」
「旨そうだな」
自信満々にこちらにフライパンを向けてくる。
確かにそこには一から作ったキーマカレーの姿があった。
「それにしても一から作れるなんて凄いな」
「ふふん。見直した?」
「うん、俺も基本ルーとかで作っちゃうからな」
意外と彼女のカレーは本格派でスパイスがよく効いている。
皿にごはんとカレーをよそい、別の皿に盛り付けられたサラダから手をつける。
「結構美味しいな」
「アボカド入れるとそれだけどお洒落になるからね」
野菜の水気もよく切れてるし細かいところに目が届いている料理だった。
こういうところは女子の方が繊細なのかもしれない。
ただ一つ難点をあげるとすれば時間のかかりすぎだ。お昼に一時間半かけたらあとが大変そうだ。でもたまに料理するくらいなら多目に見た方が良さそうだろうなと一人納得する。
「キーマカレーは?」
一口スプーンですくって食べると豊かなスパイスの香りと爽やかなトマトの味が口一杯に広がる。
「こっちも旨いな」
普段は自分で作った料理ばかりだから他人が作った料理は新鮮だ。
千春も料理が意外と得意ということを実感したまには彼女に頼るのもいいだろうなと思う。
「亮が喜んでくれてよかった」
すべてを平らげたあと彼女は嬉しそうに手を合わせる。
「ごちそうさま。久しぶりに料理したから疲れただろ。片付けは俺がやっておくよ」
医者に処方された薬を水で飲むとシンクに食器を運んでいく。
「もう亮の方こそ疲れてるんだからゆっくりしてて」
「悪いな」
急に立つと立ちくらみがした。
頭痛もして具合はいいとは言えなかった。
「じゃあ今度病院にいくまでは私が家事全般をやりますから」
「本当に大丈夫か?」
意地悪くそう尋ねると千春が得意気に胸を張る。
「私を信じてね。それに私もただの居候じゃさすがに不味いから」
彼女なりに思うところがあったらしい。亮はあまり気にしていなかったが。
「じゃあ頼んだよ」
いささか不安だったが今は自分の体調の不安もある。
バイトもあるので少しでも体力を取り戻したかった。
「たまには私を頼ってよね」
にっこり微笑むと千春は鼻唄混じりに洗い物を始める。
それを背後に感じながら亮は目をゆっくり閉じた。
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