第14話

 夢を見ていた。

 そのなかで兄と千春は楽しそうに笑っていた。


 まだ付き合い始めたばかりだろうか。

 微妙に距離感があってどこかぎこちない。


 亮はといえばただぼんやりと二人の姿を眺めていた。


 久しぶりに見た兄はあまり変わらない。だが少し大人びた顔立ちをしていた。

 自分の方はどうだろうと川の水面に映る自分の姿を見る。


 そこには中肉中背のどこにでもいそうな男の姿があった。

 筋肉はついているが多少痩せぎみで目付きはあまりよくない。


 もとから視力が悪いのだ。

 普段はコンタクトをしているが休日だったのではずしているのが悪かったのか。

 そう思ったがよくよく考えてみればこれは夢の中だ。


「ねえ、俺だよ」

 二人に声をかけてみるが全く相手にされない。

 千春は兄の方を向いてなにか話し込んでいる。

 それをいなす彰。


「聞いてくれよ」


 何をしても暖簾に腕押しで全く効果がない。


 仕方がないので二人に近づき間に割ってはいる。

 その瞬間。

 視界がぼやけ映像が入れ替わる。


 自分だったと思っていた姿が兄の彰に入れ替わり、兄だと思っていた人間が亮へと変わっていく。


 そして千春が笑いかける。

「どうしたの亮?」

「……なんでもない」

 これが兄の彰が見ていた映像だったのかと思えばぞっとする。


 そういえばどうしてこんな夢を見ているんだろうと疑問に思う。

 たしか亮は兄の彰に頸を絞められて意識を失ったのだ。


 大事にはしたくなかったが気絶した亮を見て千春はどうするのだろう。

 夢の中では千春は笑っている。

 たぶん彼女ならどうにかしてくれるだろう。

 そんな気がしていた。


「……亮、起きて……」


 遠くで自分を呼ぶ声がする。

 その声はよく知ったもので早く起きなくてはと焦る。


 だが身体が重く意識もなかなか戻らない。


 ぽたりと冷たいものが落ちてくる。


「ねえ、亮……お願いだから起きてっ」


 女の子の声がする。どうかしたのだろうか。

 いつもの彼女ならこれくらい平気でしょうと笑うはずだが。


 どうしてこんなに心配してくれるのだろう。

 自分にはなにもないのに。


 だけど涙声になりながらも心配する彼女の声にどこか喜びを感じた。

 そんな甘い感慨に耽りながらもこれが現実だと気がつき亮は目を開ける。


「ごめん」


 意識が戻って開口一番に出てきたのは謝罪の言葉だった。


「どうして謝るの?」


 涙混じりにこちらを見下ろす千春の姿があった。どうやら亮は仰向けになって倒れたらしい。


「だって君が心配してくれるから」

「……もう死んじゃうのかと思った。あと少しで救急車呼ぶところだったんだからね」


 よほど心細かったのだろう。緊張で身体が震えていた。


「周りの人たちがどうにかしてくれたからなんとかなったけど」

「そりゃなんといえばいいか」


 周囲には気遣わしげに視線を向ける人々の姿があった。


「意識戻ったね。お姉ちゃん」

「よかったわね」


 先程兄の彰に追い払われた子供がこちらに近づいてくる。

 そしてその母親も。


「先程は失礼しました」

「いいのよ。でもさっき倒れちゃって、大丈夫だったかしら?」


 体を見渡すが問題は無さそうだ。一時的に意識を失っていただけのようだ。


「お騒がせいたしました。一応病院に行ってきますね」


 喧嘩で頸を絞められて意識を失ったとはなかなか人には言えないことだが念のためだ。

 バイト先にも連絡をいれてシフトを交代してもらうことも考えた。


「なんでそんなに冷静なのかなあ」


 先程まで泣いていた千春はどこか不満そうな顔をする。


「悪い。だって慣れてるから」


 ここ最近は喧嘩はしてなかったとはいえ昔は兄にやられっぱなしのことも多かった。

 今回もまたやられてしまったが肝心の本人は去ってしまった。


「勝負に勝って喧嘩に負けたって感じかな」


「もう心配したんだからねっ」


 頬を膨らませてこちらをにらむ姿もどこか可愛らしかった。

 それがおかしくて笑っていると更に彼女が膨れ上がる。


「亮のばか。心配させないでよ」

「君を怒らせるとは俺もまだまだだな」


「もう怒ってるんじゃなくて心配してるの」

「じゃあなんだろうなこの顔は」


 そう言って彼女の頬を指でつまむ。


「いひゃい」

「ははっ変な顔」


「うー。亮のあひゃ」

 ほっぺたが面白いように伸びるので遊んでいると彼女はふてくされてしまったようだ。


「亮のことなんか知らない」

「急に子供返りか」


 わざと指摘すると更にむくれる。

 そして小学生みたいに言い返してくる。


「一番子供っぽいのは亮くんですっ」


 人のことをおもちゃみたいに遊んで、と付け足される。


「もっと真面目に人の話を聞いてください」


 ふんと鼻を鳴らすがあまり迫力はない。


「悪い悪い。なんか俺を心配してくれる人がいるんだなと思ったら嬉しくてさ」


 本当は嬉しかったのだがそれを表に出すのが恥ずかしくてふざけてしまったのだ。

 自分らしくないというか。


「そこで喜ぶ辺り、感性がずれてる……」


 複雑そうな顔で千春がぼやく。


「そんなにずれているか俺?」

「うん私が知っている限りそんな人は初めて」


 どこか苦笑いを浮かべて千春は亮の肩に抱きつく。


「本当、亮って危なっかしい」

「生きてたんだからいいだろう」


 肩に顔を埋めてポツリと呟く。


「亮がいなくなったらと思ったら私怖かったんだからね」


 身体の震えはなくなっていたが心のなかでは亮を失う恐怖と戦っていたのだろう。


「ごめん。もうこんなことはしないから」

「全然信用できない」


 弱いのは昔のままだけれど少しは成長できたのかな。

 亮は一人心のなかで考える。


 昔の自分なら泣いてなにもできないか悔しくて弱さを嘆くだけだったかもしれない。


 でも兄とようやく向き合うことができたと思う。

 結果はともあれ彼が再び千春に近づくことはないだろう。


 そう感じたのだった。


「俺ってやっぱり貧弱だと思われてるのかな」

「急に弱気になってどうしたの?」


 そう尋ねると千春はふふっと笑った。


「大丈夫、カッコよかったよ」

「本当?」


 パッと顔を輝かせると子供じゃないんだからと笑われる。


「うーん。本当のところは内緒かな」

「内緒って」


 少し残念そうにすると彼女は思案げに視線を送る。


「これ以上は言わない。それが亮への仕返し」


 ずいぶんと小さな仕返しだ。

 でもそれが彼女の優しさだとわかると自然と笑みが出る。


「ありがとう」


 そう呟くと二人は家路を急ぐのだった。

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