第13話
三人で歩くのははじめてだった。
そもそも自分の兄に近寄ることなどほとんどしなかった亮にとっては困った事態になっていた。
「喫茶店って言ってもな」
どうやら兄の彰は不満らしく近くの土手に向かって歩き出す。
「どうせ話を聞かれたくないとかそんな理由だろう。だったらここでも構わないはずだ」
川縁には小さな子供達がいたがそれを振り払い地べたにしゃがみこむ。
「それであんたの用件はなんだ?」
「相変わらず生意気な口の利き方だな」
男はおかしそうに笑う。
「何がそんなにおかしい」
「いやお前っていつもどうしてそんなに必死かなってさ」
それは千春が関わっているのだからしかたがないだろう。
口には出さなかったが敵意だけは伝わったらしい。
彰はやれやれと肩を竦めた。
「今日俺は千春に話があってやってきた。お前は邪魔立てするなよ」
「邪魔はしないけど二人のことは確認させてもらう」
「とんだ過保護だな」
その言葉に唇を噛み締める。
口のなかに鉄の味が広がる。覚えのある感覚だった。
「亮、話をさせて。あの人とのことは私にも責任があるから」
怯えた顔をしながらも千春は意を決したように前へと踏み出す。
「彰さん、あなたの目的は私でしょう」
「おいおいどうしたその話し方は」
どこかよそよそしい千春の様子に驚いたようだった。
「やっぱり記憶がないっていう噂は本当なのか」
彼は地面の石ころを蹴る。それが川に向かって飛んでいき視界から消える。
「その事故を引き起こしたのは誰だ」
「ま、俺のしたことだから仕方ないか」
あまり反省したわけでもない彰はため息をつく。
「俺に事故の請求書が来たときは驚いた。自損事故じゃないから当たり前だけどな」
彼はやはり事故を起こしてその後始末を千春の両親にさせていたのだ。
だから彼女の母は警戒していたのだ。
「だけど本当に記憶がないとはな。前の千春は会わす顔がないとか言っておいてずっと亮と距離を置いていたのにいざ記憶がなくなると亮に頼るとはな。ははっおかしいや」
亮に会わす顔がない? どういうことだろう。
「千春はずっと俺を亮の身代わりにしてきたんだ。亮が去ったのは自分のせいだと責めて勝手に傷ついてな」
彰は興奮しているのかそのまま続ける。
「はっきり言って迷惑だったんだよ。俺のことなんか眼中にないのに付き合うとかな。だけどお前には金だけはあった。だから利用させてもらった」
「最低だな」
「お互いが利用しあっていただけだ」
亮が吐き捨てると彰は鼻で笑う。
「俺があの家を出たのはあんたたちにうんざりしたからだ。千春を嫌いになったからでも君に責任があることでもない。ただあの頃の俺は弱かったんだ」
「今も相変わらず弱いじゃないか」
「それがわからないくらい前が見えなくてただ逃げることしか考えていなかった」
だから周囲との連絡を絶って別の街に移り住んだ。
「だけど本当はもっと早くに向き合うべきだったんだな」
千春に目をやり二人でうなずく。
彼女が自分がいなくなったことで傷ついているのを知っていればこんなことにはならなかったかもしれない。
自分を必要としてくれている人がそばにいてくれることに気がつかなかったのは亮の愚かさだった。
「俺はあんたが嫌いだ。だから冷静に話ができるとは思っていない。だけどこれだけは言わせてもらう。もう俺はあんたとは関係ないんだ。千春も」
「そんなうまい話があるか」
案の定彰は納得がいかない様子だった。
「千春のせいで事故を起こしてさんざん周囲に攻め立てられた俺の立場はどうなる? それにいい金蔓だった千春を失って俺だって苦労したんだ」
なんでも人のせいにする性格は変わらないらしい。
相変わらずの責任転嫁ぶりに思わずため息が出る。
「苦労っていうけどほとんど自業自得だから」
「くそっ。生意気言うなっ」
その言葉に彰は亮の胸元につかみかかる。
喧嘩だけは得意だった兄のことだ。
ただではすまされないだろう。
この際いっそやり返すべきか。それとも嵐が過ぎるのを待つべきか。
亮は迷っていた。
その迷いを知ってか知らずか彰は亮の首を絞める。
苦しい。
息ができない。
「彰さん、やめて」
千春の悲壮な声が遠くで聞こえる。
「うるさいな。こいつを倒したらお前を連れて帰る」
男はニッと笑う。
獰猛な獣のような目をして千春を睨み付ける。
「くっ。ひぅ……ひぃ……くぅ」
ギトギトした汚い目で見るな。
そう言いたかったが酸素が足りずあえかな声が漏れるだけだ。
「亮、お願い逃げて……」
「もう遅い」
男は愉快そうに亮の頸部を圧迫する。
体格さはあまりないとは言え男の力だ。下手をすれば気絶だけでは済まされない。
やはり自分はかつての弱い自分のままなのか。
そう思うと笑いが込み上げてきた。
「何がおかしい」
その様子に気がついたのか彰は腕の力を弱める。
その隙に相手を振り払い間合いを置く。
「逃げられたか」
彰はチッと舌打ちをする。
そして息も絶え絶えの亮のもとに千春が駆け寄る。
「千春……」
思わず声が漏れてしまう。
「ふん。お前らのことだ。きっとなにかあると思ったらこういうことか」
彰はどこか蔑むような口調でそう呟く。
「言っておくが悪いのは俺だけじゃないぜ。お前らにも責任はある」
「だからといって亮を傷つけるのはおかしいです」
千春は怒った顔で彰を睨み付ける。
「あなたが文句をいうならその相手は私です。八つ当たりか知りませんが亮にこれ以上何かしたら許しませんから」
「おお怖いな」
へらへらと笑う姿に怒りを感じたが男はそれ以上のことはしてこなかった。
「はあはあ……。あんたも成長しないな」
荒い呼吸を続けながら亮は口許を袖で拭う。
「そっくりそのままお前に返してやるぜ」
お互い成長しないのは同じなのだろう。
「だけど今日は見逃してやる」
せいぜい苦しむんだなと彰は笑った。
これが彼のやり方なのかもしれないとふと思った。
彰は自分のしたことを謝らない。
だから多くの恨みを買って孤独に生きるのだろう。
そんな彼が千春を求めたのは金以外のものもあってこそなのだろう。
彼女を失って苦しむのは彼も同じだ。
そう思えば同情のような気持ちも生まれる。
そうか。亮がずっと恐れていたのはこんなちっぽけな存在だったのか。
そう思えば少しだけおかしかった。
自分も弱いと思っていたけれど相手も似たようなもので。
結局なんだったんだろうと疑問に思う。
この答えがわかるのはずっと先なんだろうなと思いながら意識は遠退いていくのであった。
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