二章
第11話
兄の名は彰といった。
亮と彰。二人とも仲は悪く、言葉を交わすことも少なかった。
まさか自分の兄が千春と付き合っていただなんて思いもしなかった。
亮は千春からスマホを取り上げると勝手に電話を切った。
「悪いけど切るよ」
「おい亮なんでおまえが……」
最後は男の戸惑う声がする。
自分の実の兄とはいえもう数年もあっていない。
だから彼は驚いたのだろう。
まさか千春が亮と一緒にいるなんて思いもしなかったのは向こうも一緒なのかもしれない。
どうして彼女が彰と関わりを持っているのか今の彼女に聞いても詳細はわからないだろう。
だがこれ以上そばにいると彰に感づかれるかもしれない。いやさっきのですでにバレている。
居場所は少し調べればわかるのだから隠れても仕方ない。
対策をとれるうちにとっておかなければ。
「千春、君は家に帰った方がいいよ」
彰がやってきたらただではすまされない気がする。だから親に守ってもらえる彼女は家に返した方いいだろう。
「いや、亮のそばにいる」
強情な彼女らしく素直にうんとはいってくれなかった。
「君には過去の記憶がないんだ。それなのにあんな男に会ったらひどい目にあわされる」
「でも、亮を放っておけないよ」
「俺の心配はいい。君は早く安全なところに行くんだ」
千春の細い腕を掴み駅まで無言でつれていく。
「亮、痛いよ。離して」
「いやだ」
端から見れば何をそんなにもめているんだと思われそうだが亮にして見れば一刻を争う展開だった。
自分の兄がなにか良からぬものを招く予想はついていた。
「もしもし愛川さんのお宅ですか。清水です。千春さんを今から送ります」
彼女の母に連絡を取る。
今まで直接話したことは何度かあるが突然千春の母を頼るのには抵抗はなかった。
もし事故を起こしたのが兄だったとするならば千春の母が当初いい顔をしなかったのがわかる。
そしてここからは予想の範囲だが兄は事故を起こして示談金を払っていないのではないか。
そんなことを考えていた。
「亮、怖い顔してる……」
怯えたような表情で千春が亮を見つめる。
その言葉にはっとした。
「ごめん、君のことを考えてなくて」
ずっとつかんでいた彼女の左腕は赤く跡がついていた。
自分も兄と同じように千春にひどいことをしてしまったと思えば罪悪感も募る。
「そんな悲しそうな顔してまでどうして私を家に戻そうとするの?」
亮は自分がどんな顔をしているのか千春に指摘されるまで気がつかなかった。
自分が悲しい?
いままで言われたこともなかったことなので戸惑った。
「俺は君を守りたい。だけど今はこれしか思い付かないんだ」
「守る……?」
彼女は不思議そうな顔をする。
「私、亮が思っているより弱くないよ」
「嘘つけ。昔はあんなに弱虫だったのに」
「それは亮の方だよ」
千春は亮の手をそっと握る。
触れた先から心が暖かくなるようなそんな気がした。
「それにこれは私のしたことだから私にも責任があるの」
彼女は意を決したように話す。
「記憶がなくても母には何度も聞かされていたから。私が無責任なことをしたせいで大勢の人に迷惑をかけたって」
千春の母は自分の子供にそんなことをいうのか。少しショックだった。
だとしたら彼女を家に戻すのは危険から遠ざける意味では正解だとしても本当の救いにはならないかもしれない。
「私、怖くて知らないふりをしてたけどやっぱり自分のしたことに向き合わなくちゃいけないと思うの」
それが兄と関わったことを指しているのか事故のことを指しているのか。
亮にはわからなかったが彼女の決意は伝わってきた。
そうだとしたら亮も過去と向き合わなければならない。
かつてのつらい記憶から逃げようとしていた自分。
そんな弱い自分を認められなくて亮は地元を去った。
今は自由にやっていると自分を納得させてきたけれど心の奥底には開いてはいけないパンドラの箱があった。
昔の記憶。それを底に封じていたけれども千春がそれを開けてしまった。
いとも容易く。
自分の家族が今どうしているか本当なら知りたくもなかったが千春が関わっているとしたら放ってもおけない。
きっとこの事故の真相にも彼女の過去が関わっているのだろう。それに兄も。
千春だってばかではないからそう簡単におれるようなことはしなかったはずだ。
この先二人を待っているのは先の見えない泥沼のような現実かもしれない。
だけれど逃げるような真似はもうしたくなかった。
「千春、俺前言撤回する」
亮は彼女の手をそっと撫でる。
「俺は君を守りたいと言った。けどやり方を間違えた。だからさっきのことを謝りたい」
彼女にとってはあまりいい思い出のない場所に無理矢理戻そうとしたのだから嫌われてもしかたがない。
「ごめんな千春。君の気持ちを考えないで」
「亮……」
彼女は瞳を潤ませて亮を見上げる。
やはり心細かったのだろう。
彼女も自分の過去と向き合うと言ってはいたけれども本当は怖いのだろう。それは亮も同じだ。
「今日のところは帰ろう」
「うん」
彼女の手を優しく握る。
暗い夜道を二人の影が歩き出す。
その先にあるのはなにかまだ誰もわかっていなかった。
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