第5話
バイト先で仕事を済ませて近所のスーパーで買い物をする。
しかし千春が居座るつもりなら食事は二人前作らないといけない。
携帯のアドレスも聞いていなかったから今さら連絡もできない。
「仕方ない。二人分作るか……」
性格がまるで変わってしまったはずの彼女だったが今朝は元通りだった。
いつものおてんば娘。といっても最後にあったのは二年前だったが。
引っ越しの挨拶代わりに葉書を手渡した時だ。
その時はまさかこんな再会が待っているとは思わなかった。
「まさかあの千春が俺の家に転がり込むとはな」
まだ決定事項ではないがこのままではなしくずし的に同居に踏み切られてしまう。
彼女の記憶喪失は本当なのだろうか。
疑っているわけではないが何か不穏なものを感じる。
でも好みが変わっていたのだから確かに記憶は失ったのだろう。
わざとにしてもそこまで念入りにするとも思えない。
「今日はカレーにするか」
根菜類をかごにいれて市販のルウの棚に移る。
彼女はたしか甘口が好きだったはずだ。
辛いと食べられないことはないがそれよりは玉ねぎとすりおろしたリンゴを大量に使ったものが千春の好みだった。
「でも今甘口が好きとは限らないんだよな」
買い物をしているときに独り言が増えるのは亮の癖だった。
もとから口数は少ない方だがそれでも考え事をしていると自然と出てきてしまうのだ。
昔は千春もそんな自分を笑っていた。
人に笑われるのはそんなに好きではなかったが彼女になら別によかった。
自分でも不思議と腹が立たないのだ。
「早く帰ろう。千春が待っていたら送らないといけない」
急いで会計を済まし自宅へと戻る。
そして案の定彼女は不満げな顔で待っていた。
「うー。亮、遅いよー」
「悪い。っていうかそれなら帰れよ」
バイト帰りはいつも廃棄弁当を食べていたのだが今日は千春が残っている可能性も捨てきれずスーパーに寄ったのが仇となった。
これでは彼女の同居を受け入れているみたいじゃないか。
「ああ。今日の夕飯カレー?」
「今夜だけは見逃してやるからお母さんに早く連絡入れろよ」
「わかってるよ」
頬を膨らませクッションに顔を埋める千春の子供っぽい動作に亮は苦笑した。
「そんなに嫌なら俺から連絡いれるぞ。今夜送りますからって」
「それだけはごめんです」
言い返せないのが悔しいのかそのままスマホを取り出す。
「文章じゃなくて直接電話するんだぞ」
一方的に告げる文章だと後々トラブルに繋がりやすい。
それを防ぐためにそういうが彼女はいっこうに電話をする気はない。
「今日は泊まります、と」
「おい、それで本当に大丈夫なのか」
「大丈夫、だいじょーぶ」
適当に答える姿にどうしても不安になる。
「あのな、俺たち二十歳を過ぎた普通の男女なんだぞ。危ないとか思わないわけ」
「……思わない」
歯切れ悪く彼女はそう呟く。
「俺が君に危害を与えるかもしれないとか考えないの」
「……ごめん」
亮が問い詰めると申し訳なさそうな顔で千春は頭を下げる。
「お願いします。私をここに泊めてください」
「いやそこまでしろとは言ってないけど」
急にしおらしい態度になられ戸惑うが彼女は額を床につくまで下げている。
「はあ。俺も鬼じゃないからさ厳しいことは言わないけど」
カレー作っている間に連絡だけはするんだぞと伝えておく。
それを理解したのかしていないのかこくりとうなずきスマホをいじりだす。
「もしもしお母さん。今日は帰らないから。以上」
電話をしたかと思えばショートメールと変わらないような内容ですぐに電源を切る。
「おいそれ逆にお母さん怒らせるぞ」
「……いいの」
いじけたように畳の上で丸くなる千春だった。
この様子だと食事ができるまでずっといじけてるつもりだろう。
「これあるし……」
カードを握りしめながら腕をぶらぶらと揺らす。
「この高等遊民めっ」
亮はフリーターなのでそこまでいいカードは作れない。
彼女の家は地元では有名な篤志家で信頼も厚いから彼女にカードを与えているのだろう。
いちいちおこづかいをせがまれるよりはマシだという考えのもとかもしれない。
考え事をしながらも亮は黙って玉ねぎとニンジン、ジャガイモを切り分ける。
それをフライパンで炒め鍋にまとめて入れる。
肉をいれ火が通ったらルウを溶かす。
そしてしばらく煮込んだら完成だ。
カレーだけでは心配だったのでサラダの準備もする。
これはレタスを適当にちぎり、玉ねぎときゅうりを切ったものを入れて焼いたベーコンを加える。
「おいできたぞ」
「はーい」
元気がなさそうに返事をする千春だったがカレーを食べると目の色が変わった。
「うー。甘口のカレー美味しい。どうして私が甘いの好きなのわかったの」
「そりゃ昔からそうだったろ」
当然のごとく答えると彼女は不思議そうな顔をする。
「昔って……。私これまでも亮が作ったご飯食べてたの?」
「ああ二年前まではな」
亮が地元を離れるまでたまに食事をつくって一緒に食べていた。
それは部活で遅くなった日とか彼女の母が家を開けている時とかだった。
疎遠にしていたとはいえすべてを忘れられていたというのは少し衝撃だった。
「本当に忘れてるんだな」
「……すみません」
亮の気持ちを察してか彼女は目を伏せる。
「急に敬語になるの禁止」
拳をこつんと額に当てる。
「はい」
おとなしくなるとやはり彼女は別人になっているのがわかる。
この気持ちになんという名前をつけていいか自分でもわからなかった。
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