第4話
夜が明けた。
相変わらず千春は朝に弱いようで起こしてもうつらうつらしている。
「仕方ないやつ」
やれやれとため息をついて朝食の準備にはいる。
「昨日は夕飯チャーハンだったし今朝はトーストにするか」
幸い六枚切りの食パンが残っていた。それにハムと卵をフライパンで焼いてハムエッグにした。
千春は卵が食べられないのでサラダとバターを用意する。
「おい、起きろ。朝御飯だぞ」
「……ねむい」
髪もボサボサで服も亮が貸したダボダボのスエット姿の彼女は眠そうに目を擦る。
「いただきます」
お行儀よく手を合わせて一言。
昨日の不安はなくなったのかもそもそと食事を始めた。
「記憶があってもなくてもあんまり変わらないな」
「……そうなの?」
亮が感想を述べると千春はぼんやりと返事をした。
聞いているのかいないのか食べ方もゆっくりだ。
「朝が弱いところは昔と一緒だ」
「ふうん」
朝は低血圧でテンションが低いのだ。
彼女は一口一口ゆっくりと咀嚼しながら水で流し込む。
もっと有り難がられるのかと思えばそうでもない。
亮自身あまり期待していないので自分の分の食事を始める。
自分のために作った目玉焼きはサニーサイドダウンで要は両面焼きだ。
中の黄身は半熟でこれがなかなか美味しい。
「ねえ私の分のハムエッグは?」
「君は卵が苦手だったから」
それとなく聞かれ今は苦手じゃないことを思い出した。
いけない。失敗したなとひとりごちる。
その一言で微妙に空気が悪くなる。
そうだ。彼女が記憶を失っているのを気にしているのだった。
のんきに食事をしているから忘れてしまったが千春は昨日ひどく動揺していた。
自分自身がどうしていいのかすらわからず亮にすがったのであった。
一晩たって人がすぐに変わるわけではない。
それがわかっているなら早く彼女を家に返すべきだと亮の本能が訴えかける。
「亮は私がここにいると迷惑?」
「いや……」
はっきりいえば大家にいつどやされるかわからないし彼女の母親にも今日返すと言ってしまったのだ。迷惑ではないがなるべく早く帰ってほしいというのが本音だった。
「ふふん。じゃあ決めました」
勝手に一人で何を決めたというのだろう。
「私、ここで暮らしまーす」
氷の入ったグラスがカランとなる。
「ちょっと……君は何をいっているんだ?」
そういうのは事前に相談とかそういうことをしてから決めるものじゃないか。そう思っていたが。
「だって私なにもわからないんだもん。家にいてもお母さんがガミガミうるさいし引きこもっていてもよくないし」
「それでどうして俺の家に決めたんだ」
彼女は酔っているのか。そうでもなければこんなとんでもないことを言い出すはずがない。
「酒でも飲んでるのか」
「素面です」
昨日の切羽詰まった空気とはうって代わりめちゃくちゃな発言が続く。
「そうだよね。亮は迷惑するはずだよね。でも私家事もするしいい奥さんになるよ?」
「結婚もしていないのに奥さんもなにもないだろう」
亮が突っ込んでも彼女は全然気にしない。
昨日までのおとなしさも慣れてきたせいか鳴りを潜めていた。
「それともすでに彼女がいるとか」
「それは……いない」
自分から白状するのは恥ずかしかったがつい本当のことをいってしまった。
「ならいいじゃん。とってくうわけじゃないし」
「それより君のお母さんにどう説明すればいいんだ」
昨日でさえあんなに嫌そうな声で不承不承納得してもらったのに同居とくれば母親が黙っているはずない。
「昨日の今日で君はなんてこといってるんだ」
あんなに大事に葉書を持って亮を待っていたというのにいざ泊ったとなれば態度が大きくなる。
思えば彼女はそういう人だった。
記憶を失っても中身は変わらないのかも、そう思った。
「ええ亮が冷たい……」
「俺は全然冷たくない。君がぶっ飛んでるだけだ」
いい年の男女が一つ屋根の下で暮らすとなれば周囲にどう説明すればいいのだろう。
「もしかしていや……?」
少し落ち込んだ声音で言われると亮はこれ以上彼女に冷たくできなかった。
「いや……ではないけれど」
そこがダメだった。
「じゃあ私これからここで暮らすね。お母さんには私の方から言っておくから」
言質をとった彼女は亮の思惑とは別に動き出す。
「おい生活費とかどうするんだ」
「ふふん。ここにカードがあります」
得意気に財布からクレジットカードを取り出す。
「それ親からもらったやつだろう」
「いいじゃない。親の七光りってやつだよ」
「使い方間違ってる」
そんな風にやり取りをしていると時間はどんどん過ぎていく。
「あっ。そろそろバイトの時間だ」
時計を確認すると午前七時半。バイトは九時からだから今から準備をしないと間に合わない。
いくら近所にすんでいるとはいえ交代時間の前にいかなければいやな顔をされる。
店長は気むずかしい人なのだ。
「とにかく俺は認めないからな。昨日は泊めたけど今日中に家に帰るんだぞ」
「はーい。わかったよ」
全然わかっていない様子で手をヒラヒラと振る。
「今日の夕飯よろしくね」
「って話聞いてないな」
性格が元に戻ったのかそう振る舞っているのかはわからないが彼女は亮の家に居座るつもりらしかった。
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