第2話
ずぶ濡れの千春にタオルを渡した。そもそもどうして亮を待ち構えていたのか。聞きたいことは山ほどあった。
だけど今はおいておく。
「清水亮さん」
「前みたいに亮って呼びなよ」
どこか他人行儀の彼女に一抹の寂しさを感じながら着替えを渡す。
「男物だからサイズがあわないと思うけどこれで我慢して」
「すみません」
「俺ってそんなに威圧的に見える?」
彼女は萎縮したようで部屋の隅で縮こまっていた。
「着替えている間に晩飯の準備しておくから」
もとより自炊は苦手ではない。それなので手早く簡単な食事を作る。
冷凍ご飯を使ったチャーハン。彼女は卵が苦手なのでシンプルに醤油味だ。
それに中華スープを粉末の調味料で作るとこれで完成だ。
「もうそっちに行ってもいい?」
「だ、大丈夫です」
彼女は女性には大きすぎるTシャツとダボダボのスエットを来て手持ち無沙汰そうにしていた。
「チャーハン作ったから食べて」
食器は一人分しかないから必然的に一つのお皿で分け合うことになる。
「あの……亮の分は?」
「君が食べてから残りを食べるからいいよ」
小さい頃からそうしていた。
もしかしなくとも彼女は驚いているだろうか。
しまった。亮はいつもの癖でついシェアすることを前提にしていた。
「悪い。いきなり知らない男の部屋で放っておかれてこうだったら困るよな」
「いえ……。以前はこうしていたんでしょう」
「その敬語もやめてくれる?俺たち一応幼馴染みなんだし」
「はい、じゃなくて……うん」
どこかぎこちない様子がおかしくて俺は笑ってしまう。
「そんなにおかしいかな……」
「だってあのお転婆娘の千春が俺に対して敬語って。ギャップがありすぎ」
ひとしきり笑うと俺も彼女に対して抱いていた警戒感が和らぐ。
記憶を失ったというのはあながち嘘ではないのかもしれない。
「それで俺に聞きたいことって?」
自然とその言葉を口にしていた。
「それは……十年前のこと」
「俺たちが十歳のころか」
ちょうど成人したばかりなので年齢も数えやすい。
千春は大学二年生、まだ楽しい盛りだ。
「その頃つけていた日記を見ていたんだけどそのなかにはあなたのことばかり書いてあった」
どういうことだろうと亮は首をかしげる。
「その頃の私は毎日が楽しそうで好きな男の子がいた。それを確かめに来たの」
なんとも純粋な話だ。
「私は交通事故で頭をうって昔の記憶がすっぽり抜けてしまったの。もちろん今のも」
なにか重いものを背負ってるみたいな口ぶりだった。
「家族のことも友達のことも全然わからなくてそれが怖くてずっと閉じ籠ってた。それで亮のくれた葉書を見つけてここまで来たの」
どこかおとなしくなっていると感じたのはそのせいか。
確かにその状況になったら明るく振る舞うのは大変だろう。
「私たち十年前に何があったのかわかればなにか変わると思って……」
「十年前ねえ」
その頃の亮の生活はそれなりにひどいものだった。父親はアルコールに溺れ母親は家を出ていった。兄弟もいたが彼らも荒れ放題で学校の問題児だった。そのなかでは比較的まともだったので亮は母親がいなくなった家で家事をして生活を保っていた。
人から殴られるのなんてしょっちゅうだったし傷の絶えない日々を送っていた。
自分からやり返すときもあったしそのままのときもあった。
そして傷だらけの亮を救ってくれたのは千春だった。
だがその記憶はどこか苦いものだった。
光が強ければ強いほどまた闇も深くなるとはいったものだ。
「俺から言えるのは大したことじゃないけど」
「お願い……」
すがるような瞳で見上げられると答えに詰まる。
「簡単に言えば君は地元の名士の娘で困っている俺を助けてくれた。それだけの関係だよ」
ずいぶんとあっさりした言い方だったがこれで十分だろう。
「困っているってなにを?」
「ものがなかったら恵んでくれたし怪我の手当てもしてくれた」
優しい彼女の行動に救われていたと同時に自分の弱さにどうしようもない憤りを覚えたのも確かだ。
「これ以上は言いたくないから食事始めるぞ」
冷めかけたチャーハンはあまり美味しいものではないのだが彼女はそれなりに食べた。
「美味しかったよ。でもどうして卵が入ってないのかちょっと不思議で」
「ああそれか。君は好き嫌いがあってね。特に卵は苦手だったんだ」
その言葉に目をぱちくりさせる千春。
「でも私好き嫌いはないって親に言われました」
「敬語戻ってる。それは周囲には隠していたことだからな」
彼女は別人なんだと実感する。好みも変化したししゃべり方も変わってしまった。
そんな彼女が亮の渡した葉書を手にやってきたのだ。
それは過去を取り戻すため?
だとしたらあまりにも残酷だ。
自分の過去を話すことがこれほどまで苦しいことだとは思わなかった。
思い出すだけで胸が痛み涙が流れてきそうだった。
ようやく忘れかけたというのに。
千春は自分のためといって無自覚に亮の傷をえぐる。
実家を出て自由な生活を楽しんでいるというのは建前だ。
本当はただ逃げてきただけ。
それがわかっているからこそ過去の自分と向き合うのは怖かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます