九 太郎の呪文の巻

 クネンボみかんの木を囲む森は、天狗森てんぐもりと呼ばれていました。神隠しをするテングのねぐらではないかと、この近在でも怪しまれているところでした。


「なにゆえあっての狼藉ろうぜきじゃ?」


 テングは息を切らして、ミカンの木のてっぺんに身を隠しました。


「だってテングを見たら逃げろって、おばあちゃんが言ってたもの!」


 吠えるオオカミとたけるカッパに挟まれて、小さい太郎が叫びました。


「逃げるどころか! 最前さいぜんより、こうから攻めてくるではないか!」


 テングは声を震わせて抗議しました。


「ほんとだ」


 太郎があははと笑いました。


「太郎さんをさらおうとしたからだ!」


 オオカミがガルルルと唸りました。


「ええっ! そうなの?」


 太郎は急いでオオカミのおなかの下に隠れました。


「降りてこい、テング! 正々堂々と着物を脱げ!」


 カッパも叫びました。


滅相めっそうも無い! その子を掠うなど、思いもよらぬ!」


 顔色を変えたテングは、大きなミカンに顔を隠しました。


 ――食べ頃のミカンを一人占めしようと思っただけなのに。


 このミカンの木は、テングが毎日のように手入れをしていたのです。

 しかし、もともと自然に山に生えていたものですし。こんなちいさいぼうやに、「一個もやらないよ!」と言い放つのも大人げない話です。気がとがめて不愉快になったテングは、さっさとこの場から飛び去ろうと思いました。


 するとそのとき、太郎が声高く唱えました。


「アビラウンケンソワカ!」<注>


「ありゃりゃあ!」


 翼に力が入らなくなったテングは、ミカンの木から真っ逆さまに落ちました。


* * *


<注> 阿毘羅吽欠蘇婆訶(アビラウンケンソワカ)……大日如来だいにちにょらいの名を表す真言しんごん。 地水火風空、すなわち世界全体を意味します。昔話にたびたび登場する、ありがたい呪文。

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