六 緑色のバケモノの巻

 峡谷の底によどんだ淵は、そこだけが妙に静かで、風さえ息をひそめて通り過ぎるようでした。みぎわには、ななめにねじくれた柳の古木が立っていました。


「びっくりしたあ! イヌさん、すごいねえ!」


 太郎はオオカミの背からすべり降りると、高い崖の上を見上げました。さっきまで、あそこにいたのです。


「いまの、もう一回やりたいなあ」


「また今度だな。クネンボみかんまで、あと少しだぞ」


 オオカミは笑って、鼻先で太郎のお尻を押しました。そして二人は、その淵に流れこむ沢に沿った径を、上流へ向かって歩きだしました。


 淵の水面みなもに太郎の影が映ると、コポリと大きな泡が浮きました。


「あれ? なんか、いるのかなあ?」


 太郎がのぞきこむと、暗い水の底から血のように赤い目玉が、ジロリと太郎を見つめかえしました。


「わあ! 助けてえ!」


 ザバリと淵から躍り出たバケモノが、濡れてねばつく緑色のてのひらで、驚いている太郎の腕をつかみました。


「やめろっ!」


 オオカミの牙が、バケモノの腕に食らいつきました。しかし、バケモノが素速くその手を引っ込めたので、太郎はよろけて前にのめりました。


「きゃあああ!」


 太郎が落ちた水面に、高くみず飛沫しぶきが上がりました。


「太郎さん!」


 オオカミが太郎を助けに飛び込もうするより、一瞬先に。

 バケモノが淵に飛びこみました。そして見る間に太郎を抱え上げると、岸辺の柔らかい枯れ草の茂みに放り投げました。 


「太郎さん! 大丈夫か?」


 オオカミの大きな舌が、耳やほっぺをなめると、太郎はくすぐったがって「やめて!」と笑い転げました。びしょ濡れでしたが、水は飲んでいませんでした。


「おい。はやく濡れたものを脱げ! ニンゲンは濡れると死ぬんだぞ!」


 また戻ってきたバケモノが、ポタポタと水を滴らせながら、太郎に命じました。


「そうなの?」


 太郎は、あわてて裸ん坊になって「へっくちん」とクシャミをしました。それでオオカミにお尻をなめられて、また「うひゃひゃひゃ」と笑いました。


 バケモノは太郎より少し背丈の高い、子どもの姿をしていました。でも、すっ裸の全身は、ぬらりとしたの色です。赤い目は満月のようにまんまるで、口はパクリと耳まで裂けていました。おばあちゃんの言っていたカッパに違いありません。


「そうだ! いいものがある!」


 カッパは、ねじれ柳のほらに頭を突っ込むと、古いかすり単衣ひとえをひっぱり出しました。むかし「奉納ほうのう相撲ずもう」というものが見たくて、人里から盗んで隠しておいた代物しろものでした。


「おいらの古着だ。おまえにやるよ!」


 カッパは太郎の手に着物を押しつけました。


「ありがとう。カッパさん!」


 桃のようなほっぺを赤くして、太郎がお礼を言いました。


「太郎さん。こいつに礼なんか言うな!」


 牙をいたオオカミが、あかいたてがみを逆立ててうなりました。


「おい、カッパ! よくも太郎さんを水に引きずり込もうとしたな!」


「ちがうよ!」


 カッパは頭のお皿の水をはね飛ばして首を振りました。


「うそつけ! 太郎さんの生きぎもを喰おうとしたんだろう!」


「ええっ! そうなの?」


 太郎がおびえた目でカッパを見つめました。


「そう言えば、カッパを見たら逃げろって、おばあちゃんが言ってた!」


「ちがうってば!」


 カッパは泣きそうになりました。

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