五 イヌの道案内の巻

 オオカミは羊歯しだの葉をパキパキと踏み折りながら、九年母くねんぼやまふところ深くへと入ってゆきました。

 そこは「おおかみかくだに」と呼ばれるところでした。入りくんだ尾根に隠された谷間は、風もひやりとうそ寒く、誰も見たことのないような巨木が、あちこちで狭い空を仰いでいました。


 太郎の腰より高くつもった黄色い枯葉に混ざって、茶色い丸い実がたくさん落ちています。顔を上げると、こけしてなおそびえ立つ、神様のようなとちの大木が微睡まどろんでいました。


「こんなとこ、はじめて来た!」


 太郎は目をまるくして、古木の森を見渡しました。


「たぶん大昔から、この谷に人が入ったことはないよ」


 小さい太郎のために、下生したばえのやぶを踏み分けながらオオカミが言いました。

 ふいに心細くなった太郎は、とちの実を拾うのを諦めて、オオカミのシッポの先を握ってついてゆきました。


 藤蔓ふじづるがぐるぐると巻きついた大岩の隙間に、オオカミのシッポがすべり込みました。太郎もそこをってくぐり抜けると、岩山に大きなノミで一筋を入れたような細い峡谷が待っていました。


 水の匂いがしました。オオカミは崖の端に坐って、下を見おろしています。太郎も並んで崖下を見おろすと、とろりとよどんだふちがありました。

 その谷の切り立った岩肌は、白くて磨いたように滑らかです。


「太郎さん。ここは難所なんしょだ。俺の背中に乗れ」


 赤松色のふかふかした毛並みを太郎に向けて、オオカミが言いました。


「ええっ? イヌさん。ここを降りるの?」


 太郎はもう一度、崖下を見おろしました。


「さっきのとちの木と同じくらい高いんじゃない?」


「心配するな。クネンボみかんを取りにいくんだろ?」


 オオカミが牙をいて笑ったので、太郎はうれしくなりました。


「うん!」


 よいしょと太郎がまたがると、オオカミは崖の端で身を屈めました。


「いくぞ、太郎さん! しっかりつかまれ!」


「はあい!」


 オオカミの足が力強く地を蹴りました。


「うわああああああ!」


 太郎の桃のような頬に、思いきり風が吹きつけます。

 跳躍したオオカミは、太郎を背中にしがみつかせたまま、前足と後足とシッポを大きく広げて、ひらりと宙に舞いました。まるでムササビのようです。


 ――うああああ…… うあああ…… うああ……


 太郎の叫び声が、こだましました。


「落っこちゃう!」


 太郎が、風になびくあかいたてがみに顔をうずめたとき、オオカミは淵の岸辺に、しなやかに着地しました。

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