四 狼峠のイヌの巻

 さっきの岩棚は「狼峠おおかみとうげ」と呼ばれ、よくオオカミがうろついているので、この近在でも恐れられている場所でした。


 今がいまにも、太郎のかかとのすぐ後ろを、ぴたりと大きなオオカミが尾行つけてきます。けわしい山路やまみちをころげるように駆けおりてゆくと、いきなり見晴らしがひらけました。目の前は崖っぷちです。でも、勢いのついた太郎の足は止まれません。


「たすけてえ!」


 宙に浮いた太郎のえりを、牙のはえた大きな口がくわえて、ぐっと引き戻しました。


「あれえ?」


 驚いている太郎をそっと草むらにおろすと、オオカミは牙をいて言いました。


「俺はオオカミじゃないよ!」


「ええっ! ほんとうに?」


 太郎は目をみはって、大きなけものを見あげました。

 あかいたてがみは燃える陽炎かげろうのようですし、鋭い牙はいだ刃物のようです。

 こんな野獣けだもののようなイヌって、いるのかしら。太郎は首をかしげました。


「ほんとうだよ! わんわん!」


 オオカミはあおむけに寝ころがり、可愛らしく前足を折ると、なるべく無邪気に見えるように、舌をらして笑いました。


「よく間違えられるけど、俺はイヌだよ。わんわん!」




「なんだあ。イヌだったのか」


 あははと笑った太郎は、そでで鼻水をふきました。


「ごめんね。イヌさん。僕、オオカミって見たことないから間違えちゃった」


「いいさ! 気にするなよ。わんわん!」


 自称イヌは愛想良く吠えながら、遠い目をしました。


 ――なりゆきで嘘までついてしまったけれど。どうすれば、あの丸いものが貰えるのだろう。もはや俺には見当もつかない。


「イヌさん、どうしたの?」


 オオカミのふかふかした胸の毛に触りながら、太郎が訊きました。


「なんでもないよ。わんわん。――ところで、ぼうやはどこにいくんだい?」


 寝ころんだまま、オオカミは太郎を見上げて訊きました。


「クネンボみかんを取りにいくの!」


 太郎は元気に返事をしながら、いま駆けおりてきたみちを見あげました。


「でも、道が分かんなくなっちゃった」


「それなら俺が送ってやるよ」


 こんな小さい子が、山で迷子になったら大変です。

 責任を感じたオオカミは、くるんと起き上がって風の匂いを嗅ぎました。


「クネンボみかんは、あっちだ。ついてこい」


「うわあ! イヌさん、ありがとう!」


 太郎は顔をくちゃくちゃにして笑って、オオカミにお礼を言いました。


「いいのさ。わんわん」


 太郎に背を向けたオオカミは、くっと涙をこらえました。

 ほんとうはこう言いたかったのです。


 ――送ってあげるかわりに。ひとつ、わたしに、くださいな。




 すると。


 オオカミの鼻先に、竹の皮の包みが差しだされました。


「イヌさん。きびだんご、あげる!」


「なんだって?」


 オオカミは息が止まりそうになりました。


 ――くれるの? ほんとに?


「助けてくれた、お礼! それに、僕、おなかすいちゃったんだ」


 太郎はうふふと笑うと、草むらに坐りこんで包みを開けました。


「ありがとう! ぼうや!」


 オオカミは千切れるほどにシッポを振りました。


「僕、太郎だよ」


 太郎はきびだんごをひとつつまんで、オオカミにあげました。


「おいしい! これ、おいしいぞ!」


 きびだんごの美味しさに、オオカミは耳の先からシッポの先まで震えました。


「おいしいね! いっぱいあるから、もっと食べなよ!」


「ありがとう! 太郎さん!」


 こうして二人は友だちになりました。

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