第六話 一言主の神様

 1 文句の多いおじさん

 時雨が清めた境内から、祭り囃子ばやしが聞こえはじめました。

 今夜は鎮守様の宵祭りです。足元の濡れた玉砂利が赤い提灯ちょうちんの明かりをはじきます。


 夜店の並ぶ参道をそぞろ歩く人波に混じって、猫背のおじさんが歩いていました。生まれつき下がり気味の眉毛が、いつも眉間にしわを寄せているせいで、「へ」の字の形に見えます。


「どこから湧いてくるんだ、こいつらは。嬉しそうな顔しやがって。歩きにくくてかなわん。まったく腹立たしい!」


 おじさんは聞こえよがしにブツブツ言いながら、人を押しのけるようにして先を急ぎます。おじさんの靴が、参道に散り敷いた鮮やかな紅葉を蹴散らかしました。


「あ。いつの間にか俺のズボンに染みがついてる。おのれ、腹立たしい」


 この「腹立たしい」は、おじさんの口ぐせです。

 なにか腹立たしいことはないかと、いつもキョロキョロしています。


 おじさんがふと道の端を見ると、いつもは閉まっている竹の間垣の木戸が開いて、脇道が通れるようになっていました。でもそちらには提灯の明かりはなく、足元もさだかに見えない暗い小径をゆく人は、誰もおりませんでした。


「これはいいぞ。遠まわりでも、こっちにしよう」


 ひねくれ者のおじさんは、喜んでその脇道にそれました。


 木の根でデコボコした小径をたどっていくと、ぼんやりと石灯籠が灯っていました。その灯りはこけした石のほこらを照らしていました。おじさんは、その古びた石屋根に見覚えがありました。


「おお。これは一言ひとことぬし様じゃないか!」


 幼い時分の思い出がよみがえります。おばあちゃんがおんぶして、ここに連れてきてくれたのです。この祠に頭をさげて、おばあちゃんは願いごとをしました。


 ――『この子の、おねしょが治りますように』


「この神様は、ただ一言で願いごとをすると、必ずかなえてくれるって、ばあちゃん、言ってたよなあ」


 ばあちゃんの願いはたしかに叶いました。それが証拠におじさんはあれからおねしょをしていません。おじさんは欲深い目つきになってウヒヒと笑いますと、祠に向かって手のひらをゴシゴシとこすり合わせ、への字の眉間に力を入れて、ギュッと目をつぶりました。


「ええと――」


 そう言ったとたんでした。


「ほらまた、ええと、だよ!」


 いつの間に現れたのか、白い水干すいかんの袖に風にはらませた童子が、おじさんの正面に立っていました。ぷうとふくれた丸いほっぺたが、夜目にも白く見えました。


「なぜ、この場に来てから考える?」


 光り輝くお姿は、見るからに神様です。おじさんは、のけぞって転びました。


「来るヤツ、来るヤツ、みんなして『ええと』って。それ、なんなのっ?」


 一言主様は、憤懣ふんまんやるかたない御様子でした。


「こっちは気合い入れて構えてるんだよ? さあ、願い来い! 叶えてやるぞって!」


 一言主様は、地べたに這いつくばったおじさんを、ジロリと見おろしました。


「ここは、ただ一言なんだから! もっと緊張感、持たないと!」


「うひゃあ。もうしわけありません」


 おじさんは平たくなって頭を下げました。


「僕はね、セッカチなんですよ」


 一言主様は、艶やかな浅沓あさぐつの爪先をカタカタと鳴らしました。


「くどくどと長い話は、聞いていられないタチなんだ。だから願いごとは、ただ一言でと、言ってるのに!」


「お腹立ち、ごもっともでございます」


 おじさんは地面に額をすりつけました。


「わかったね。なら、やってごらん」


「はい?」


 おじさんは上目づかいに、神様の顔色をうかがいました。

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