みっつ

 私は心中で快哉かいさいを叫び、その急峻な岩場の径をたどった。


 夏の陽射しにあぶられながら半時ほども登ったろうか。ふいに冷たい風が尾根を渡って吹きおろした。森の梢がザワザワと鳴り、山頂を隠していた雲が渦を巻いて視界を包んだかと思うと、いきなり生温かい雨粒が叩きつけてきた。


 傘も合羽かっぱも持たない私は途方に暮れた。雨宿りのできるような場所など見あたらない。吹き荒れる風にあおられまいと、私は狭い岩場でうずくまった。

 雨水が滝のように伝う岩肌に、身を擦りつけるようにして屈み込むと、私の膝の高さに大きな割れ目が口を開けている。もちろん私は、これ幸いと頭から這い込んだ。

 その奧は深いほらであった。


 洞窟。これぞ冒険者の聖地である。

 全身ずぶ濡れであることなど、きれいさっぱり頭から飛んだ私は、濡れたリュックから懐中電灯を取り出し、わくわくと胸を弾ませつつ、スイッチを入れた。

 先月の誕生日に買って貰ったばかりの青い懐中電灯は、カチリと心地良い音でともった。さあ、白く放たれた光が一筋に伸びた先を見よ。


 私は、あらん限りの叫び声を上げた。


 枯れ木のような人影が、の背後の岩壁に大きく伸びた。

 とてつもなく凄まじいものが、光の輪の中にいる。

 逆立った髪を振り乱し、片方しか無い目をギョロつかせている。


「まぶしい! うるさい! 喰い殺す!」


 身の毛のよだつようなバケモノが、しゃがれた声で悪態をついた。


「すいませんでした!」


 私は慌てふためいて懐中電灯をまたに挟んだ。恐怖で指が言うことをきかない。苦労してスイッチを切ると、新たに生まれた闇の奧から、先程の嗄れた声が轟きわたった。


「わしはゴーヤ峠の山姥やまんばだ。坊主ぼうず。お前は、わしの山に何をしに来たのだ」


 木枯らしのような声がじりじりとこちらに近寄ってくる。

 私は懐中電灯を握り締めたまま立ちすくんだ。


「すみませんでした! ただちに帰ります!」


 逃げだそうとした私の首根っこを、なにかがガッツリつかんで引き戻す。首筋に猛禽類もうきんるいのかぎ爪のような感触がする。膝がガクガク震えて使い物にならない。


「何をしに来た、と訊いてるんだ」


 気を失いかけた私を、山姥は容赦なく揺さぶった。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ゴーヤ峠が見たくて来たんです。許してください」


 私は泣いて謝った。

 すると、山姥はさも嬉しそうに、くっくと笑った。


「おやあ、そうかい。そんなにわしの里が気に入ったなら、おいで」


 私の襟首を掴んだまま、山姥は稲妻のように暗闇の奧へ駆け出した。


「この山のふもとの里では、何も言われなかったかい」


 闇を駆け抜けながら、山姥が訊いた。


「その名をっ  口にするなとっ  言われましたっ」


 大風の日の洗濯物のように、横にたなびきながら私は答えた。


「大人の言うことは、聞くもんだろうが」


 山姥は身の毛のよだつような声でゲラゲラと笑った。

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