3 迅速な対応

「そういうことでしたら、ちょっと相談があるんですけど――」


 俺はつい敬語になった。我ながら器が小さい。


「なんなりと」


 信太の笑顔が30cmの距離にある。


「先日、ブログが――。俺のではなく、友だちですけどね。ええとその、炎上してしまって。いや、友だちなんですけどね。ほんとに。庇おうものなら飛び火しそうで、手をこまねいているんですが」


 信太は深刻な面持ちで頷いた。


「それはお気の毒に。まだ鎮火されていらっしゃらないんですか?」


「ええ、いつになるやら。そういう場合の保険ってあるんですかね」


「はい。炎上保険というものがございますよ」


 信太はアタッシュケーズからパンフレットを取り出すと、テーブルに広げた。


「状況に応じて補償金をお支払いしますし、その後の対応も支援させていただきますよ。公式のホームページが炎上しますと、リスクは甚大ですから、企業向けの保険は大手の保険会社にもありますが、わたくしどもでは個人ブログ用の保険も揃えております」


「あの……。普通に保険屋さんみたいですけど、ほんとに宗教法人の扱いで大丈夫なんですか」


「安心してお任せください。ここだけのはなしですが、いざとなれば、さる政府要人の忖度そんたくが発動いたします。ちなみにその御方の頭文字は続けてAとBです」


「ええ? どういう関係なの?」


「個人情報ですので、申し上げにくいのですが。専務が遠い縁続きなんです」


「マジすか。それチートじゃないすか」


 そこまで面白いことを言ったつもりは無かったのだが、信太にはおおいにウケた。

 金茶色の髪を揺らしてケラケラ笑われると、俺も嬉しくなって一緒に笑った。


「他にも、このような商品がございます」


 続いて取り出されたパンフレットは、贅沢な和紙に、鶴亀の意匠で印刷されていた。表紙を読むなり、俺は目を疑った。


「離婚保険って、どんな?」


「御入籍と同時の御加入をお勧めします。いかがですか」


 信太は満面の笑みで押してくる。


「そんな、縁起でも無い!」


 ここ二ヶ月会っていない恋人の顔が、まざまざと目に浮かんだ。

 就職して以来、同い年の恋人とは、ライフスタイルも気持ちもすれ違うことが増えていた。


「起こりうる可能性の捨て切れない、万に一つの惨事に備えるが保険でございます。厚生労働省の報告によりますと、去年の離婚率は約二割八分ですよ」


「三組に一組が破綻?」


「一度始めてしまった共同生活をやめるというのは、なにかと費用がかかりますよ?」


「それはそうかも知れないけど」


「予期せぬ未来に遭遇されたお客様からは、入っててマジ良かったと、御好評を頂いております」


「いやでも。念のために入っとこうよ、なんてパートナーに言う勇気は、俺にはないよ」


「そんなお客様の背中をそっと支えるのが、私どもの仕事でございます」


 信太は上目遣いに、ひひひと笑った。笑顔に黒い陰がある。

 今夜はどんなに遅くなってもラインを送ろう。有給取ってデートしよう。


「このTS保険っていうのは、なに?」


「或る日突然、性転換してしまった場合の保険です」


「いきなり何を言いだす?」


「君の名は、御存知でしょう。あれがリアルに起きたとしてごらんなさい。事態は想像を絶しますよ、お客様」


「う。言われてみると、考えたくない」


「メンタルのケアも含めまして、私どもがしっかりお支えいたしますからね」


「その頼もしさが、逆に恐いんだが」


「どうか遠慮なくお任せください」


「そしたら、このTurn保険っていうのは、まさか?」


「はい。別名、転生保険でございます。さては深山様、こちら方面にお詳しいですね?」


 へへっと信太が笑う。なんだ、その目は。


「――入る奴、いるの?」


「毎日ダンプにぶつかるのであれば、傷害保険よりはるかにリーズナブルです」


「保険に入っても、なにも報われなくね?」


「明日に向き合う安心感がちがいます」


「君、どこまでも力強いね」


「おそれいります。ちなみに、こちらの汎用タイムスリップ保険には、信長特約も御用意してございます」


「信長特約?」


「タイムスリップして、織田信長に出遭う頻度といったら、浅草で外人に道を訊かれる以上の高確率ですから」


「そこまで?」


「そのうえ、必ず本能寺の炎上に立ち会います」


「あそこが見せ場だしね」


「作者のケレン味たっぷりの演出ほど、当事者にとって迷惑なものはございません」


「たしかに、そうかも知れないけど、もっとありそうな保険はないの?」


「はい。いわゆる『日常の危機』に陥った場合の保険でしたら、こちらに」


 信太は、別のパンフレットの束を広げた。

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