機械仕掛けでも構わない

樹一和宏

機械仕掛けでも構わない


 花を枯らしてしまった。はしゃいで買った牛乳瓶に入れた花だ。気分は憂鬱で、空模様も憂鬱だ。今にも降り出しそうで、でも降らない、そんな煮え切らない感じ。

 テーブルに伏せていると、


「風邪を引いてしまいますよ」


 とアンドロイドがブランケットを私に掛けてきた。

 私は「ありがとう」とお礼は言わず、されど「オイルいる?」なんてアメリカ映画みたいなことも言わなかった。そういう気遣いがプログラムされていることだって達観しているわけでもないし、勿論、ロボットだからそういうことをするのは当たり前だとあぐらを掻いているわけでもない。

 私はただ、アンドロイドがどうしても好きになれないのだ。

 もしアンドロイドがこの世にいなければ、少なくてもあと一日は彼と一緒にいられたのだから。


 ※


「誕生日おめでとう!」


 慎二が大袈裟に声を張り上げて拍手するもんだから、私は照れくさくて思わず「やめてよ」と肩を叩いた。

 ロウソクの火を消すと、もう一押しと慎二が歓声を上げる。


「二十んーしゃら歳だね!」

「気ぃ遣わなくていいよ」

「そう? じゃあ三十路おめでとう!」

「四捨五入しないで。それを言ったらあんただって三十でしょ」

「俺四捨五入したら二十歳だし」

「たかが数ヶ月でしょ!」


 そうツッコミを入れると私達はどちらからともなく笑い合った。

 大学の演劇部で知り合って、卒業と同時に同棲を始めた。かれこれもう五年の付き合いになるのか。互いにサラリーマン、OLになっても関わらず、依然として私達は大学生みたいなノリでショートケーキに二十五本のロウソクを刺したりしている。

 慎二がトイレに立っている間に私の穴ボコのケーキと慎二の無傷のケーキを交換する。


「あ、フジツボケーキが俺のと交換されてる!」


 わざとらしく白を切っても、彼はやれやれと言った表情のまま、そのケーキに口を付け始めた。そういう所に私はホント良い奴だなって思ってしまう。

 ケーキを食べ終えた頃、「じゃあそろそろ」と慎二が立ち上がった。

 何だろうと目で追うと、慎二は寝室に入った。出てくると、その手には掌サイズの小箱が握られていて、私は一瞬ドキッとしてしまう。


「あ、違う。そういうのじゃないから。そういうのはもっとちゃんとした時にするから」


 慎二は顔を赤らめたまま席に着くと


「はい、誕生日プレゼント」


 とその小箱を差し出してきた。手汗を拭いて、小箱を受け取る。


「開けてもいい?」

「是非ぜひ」


 小箱の中身は妖精の形をしたピアスだった。二つが対になって、向き合うようになっている。私はそれに見覚えがあった。


「これってもしかして」

「そう、こないだ恨めしそうに睨んでたやつ」


 あれは一分にも満たない時間のはずだった。一ヶ月程前、二人でショッピングモールをブラブラしている時にたまたま見掛けて立ち止まったのだ。一目惚れだった。彼は少し前を歩いていて、ガラスケースを覗いて立ち止まっていた私に気付いただけのはずだった。


「ほら、付けてみて」


 私はまた手汗を拭いてから宝石を触るような手付きでピアスを取りだして耳に付けた。


「どう?」

「似合ってるよ」

「コメントがつまらない。やり直し」


 思いもよらなかったみたいで、慎二が端から見ても分かるぐらい挙動がおかしくなった。それが面白くて私が笑うと、慎二も釣られて笑った。

 機械の入る余地のない、私達だけの部屋のことだった。


 ※


 ピアスをなくしてしまった。もらってから出かける時は必ず付けるぐらいにお気に入りだったのに。バッグをひっくり返しても、小物入れをひっくり返しても、前回なくした時にあったコートのポケットをひっくり返しても、ピアスは見つからなかった。

 今でも何度も思い出して抱きしめるぐらい大切な思い出の品だけに、私はショックで仕方がなかった。

 包丁で指を切って、洗濯物を洗ったまま干し忘れて、テーブルに小指をぶつけてと散々だった。


「あんた大丈夫?」

「大丈夫だよ。そんなに心配しないで」


 お母さんから電話があった。慎二のお葬式から数週間経った頃だった。


「あんたのSNS見てたら心配になっちゃって」

「何で私のアカウント知ってるの!?」


 お母さんはそんなことどうでもいいでしょ、と話を勝手に進めた。


「それで心配だから最近流行りのアンドロイド買ったから」

「え、どうしてそうなるの?」


 私は最初、お母さんが自分の家用に買ったのかと思った。直後、家のインターホンが鳴り、爽やかな青年が


「お届け物でーす」


 と高らかに声を上げた。


「あたしんのじゃなくて、あんたのだから」


 私の身長を超える巨大な段ボール。箱を開けると、ロボット丸出しの人型アンドロイドが入っていた。その姿はアシモを彷彿とさせた。


『アンドロイドがロボット丸出しなのは道徳やら倫理感の問題なんだって。少子化が進むこのご時世で、人間と同じ容姿にしてしちゃうと、ロボットに恋しちゃう人が出ちゃうかもしれないし、人間のためのロボットのはずがロボットのために命を賭ける人が出ちゃうかもしれないから、なんだって』


 と昔、慎二が言っていた。


「初めまして、初期設定プロセスを開始します」


 アンドロイドはぎこちない日本語を喋り出して、私は思わず


「はい、よろしくお願いします」


 と頭を下げてしまった。


 ※


「ねぇどーしよ。ピアス見なかった?」


 小物入れとバッグを交互に何度もあさりながら、私はさっきからソファで寝そべってテレビを見てる慎二に尋ねた。


「見てないけど。もしかしてなくしたの?」

「なくしてない。見つからないだけ」

「それってどう違うんだよ」


 ったく、と慎二が重そうに腰を上げた。


「最後に付けたのは?」

「昨日遊園地行ったときー」


 なるほどなー、と慎二が洗面所へと向かう。お風呂に入る前に外したかも、とそこは既に一度探した場所だったが、もしかしたら私が見落としている可能性を賭けて何も言わなかった。そんなことよりも


「早くピアス見つけないと、涼子達との待ち合わせに遅れちゃう」

「別にあれにこだわらなくてもいいでしょ。他の付けて行きなよ」

「まぁ……そうなんだけどさー」


 あのピアスはお気に入りだった。だから今日みたいに高校時代の友達と久しぶりに会うような気合いを入れる日には付けて行きたかった。

 私の歯切れの悪さを察したのか、慎二は


「じゃあ探しとくから、早く行きな」


 と、床に這いつくばって洗濯機の下を覗きながら言った。更に続けて


「もし見つからなかったらまた同じの買ってやるから」


 と事もなげに言ってきた。私はそれに一瞬イラついた。


「やだ」


 棘のあるニュアンスに驚いたのか、慎二がこちらに首を向けてくる。


「……去年くれたあれじゃなきゃ嫌」


 ピアスを貰う前と貰った後でで特別私達の関係は何も変わっていない。でもこれまで一緒に色んなことを積み上げてきたものの形の一つにあのピアスがある。あのピアスを貰ってからも一緒に温泉に旅行に行ったり、花屋にお花を買いに行ったり、遊園地に遊びに行ったりとあのピアスと共にした思い出がある。だから私は同じ形のピアスじゃなくて、誕生日プレゼントとして一年前に貰ったあのピアスがいいのだ。


「……そっか。じゃあ探しとく。俺の晩飯を賭けてね」

「よろしくね」


 私は慎二にピアスの捜索を託して、後ろ髪を引かれながら駅へと向かった。



 

 久しぶりの涼子達との女子会は楽しかった。会社の同僚達とはしにくい話で盛り上がった。当時は飲めなかったお酒も入って、高校生の時みたいに恋バナをしてはしゃいだり、イケメン俳優の話で討論したり、下ネタで笑い合ったりで、帰りは終電になってしまった。


「たっだいまー!」


 フワフワにご機嫌にご帰宅した私は玄関を開けるなり、声を上げた。


「ばっか。こんな時間に大声出すなよ」と慎二が出迎えてくれる。

「コラッ明日出勤だろ! 遅刻したらどーするんだ! 良い子は寝なさい!」

「だから声でけぇって」


 ナハハハと私は上手くヒールが脱げなくて、転びそうになって慎二に抱き支えられた。


「おい、どさくさに紛れておっぱい触るなよー」

「しょうがないだろって、酒臭っ」


 顔をしかめる慎二にハーと息を吐く。


「うわっ」と眉間の皺を強めて私は面白くて笑った。

「ここまで酔うなら先に寝とけば良かった」

「お、もしかして私の帰りが心配で起きてたの?」

「違う。ほらちゃんと立って」


 慎二に手を引っ張られて私はソファに座らせられた。


「ちょっと、私が酔ってるからってそういうのやめてよねー」

「しねーよ。今水持ってくるから」

「ロックでおねがいまーす」

「お望み通りストレートだよ」


 私は差し出されたコップの水を一気飲みする。


「まずい。もう一杯!」

「これは青汁じゃねぇよ」


 ツッコミがおかしくて私はまた笑ってしまう。慎二が溜息を吐いて私の隣に座った。


「それでーどうして起きてたの?」

「ピアス見つかったよ」


 慎二がポケットからあの妖精のピアスを取り出してテーブルに置いた。


「あっ! ありがとう! どこにあったの!?」

「遊園地の時に来てたコートのポケットだよ。たぶんライド系の何かに乗った時に外したんだよ」


 私はピアスを耳に付けて、本当に見つかったことを感触として確かめた。


「どう?」

「似合ってるよ」

「やっぱりつまんない。やり直し!」


 慎二に抱きついて押し倒すと、私はじゃれついた。


「酔ってる時は嫌なんじゃないのかよ」

「うるせー!」


 私はじゃれついた。


 ※


 アンドロイドが届いてから一週間が経った。一般的にはアンドロイドに名前を付けるらしいが、私は商品名のまま『ロイド』と呼んでいる。


「ロイド、ピアス探して」

「ピアスで検索します」


 ロイドの胸元のモニターに『ピアス』での検索結果が表示される。


「そうじゃない」

「申し訳ありません。言い方を変えて頂くか、もっと具体的な言い方をして頂けると、求めているものが分かるかもしれません」

「もういい」


 私はそっぽを向いて、ソファにふんぞり返った。

 アンドロイドはとても役立ってくれる。頭に付けられたカメラで物を判断して掃除洗濯料理といった家事全般をこなしてくれる上に、充電がなくなれば自分で充電器を差して、ネットに繋げば動画も見れるし、口を動かすだけで買い物だって出来てしまう。更には膨大な量の人間の知識を入れたサーバーと常時接続しているため、冗談を言ったり、雑談をしたりすることも可能らしい。

 さすが『一家に一台、お母さんのお母さん』とキャッチコピーを出して『母親を何だと思っている』とネットで炎上しただけのことはある。


「ロイド、しばらく私の視界に入らないでね」

「分かりました。しばらく茶々を入れません」

「茶々を入れられて困るのは司会よ、馬鹿」


 誰だこんなしょうもない冗談を知識提供した奴は。


 ※


『大泉元総理大臣はアンドロイドへの知識提供に積極的な姿勢を見せ、与野党からはアンドロイドが社会的思想を持つのではないかと懸念の声が上がっています』 

「んなわけねぇだろ。そんな偏見的な考え方してっから頭から髪の毛が逃げるんだよ」


 テレビを見ていた慎二が悪態を吐いた。

 雨が降る日曜の午後。何の予定もなく、だからと言って出掛けるのも億劫で、私達は二人で並んでテレビを見ていた。


「慎二ってアンドロイド好きだよね」

「好きってか、興味あるんだよ」

「男ってホント、ロボとか好きだよね」

「アンドロイドは違う。合体とか変形とか後継機とかゴタゴタ感とかそういうアニメ的なロマンの話じゃないんだよ」

「あーごめん。私が悪かった。その話絶対長くなるよね。やめよ」


 地雷を踏んだ。やらかした、と思った時には遅かった。慎二は普段は付けない眼鏡を付けだして、マガジンラックから『最先端技術の結晶! アンドロイドの魅力100+α』とかいう如何にもな雑誌を私に差し出してきた。私は受け取ると、開くことなくテーブルへと置いた。しかし、そんなあからさま態度をとる私なんてそっちのけに、慎二は熱くアンドロイドの魅力について捲し立て始める。


「アンドロイドが凄いのは何とも言っても本社に設置されたスパコンに保存された記憶データなんだよ。人間がプログラムとして作ったものじゃなくて、本物の人間の脳をスキャンして作られたデータなんだ。人間が見聞き経験し感じたことをそのままアンドロイドに入れることで、アンドロイドは日々人間に近づいて進化していくんだ。今回の大泉元総理大臣が知識提供に意欲的な姿勢を見せるのだって、高齢で自分が亡くなるを悟って、自分の知識をアンドロイドに提供して後世に残そうと」

「ストップ! おっけー! 分かった! アンドロイドの魅力は充分に分かった!」

「いや、君はまだアンドロイドの魅力の三分の一も理解していない。アンドロイドっていうのはね」

「やぁーーー誰か助けてーーー」


 背中を向けて、耳を塞ぐ私に慎二はめげずに語り続けた。

 その語りは結局一時間にも及び、最終的には私がキスで口を塞ぐことで終止符を打つことに成功したのだった。

 今思い返せばそれが慎二とした最後のキスだった。それを当時分かっていれば、もっと大切に、大事に、丁寧に、想いを込めてすれば良かったって、私は何度も後悔した。

 

 ※


「ロイド、私の家の中で、妖精の形をしたピアスを、探して」

「分かりました。ピアスの捜索を始めます」


 ロイドが廊下の方へと消えていく。

 なんだ、こうすれば良かったのか。


 ※


 その連絡があったのは仕事が終わって、会社から出た時だった。携帯が鳴って、知らない番号で、その相手は救急隊の人だった。


「――慎二さんが自動車に轢かれまして今――」


 頭が真っ白になった。息の仕方を忘れてしまって、目頭が熱くなってくる。救急隊の人が言っていた病院に駆け込むと、不安を煽る『手術中』の赤色のランプが光っていて、私は我慢出来なくなった。

 手術が終わったのは二時間後だった。


「一命は取り留めました。でも肺にまで鉄片が幾つも入り混んでいて全てを取り除くのは不可能でした。肺炎になるのは間違いないでしょう。それに取り除けない鉄片のせいで上手く酸素が取り込めない状況です。酸素が上手く取り込めない状態というのは脳に深刻なダメージを与えます。後遺症をもたらすのは確実です。私達も出来る限りのことはしますが、覚悟はしていた方がいいです。それに現状から回復したとしても、恐らく今までのような生活は不可能だと思います。良ければ車椅子、悪くて寝たきりかと……」

「……はい、分かりました」


 先生の言っていることの八割が理解出来なかった。いや、したくなかったのかもしれない。整理の付かない頭で入院の手続きをして、自分の会社に二三日休む連絡を入れて、慎二の会社に連絡を入れて、自分と慎二の両親に電話をして、慎二と再会したのは手術が終わってから一時間半後のことだった。

 ドラマで聞いたような心音が電子音になって部屋に響いて、ドラマで見たような呼吸器が慎二の口を覆っていた。

 慎二の隣に立つと、とても眠そうに力なく目を開けた。喋ることも出来ないみたいで、


「無理して喋ろうとしなくていいよ」


 と私は手を握った。

 慎二の方からも手が握られて、私は生きていることに安堵した。でももしかしたら死んじゃうかもしれないという不安が急に襲ってきて、私は涙が溢れ出した。一度溢れ出したら止まらなくなっちゃって、私は子供みたいに声に出して泣いてしまった。

 慎二が何か言っていた。たぶん「ごめんね」だったと思う。

 

 ※


「すみません、妖精の形をしたピアスは見つかりませんでした」


 私は溜息を吐いてテーブルに座った。なくしたのはもう一週間も前になる。あれから毎日探して見つからないんだから、もしかしたら家の中じゃなくて外でなくしたのかもしれない。そうしたらもう見つかるとは思えなかった。


「良ければ同じ物をネットでご注文しますが?」

「やめて。あんた現代っ子に負けないぐらいネット依存してるね」

「ありがとうございます」

「今の嫌味よ」

「申し訳ありません。私に味覚はありません」

「嫌味に味があるなら私が知りたいっての」

 

 ※


 慎二の体調は悪化の一途を辿っていた。見るからに弱ってきていて、見るだけでも辛かった。先生曰く、いつ急変してもおかしくないとのことだった。

 喋ることもまともに動くことも出来ないが、頷くことや表情だけである程度の意思疎通を取ることは出来ていた。

 私は一日中慎二の横にいた。たまに保険会社の人と相談して、事故を起こした相手と話し合った。家に帰るのは寝る時だけみたいな生活を送っていた。

 事故を起こした相手は七十を超えるお婆ちゃんだった。認知症が進行していて、私は事故なんて起こしていないの一点張りで、話が全然進まないのだ。

 腹は立ったが、警察や保険会社の人がこちらの味方をしてくれているおかげで少しずつ、話は進んでいる。

 最近目の隈が落ちにくくなってきた。ナースさんやお見舞いに来てくれた親族に「大丈夫?」と気に掛けられた。その度に私は「大丈夫ですよ」と笑って答えることにしていた。いつ急変してもおかしくないと言われた日から、私は寝落ちする以外で二時間以上の睡眠を取ることが出来なくなっていた。

 でも私のことはどうでもいいのだ。私よりも慎二の方が辛いのだから。代われるなら代わりたいと本気で思った。心配する側が、こんなに辛いとは思わなかった。



 

 事故から十日後、認知症のお婆ちゃんと話し合いがついて、治療費を全額出してくれることになった。警察の人も保険会社の人もやり切ったという顔をしていた。

 そしてその頃には慎二は少しだけ喋れるようになっていた。

 私が病室に入ると慎二が笑った。つまらない入院生活、私がお見舞いに来ることだけが唯一の楽しみのようだった。同棲してすっかり忘れてしまっていたものだったが、こうして会えることが嬉しいと思ってしまうのは付き合い始めた頃みたいで、私もささやかながらこうやって会えることが楽しみだったりした。

 その日もベッドの横に座ると、会社の話をした。こんなことがあった、あんなことがあった。誰々があれをしたらしい、慎二が退院したら私達もしにいこうよ、と。

 出来ないことは分かっている。でもそうやって希望の話をしないと、真っ暗な未来の不安に押し潰されそうだった。


「うん、いいよ、しにいこう」


 まだ元みたいに喋ることは出来ない。でも少しでも慎二の声が聞こえると、慎二が生きている実感がして、安心した。額を触ると、今日も高熱が出ているようだった。

 事故から二週間が経過した。下半身はもう感覚がないらしかった。

 元の生活には戻れなくても、きっと前みたいに一緒に暮らすことは出来る。私はそう信じて疑わなかった。慎二は死なない。死ぬはずない。事故に遭ってから二週間が経過して生きているのだからこれ以上悪化するわけがない。あと一週間もすれば慎二は退院する。そうなったらまず今のマンションから引っ越さなきゃな、と私はアバウトに今後の生活を考え始めていた。




 その日、病室に入ると、慎二と担当医の先生が話し合っていた。


「あぁ、こんにちは。それじゃあ私は失礼しますね。慎二さんよく考えておいてください」

「はい、分かりました」


 お邪魔虫は退場しますよ、と今にも言い出しそうな身のこなしで先生が私の脇を抜けて部屋を出て行く。


「考えておくって?」


 私はいつもの席に座る。慎二がゆっくり喋る。


「どうやって、死ぬか、話し合っていんだ」


 心臓が止まるかと思った。いや、もしかしたら本当に止まったかもしれない。いや寧ろこのまま止まってほしい。止まって、見たくも聞きたくもない現実全てから背を向けたい。


「冗談はやめて」

「俺、もうすぐ死ぬみたい」

「やめてって!」


 思わず声を荒げてしまった。でも慎二は顔色一つ変えず、私を見つめていた。そうやって、もう覚悟は決まっているみたいな顔をしないでほしかった。私はまだ、そんな覚悟出来ていないんだから。


「そんな……何で……どうして……」

「今日、レントゲンを、取ったんだ。これ以上、悪くなる、ことは、あっても、良くなる、ことは、ない、みたい」


 私は信じたくなくて首を横に振った。それでも慎二は続けた。


「もう二度と、普通の人と、同じ生活は、出来ない、って。きっと、たくさん、迷惑を、かける」

「かけてもいい。かけられもいい。だからやめてよ。死ぬなんて言わないでよ」

「言われ、たんだ。余命、三日、だって」


 私はそれ以上話を聞いていられなかった。すがるみたいに泣き崩れて、慎二から手を離すことが出来なかった。



 

 慎二に許された死に方は三つあった。

 一つは、このまま死ぬのを待つこと。恐らくそれが一番長く生きていられる方法だった。でもそれは同時に苦しむ時間が長いということでもあった。

 二つ目は、尊厳死だった。麻薬を使って痛みをなくして、その間に安楽死させるというものだ。法整備が行われ、数年前からようやく出来るようになった死に方だ。

 三つ目は、アンドロイドへの知識提供だった。脳のスキャンを行い、データ化して、保存する。何故これが死に方の一つかというと、脳のスキャンには脳に多大な負荷を与えるため、間違いなく死ぬからだ。アンドロイドの国営化に伴い法整備が行われ、この死に方が許されるようになったのだ。尊厳死が認められるようになったのは、このためのオマケみたいなものなのだ。

 あと何回会えるだろう。きっともう、片手で足りるぐらいだろう。

 急に世界が、小さく思えた。



 

「俺、アンドロイドに、知識提供、しようと、思うんだ」

「うん。すると思ってた」


 翌日、慎二は言った。その台詞を私は覚悟していた。担当医に言うと、今日行うみたいな流れになって、私は焦って「やめて」と口走った。


「その……明日じゃ駄目ですか?」

「私はいつでも構いませんよ。お二人にお任せします」


 余命を信じるならあと二日後に慎二は死ぬ。死ぬ前に行わないといけないから実質猶予は今日一日しかなかった。


「じゃあ明日でお願いします。詳しい時間などは後ほどそちらに相談に伺います」

「分かりました」


 先生は病室から出ていくと、私はまた泣き出してしまった。ここ連日、泣いてばかりだ。


「私、まだ覚悟出来てないよ」


 慎二はいつもみたいに「ごめんね」と謝るだけだった。


「もう聞き飽きたよ」


 と私が責めても、慎二はやっぱり謝るだけだった。


「慎二はいいよ。死んだらもう何もないんだから。でも慎二は残される私がどれだけ辛いか想像したことある!? 私は想像するだけで怖いよ。慎二にもう会えない日が来ることが怖くて堪らないよ。こうやって触れることも、慎二の声が聞けなくなることも、残りの何十年を慎二なしで生きていけるか不安で仕方がないんだよ」

「俺は、ホントに、幸せもの、だな」

「今更気付いたか馬鹿」


 時よ止まれ、時間よ戻れ。

 本気で私はそう思う。慎二が助かるなら裸足でお百度参りだってするし、一日で千羽鶴だって折るし、流れ星が流れている間に三百回はお願い事をする。


「君を、愛して、良かったよ」


 普段は言わないことを急に言い出すもんだから、嬉しさとかそんなものは湧かなくて、ただ本当にもう終わりが近いってことを実感させられて、私は余計に悲しくなった。

 泣き続ける私の頭を、慎二は何度も撫でた。

 泣き終わるまで、何度も、何度も。

 最後のその時まで、何度も、何度も。

 最近の不眠が祟ったのか、私はその日、泥のように眠った。

 

 ※


 河川敷を私達は歩いていた。よく晴れた四月のことだった。

 慎二が急に新入生歓迎会用でやる劇の練習をしようと言い出した。外でやるなんて恥ずかしいよ、と私は拒否したが、慎二はそんなことに耳は貸さず


「うっ、毒がぁ……」


 と気合いの入った演技を始めた。しょーがないなー、と私も渋々その演技に付き合うことにする。


「あぁ、どうしましょう。このままでは慎二さんが死んでしまう。そうだ、お医者さんを呼びましょう」

「待ってくれ。シュタインを呼んでくれ」

「こんな時に何であんな機械オタクを呼ばないといけないの?」

「きっと俺はもう助からない。なら、せめてこの愛を永遠のものにするために、人間であることを辞めよう」

「……慎二さん」

「心と体を切り離して、例え機械になっても、君を愛し続けるよ」


 我慢が出来なくなって吹き出すと


「急に素に戻るのやめてくれよ」


 と慎二が顔を赤らめた。


「ねぇ、今回の台本慎二くんが書いたんでしょ? 何で私と慎二くんだけが本名のまま出てるの?」

「え、いや、それはまぁ……」

「ねぇ、何で? 何で?」

「そのうち教えるよ」

「えー、今教えてよー」


 慎二が逃げるから、私は追いかけた。

 その答え分かったのは、それから一週間後のことだった。


 ※


 目を覚ますと、私はテーブルで寝ていた。体を起こすと、私に掛かっていたブランケットが落ちた。

 外を見ると、雨が降った後のようで、道路が濡れていた。


「おはようございます」


 振り返ると、ロイドがこちらに来ていた。手には何かを持っていた。


「ピアスが見つかりました」

「え、嘘……」


 駆け寄ってみると、ロイドの手の上にはあの妖精の形をしたピアスが乗っていた。


「どこにあったの!?」


 ロイドは「洗濯機の」まで言い掛けると、何故か言い止めた。不調だろうか、と次の台詞を待つと、ロイドが再び動き出す。


「コートのポケットの中にありました」


 私は思わず自分の口を塞いだ。それは私と慎二しか知らない会話のはずだ。

 そこで私は慎二がアンドロイドに知識提供したことと、本社にある一つのサーバーに全てが詰め込まれているというのを思い出した。

 つまり、今この台詞は慎二のものということになる。

 溢れそうになる涙を堪えて、私はピアスを受け取り、その手で自分の耳に付けた。


「どう?」

「似合っていますよ」

「コメントがつまらない。やり直し」


 ロイドはぎこちなく、精一杯の驚いたポーズを取った。

 私はそれがおかしくて、笑ってしまった。


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機械仕掛けでも構わない 樹一和宏 @hitobasira1129

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