第2話 ふいの一言

「うわあ、高い。夜景、すっごい綺麗だね」

 舞台を観た後に入った、予約していたレストラン。クリスマスだからか、汐留周辺にはこれといって手頃なレストランが無かった。懐具合が厳しかったが、夜景が綺麗だからという理由で自分を納得させ、少し、いやかなり高いレストランに予約を入れていた。 佳澄の弾んだ声で、我にかえる。黒々とした夜の闇の中に、転々とした建物の灯りと冬に特徴的なイルミネーションの光が幻想的に輝いていた。

「あれ、レインボーブリッジでしょ?」

 と暗闇の中輝くイルミネーションを指し示す。少々痛い出費ながら、このレストランにして良かったなと、満更でもない気分になっていた。

「さっきの舞台も面白かったし、さすが純平」

 佳澄が、キラキラとした目でこちらを見つめる。

「俺も、中学生の時以来だったかな、劇団四季を見たの。やっぱり面白いね」

 喜んでくれている佳澄の顔を見ていると、自然に口角が上がった。高いお金を出して、本当に良かったよなと、いつの間にかレストランに対する内心の評価も上がっていた。

 すっと、テーブルの脇にウェイターらしき初老の店員が近付いてきた。

「失礼致します。本日はご来店いただき、誠にありがとうございます」

 白を基調とした制服に、ブラウンのエプロンのような前掛けを付けられている。白髪の頭を恭しく下げながらウェイターの人が続ける。

「今夜は、クリスマス特別ディナーをご提供させていただきます。こちら、ドリンクのメニューとなります。お決まりになりました頃に、お知らせ下さい」

 佳澄と僕、それぞれにメニューを手渡し、再度恭しくお礼をして下がる店員。頭を上げる際、胸元にあるネームプレートに下柳と書かれているのが目に入った。

「クリスマスだし、シャンパンにしよっか?」

「シャンパン! いいね-。どれにしよっか?」

 せっかくだし、との思いで提案したのは良いものの、佳澄にどれにするか聞かれ言葉に躊躇する。しまった。お酒弱いし、普段飲まないから何が良いかなんて分からない。

「うーん、どれも美味しそうだね」

 必殺、ごまかし笑い。迷っちゃうよねと言いながら、「佳澄は?」と質問を質問で返す。「私は、……これにしようかな」

 アルマン◯◯と斜体で記載されたシャンパーニュを、佳澄が指差す。なになに、芳醇な香りと、口の中に広がる爽やかな……。サッと説明書きを途中まで読んだ後、フロア内にいる店員の方を振り向く。先程の下柳さんと目が合うと、すっと右手を上げてオーダーの意思を示した。

「お待たせしました」

 柔らかな口調で舞い戻った下柳さんに、僕は佳澄が指差したシャンパンを2つグラスで注文する。

「かしこまりました」

 先程より幾分フレンドリーに、笑みを浮かべながら恭しく下がっていく下柳さんを横目に、僕と佳澄も何となく会釈してしまう。

「純平、さっき観た劇団四季のアラジン、本当はいつから予約してたの?」

 互いに向き直るや否や口を開いた佳澄に、僕は思わず閉口しそうになる。

「いや。かなりギリギリで、この前連絡した時だよ。『何でこんな時期にも関わらず、まだ席あるの?』てすごく驚いたけど、すぐに取らないとまずいと思って」

 しどろもどろになりながら、嘘を貫き通す自分。佳澄の口調から、実は僕がずっと前からチケットを取っていたのではないかと想像はついているのだろう。でも、本当のことなど言えるはずがない。佳澄と知り合う前、当時付き合っていた彼女と行くために早くから予約していたチケットだなんて、クリスマスに言うのはそれこそ自殺行為だ。

「本当かなあ?」

 疑い半分、もっと問い詰めていじめてやろうという思い半分な様子で、佳澄が次段の口撃を装填する。

「じゃあ、このレストランはいつから予約してたの?」

 僕は思わず、フフッと息を吐き出すように、大きなごまかし笑いが出した。

 ねえ、教えて。と佳澄は小首を傾げながら笑みを浮かべ、じっとこちらを見つめる。

 自分は魅力的、自分は可愛い、自分は目の前にいるこの男にちゃんと好かれて大事にされている。そんな自信に裏付けされた女性特有の、可愛く魅惑的な雰囲気がありありと佳澄から漂っていた。

「実は、ちょっと前から予約していた」

 恥ずかしいのを必死に堪える一方で、あんまり嘘を貫き通すと盛り下がると感じ、事実を告げる。ああ、必死に逃亡していた犯人が捕まえられた時て、こんな気分なのかもと、ふと思った。

「えー、やっぱりそうなんだ! で、いつから?」

 佳澄の追求は止まらない。ほら、言ってみなさいよという口調で、追撃の手を緩めない。例のように自信に溢れた蠱惑的な表情を浮かべ、じっとこちらを見つめてくる。自分ばかりが問い詰められて焦る、その状況が面白くなかった。

「佳澄と付き合う前。その時付き合っていた彼女と、クリスマスに観に行くつもりで……」

 言い終えた後に佳澄の顔に目を向けると、直前までの余裕な表情が嘘のように、固く強張っていた。形だけとなった笑顔が、今にも崩れ落ちそうだった。

「けど正直、今は佳澄と来れて本当に良かったし、すごく嬉しい」

 やばい、何言っちゃってるんだよと慌てて取り繕うが、時既に遅かった。

 言葉に窮している最中、先程の下柳さんではなく、今度は若い女性ウェイターがシャンパンを運んできた。

「お待たせ致しました。こちら、アルマン・ド・ブリニャックでございます」

 コトン、と小さく音を立てながら、グラスが白いテーブルクロスの上に置かれる。佳澄の様子を横目で伺いながら、僕はウェイターに軽く会釈する。視界の端、佳澄の視線が痛かった。ごゆっくりどうぞ、と優しげに言葉を掛けながら、ウェイターはテーブルから離れていく。

 僕は、ゆっくりと佳澄に向き直った。シャンパンが運ばれてきたのは良いが、こんな雰囲気でとても乾杯なんて出来ない。考えろ、考えるんだと、頭の中でもう一人の自分が怒号で必死に声を張り上げていた。

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柔い @QE33567

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