43、ジラール復興の間に(その三)

 ジラール復興のための物資は転送、空輸またはザールート経由でサロモン王国からその多くは送られた。だが、物資の輸送はできることならジラールまでの距離が短いほうが、時間や労力の点で望ましい。オルダーンやザールートで調達したほうがコストが安いものは両国から調達した方が良い。


 ジラール周辺の土壌改良に必要な堆肥の生産に必要な落ち葉などの原料は、オルダーンやザールートの農地でも使用されるものだから両自治体でも日常的に集められてる。必要とする堆肥の量より多く生産されているので、余剰分をジラールへ送るのは保管の手間が省け、必要としてた経費が減るので両国から喜ばれた。


 また、両国から食料や日用品が買われ、派遣者がジラールへの行き帰りでお金を使うので復興景気が訪れたようなものだ。


 だが、ジラールで仕事があるというのでサロモン王国からの派遣だけでなく、求職者が他国からも多数訪れた。これによって、現状では事実上ジラールへの入り口となるザールートでは問題も多少発生していた。


 まず排泄行為だ。

 サロモン王国からの派遣者は、道端や家の陰で排泄してはいけないと徹底されているが、他国から来たものにとって排泄行為は屋外では道端などでするのが普通の習慣。


 ザールートも以前は他国と同じだったが、今では上下水道が整備され、水洗トイレすら各家庭では整備されている。旅行者のために公衆トイレも幾つか設置されてる。その辺りの事情はザールートへ入領する際に説明しているのだが、公衆トイレ自体知らないし、屋外の見えない場所で排泄して何が悪いと開き直る者まで出る始末。


 数年がかりでせっかく衛生的な環境にしたというのに、悪臭匂う街に戻されては困るのだが、一時滞在してすぐ居なくなる者達への効果的な対応もなく、領主も衛生管理担当者も頭を悩ませている。


 次に風紀治安面。

 ジラール復興に集まった者は、上品で真面目な者ばかりではない。いや、どちらかと言えば、遊び好きな者の方が多かっただろう。酒好き、賭け好き、女好き、少し程度モラルから外れた事を好み楽しむ者の方が多かったのだ。


 人やモノの流入流出が増えて街に活気が出ると、どうしてもこの手の風紀や治安面の問題が生じてしまう。取り締まりを強化するにしても、どのラインを基準として取り締まるかという微妙な問題が生じがちで、下手に取り締まると不満を呼び反感反発を生じさせる。この手の反発反感は更なる風紀治安面へのリスクを高めることもあり、それが更なる取り締まりの強化に繋がり悪循環になることもある。


 ザールードの元警備長官、現在の治安担当官ベイリン・メルタルは、もともと風俗業が多い地区、商業区北西部のみ取り締まりを緩くし、その他の商業区や居住区は取り締まりを強化することで、風紀治安の悪化を局所的に封じ込めようと考えた。そして旅行者等のザールートに慣れてない者達には、立ち入る際に注意すべき地区の周知を徹底した。


 これによりザールート全体の治安悪化は抑えられ一定の成果が出て、ベイリンは監視は厳重にしつつも一安心していた。


 ところが、またしても彼の息子ハロルド・メルタルが問題を起こす。


「ベイリン様、傷害事件が商業区北西部で発生し、加害者を連行いたしました」


 部下から報告を受けたベイリンは”加害者が捕まったなら、手続きに従って処理すればいいのに、何故わざわざ報告したのか”と問う。


「被害者がハロルド・メルタル氏で、……その……ベイリン様直々に裁いていただきたいと」


 ”またあいつか、何故自分を特別扱いさせようとするのか”とベイリンは頭を抱えた。


「……判った。今回は私が対応する。だが、次回からは相手が誰であろうと通常の手続きで対応するように」


 部下が立礼して、警備員詰め所から去っていく。

 部下を見送ったあと、ベイリンは重い腰をあげ加害者のもとへ向かう。


 取調室に入って加害者を見ると、成人年齢の十五歳になったばかりの獣人らしく、まだ少年の顔立ちをしている。連行した警備員に掴まれることもなく、うつむき大人しく椅子に座っている。


 部下から状況を聞くと、被害者と口論になり、加害者が被害者を突き倒したところ、転んだ被害者が手首を捻挫したという。怪我をした被害者が大騒ぎし、警備員が向かったところ、被害者が騒いでいて、加害者が自分から”怪我をさせたのは自分だ”と名乗って大人しく連行に応じたという。


「お前達は、その程度でこの者を連行したのか? 相手は少年で口論の末熱くなってついやってしまったと判る状況だ。初犯であるし厳重注意で済ませるところだろう。違うのか?」


 部下が俯いて何かを伝えたい様子だが言い淀んでいる。


「何だ。はっきり言え」


 とても言い難そうに部下が口を開く。


「……それが、その場にはゼギアス様が居らっしゃって……」


 商業区北西部近辺を視察していたゼギアスとその仲間とハロルドが偶然ぶつかったところ、ハロルドがぶつかった少年と口論になり、ハロルドの発言に少年が怒り手で胸を突いたらハロルドが転倒し怪我をした。


 すると、ハロルドが”奴隷ごときが人間の俺に怪我をさせた。親父からきつい罰を与えさせる。”と、それを聞いたゼギアスが”そうか、この街では亜人は奴隷扱いなのか。判った、確かにこの者はお前に怪我をさせた、連行するがいい。但し、結果については詳しく聞かせてもらうからな。”と仰り、今も詰め所の外で待ってると言う。


「はあ? お前達は、本来、その場で厳重注意で済ませる程度のトラブルを、ハロルドと一緒になって、この街の今後を左右する大問題になる可能性ある話にしてしまったのか!?」


 ”何故!! その場でハロルドをきつく叱って、加害者には厳重注意処分で済ませなかったのか!!”とベイリンは怒鳴った。滅多に怒りを表情に出さないベイリンが、今にも暴れだすのではないかと思えるほど身体を怒りで震わせている。


「私が悪かったのだな。あの時、サラ様とのトラブルの際、きつく言っておいたのだが、あの後忙しさにかまけてあいつの躾けに時間をとれなかった。お前達にもハロルドの言うことだろうと、特別扱いするなと言ってはあったが、まだ甘かったのだな」


 ベイリンのつぶやきに部下達はいたたまれない様子でうつむいている。

 加害者の少年の名前等を書類に記し、ベイリンは”今後暴力に訴えないように”と注意し、少年に”帰っていいよ”と伝えた。


 少年が椅子から立ち上がったとき、”ゼギアス様には私から報告するので、少々お待ちいただいてくれ”と部下に伝え、”ハロルドを見つけ次第、この詰め所に連行しろ。拒否は許さんと言ってくれ”と別の部下に指示した。


 心を落ち着かせるように目を閉じ、胸の鼓動が静まるのを待って、ベイリンはゼギアスのもとへ向かう。詰め所を出たところに、ゼギアスは一人立っていた。


 ゼギアスはベイリンの顔を見ると、”話は落ち着いた場所で聞きたい”と言うので、”詰め所の中であれば”と答え、ゼギアスを共に再び詰め所のベイリンの部屋へ歩いて行く。


 部屋に入り、ゼギアスを椅子へ促し、ベイリンは自分の席に座った。


「まず先に、些末なトラブルに大げさな対応した部下について謝罪いたします」


 ゼギアスの様子は、怒ってるようではないが笑みはまったくない。


「次に、いまだに人間から見た他種族を奴隷と呼ぶ者が居ることを恥ずかしく思います。これは私の不手際によるものです。申し訳ありません」


 深々とベイリンは頭を下げた。


「先程の加害者の少年には被害者のところへ謝罪に向かわせました。部下の方にはお手数ですが、少年に同行していただきました。被害者はベイリンさんのご子息とのことですので、治療費と慰謝料についてはベイリンさんから私まで請求してください。よろしくお願いします」


「請求など!」


 他の者なら、誠実な対応だと受け取るところだが、相手がゼギアスだと何かの伏線なのではとベイリンは勘ぐってしまい、緊張して言葉を慎重に選ぼうとしてうまく話せない。


「いえ、そこはきちんとしましょう。あの少年、ヴォーケルもいい勉強になるでしょうから」


 ベイリンには”こちらはしっかり責任をとるが、そちらは?”と聞える。


「ハッ、判りました。後ほど対応いたします」


「そう堅くならないでください。この件を過剰に問題視するつもりはありませんから」


「……ありがとうございます。ハロルドはきつく罰しておきます」


 ベイリンは再度深く頭を下げる。ハロルドは二度目だ。ゼギアスの言葉にまだ安心できる状況ではない。


「息子さん、一度ザールートから離れさせてはどうでしょうか?」


「といいますと?」


「ここに居る限り、彼は貴方に甘えて生活していられる。自分の力のみで生活するしかない状況なら我儘ではいられないでしょう。何なら、サロモンではない場所で、フラキアの知人に預けることもできますが?」


 ”厄介払いされた”とハロルドは拗ねるのではないだろうかとベイリンは心配した。だが男手ひとつで育て、一緒に過ごす時間が少なく、目が行き届かなかったのも事実で、結果、期待から外れて特権意識を持ち我儘に育ってしまった。ハロルドも二十一歳になったのだし、一人で生きられるようになってもらわなければ将来が心配だ。


 でも、できることなら目の届くところで……とベイリンは悩んだ。


 その時、ノックもせずに部屋にハロルドが入ってきて騒ぎ出した。


「あれはどういことなんだよ? 何故あいつは注意だけで済んだんだ? 牢にぶちこんでもいいはずだろう? あの奴隷のガキは、この俺に怪我させたんだぞ? 親父!!」


 ゼギアスがそばに居ることにも気づきもせず、ハロルド目がけて駆け寄ってくる。

 この瞬間、ベイリンの頭から血の気が抜けていき顔面蒼白になった。よりにもよってゼギアスの前で、あの少年のことを奴隷と口走るとは。


 ダメだ。

 こいつはこのままではダメだ。


「ハロルド、ゼギアス様にお前を預ける。どうやら私はお前の育て方を誤ったようだ」


 ベイリンは席から立ち、ゼギアスの前まで歩き、


「この馬鹿者のこと宜しくお願いいたします。何卒、宜しくお願いいたします」


 片膝をついてしゃがみ、”私にはできなかった、社会の厳しさを教えてやってください。”と頭を垂れた。


 ”親父、何だよそれ! 俺が何で奴隷に!”と騒ぐハロルドを無視して、”ご安心ください。息子さんは知人のところで一から躾けてもらいますので。”とベイリンに答えた。


 こうしてハロルドは、ゼギアスの部下に監視されながら、フラキアの山奥で浴湯剤の原料になる樹木栽培に就くことになる。逃げたくても体力が無く、作業場から離れるとコカトリスに石化されては連れ戻され、自室で石化を解いてもらうという経験を幾度も味わうことになる。衣食住は同じ作業している者達と一緒で、奴隷と見下していた者達と同じ待遇。


 いつになったらハロルドがザールートへ戻れることになるかは判らない。だが、ベイリンのところへは月に一度ハロルドの様子は報告されている。それは日誌のような内容で、自分の元に置いてたときよりもハロルドの生活が判り、ベイリンは特に心配することもなく、息子が一人前になる日を待っている。

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