35、ドリス・デマーニ(その三)

「……私……この国に移住しようかしら……」


 ドリスは寝室でベッドの上で横になり天井を見て呟いた。


 この二日間、サロモン王国首都グローリー オブ エルザークを案内して貰って、今まで自分が求めていたものがこの国では大したものではないのだと思い知った。この街には貴族が食べているものより美味しいものがたくさんあり、ドリスへプレゼントされるものより素晴らしい……服、装飾品、調度品などなどがそこらにある。それらを所有してるのは貴族ではない。この国で働く普通の人々。


 この国の外では当たり前に見かける貧しくてみすぼらしい人が居ない。

 まったく見かけないのだけど、どういうことなの?


 首都近辺には居ないのかと、離れた場所へも無理を言って連れて行って貰った。そこには幾つもの農家があった。農家といえば、農地の所有者だけが豊かで、使用人は貧乏と相場が決まっているはずなのよ。私の生まれた家もそうだった。ジャムヒドゥンで見かける農家もそうだった。なのに、ここでは違う。そもそも農地の所有者が居ないらしい。働いている人も、作業着はともかく、着替えるとジャルディーンだったら下級士族が着ている物より、布地も仕立てもしっかりした服を普段着として着ていたわ。


 ボロを着てみすぼらしいのが農家の使用人というものじゃないの?


 更に、生活にお金はさほど必要ないとも言ってたわね。

 どういうことなのよ?

 亜人や魔族って馬鹿なの?

 それとも私がおかしいの?


 食事は配給制と言ってたのよ。

 私もご相伴させてもらったけど、何よあの王族クオリティ!


 メニューは毎日変わる?

 事前に言えば、材料を持って自宅で作ることもできるって?


 あの食事ならお客がくるのでもなければわざわざ家に帰らないわよ。

 皆と一緒に食べてから帰るわ。


 農家と言えば、ジャガイモとほんの少しの穀物じゃないの?


 週に二日は休みがあるとも言ってたわ。


 こんな農家が当たり前に大勢居るって知ったら、うちの親泣くだけじゃすまないわよ!!


 寝込むわよ、倒れるわよ、死んじゃうわよ?

 どうしてくれんのよ!!


 それに、子供達の多くが読み書きと計算ができる?

 私より教養がある十歳児なんて、やってられないわ。


 国民ならこの国で生産したものは格安で購入できるのですって。

 この国の製品って大貴族や士族の名門だって持っていないようなものばかりなのによ?

 それが農家の使用人がいつでも買える値段だって、私が目の色を変えて買い占めまで考えた石鹸が無料で配られるのよ?

 ……笑っちゃうわよね。国民に無料で配ってるんですもの、そりゃいくら生産しても国外に出回る数なんかしれてるわ。


 ジャルディーンの一般的な士族や貴族並の生活がこの国では簡単に送れるのよ。


 他にもショックなことがたくさんあるけど、いちいち考えていたらショックから立ち直れないまま髪の色変わっちゃいそうだわ。


 男共を騙して、その懐具合をいつも確認して、好きでもない男に奉仕して、それで稼いでる私より豊かな生活を大勢が送ってるの……人生観変わっちゃうわよね。


 …………私、元の生活に戻れる自信が無いわ。

 自分を惨めに思うと思うんですもの。

 地位やお金があることを自慢気に話す男達がみっともなく見えるに違いない。そんな男にお金欲しさに媚びてる自分は絶対に惨めだと思うだろう。


 そりゃここまで頑張ってきた自分を惨めには思わない。

 娼婦という仕事だって、別に世間から下に見られるような仕事とも思っていないわ。

 運が良ければ、地位の高い家の正室に求められることもあるもの。


 そう、地位って何なのかしら。


 ゼギアスという男も、その奥方達も王族らしいところがない。


 街を歩くラミアに絡まれて……そう、酔っぱらいが街で安い娼婦に誘われてるようなこと、国王がする?


「ゼギアスさまぁ~~ん、いつでも来て下さいねぇ~~ん。呼んでくれたら、身体を綺麗にしてから伺いますわぁ~ん」


 ラミアから……娼婦から投げキッスされて、鼻の下を伸ばしながら笑って手を振る王なんて見たことも聞いたことも無い。ラミアは娼婦じゃないらしいけど。……それも奥方連れで。その奥方も笑っていたし。


 …………明日、帰るのよね。


 明日の朝、ゼギアスに話してみようかしら。

 この国に私にも生活できる場所があるなら、この国で生活したいって。


・・・・・・

・・・


 ドリス・デマーニは、サロモン王国首都エルで旅行客相手の販売店を任されることになった。商品へ反映するため客の反応などを記録し、それを工場にフィードバックするのだ。購入者の立場や感触を見分けることなどドリスには簡単だ。得意分野と言ってもいい。客との雑談からいろんな情報も手に入れられる。


 そして、ドリスはフラキアの現状を知る。客の中にフラキアと商売している商人がいて、”あの国はヤバイかもなあ”と言うのでいろいろ聞いてみたのだ。遠く離れたフラキアとサロモン王国が関係することなど想像もしなかった商人は”一応内緒だよ?”と言ってペラペラと話した。寝物語で鍛えたドリスの話術も役立ったに違いない。


 フラキアがどういう国であるかや、困窮している状況は以前の客達からドリスは聞いていたのである程度知ってはいたが、現状は想像していたより悪いらしい。


 ゼギアス達はドリスからの情報をもとに、あることを実現するために動き出す。


 ドリス・デマーニは、販売店店長の顔の他に情報収集役の顔も持っている。

 諜報部のモルドラの下で働いているのだ。


 一日の仕事が終わり、ゼギアスを見かけるとラミア達と肩を並べて


「ゼギアスさまぁ~~ん、いつでも来て下さいねぇ~~ん。呼んでくれたら、身体を綺麗にしてから伺いますわぁ~ん」


 照れるゼギアスをからかって楽しんでいる。


 そんなドリスだが、いつも忙しそうに駆け回るラニエロを最近は狙っている。

 少し胸の開いた服でラニエロの手を握り、今日も頑張ってくださいねえと言うと、ラニエロはドリスを意識して顔を赤らめるのだ。ラニエロの反応が可愛いくてドリスは嬉しくなる。


 年齢はドリスとさほど変わらない。

 外見もエルフらしく綺麗だ。

 性格は真面目。 


 ”好きな男性と普通に恋をして結婚するのも悪くない”


 ドリス・デマーニはそう思いつつ、悪い顔でラニエロを見守るのだった。

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