35、ドリス・デマーニ(その二)

「こちらでは製造していないんですよ。うちでは販売だけしかやってないんで、詳しいことは領主様にでも聞いてみてください」


 ザールートでも化粧用石鹸の販売は一軒の店でしか行われてない。


 その店は一日千個を販売しているが、予約がいっぱいでドリスのような飛び込み客はたくさん居るのだけど、申し訳ないが売ることはできない。予約は二日先の分まで埋まってるから三日後には手に入る。その際は店に寄ってもらえればすぐ渡せるというので、ドリスは四個入れを一つ予約した。本当は可能な限り買いたかったのだけれど、お一人様おひとつまでというので最も多く石鹸が入ってる四個入りを予約した。


 もっと欲しいなら、領主のところでは試供品を旅行客に配っているので、商品よりは二回りほど小さいが手に入る。商品も領主経由で卸されているから詳しいことは領主に聞くと判るだろうと教えられた。


 一日千個しか販売していないなら一般に簡単に広まることはないだろうが、この状況もいつまで続くか判らない。売れるものなら更に多く売りたいと考えるのが商売人の自然な発想。


 石鹸はもともと高価だが、ここで売られている石鹸はその石鹸の五倍の値段で売られている。一般の雇い人の給金なら二月分に相当するだろう。まあ、貴族などの金持ちならば一月分のお小遣い程度なのだろうが、それでも石鹸一個の値段として考えれば高額な商品だ。


 そのような高額な商品が毎日千個売れてるという事実は、この石鹸は一般では広まらないだろうが、ドリスの商売相手……金持ちには広まってる最中ということを意味している。


 これほどの高額な商品であれば買い占めや販売元を押さえるなど不可能だし、ジャルディーンでドリスだけが使用してる状況も長くは続かない。ドリスはそう理解した。


 予想できたことだけれど、現実を知ってドリスはやはり多少落ち込んでいた。自分目当ての男もドリスが歳を取るに従って減る。自分の周りから男が減る前に今以上に稼いでおこうと考えたのだが、それも難しいようだ。


 ある程度稼いだら娼館でも経営しようかなとドリスは考えていた。


 ザールートまで来たついでだから領主に会ってみよう。

 うまく自分の客の一人に取り込めるかもしれないし。

 まあ、滅多に来ない客でも、来た時にたくさんお金を貢いでくれればいいんだし。

 石鹸と石鹸目当てでこの街へ来る金持ち相手に荒稼ぎしてると思うから、金は絶対持ってるわね。


 石鹸販売店から貰った紹介状を持って、ドリスは領主のもとへ訪れた。


・・・・・・

・・・


「……そうですか、実際に使用して石鹸を気に入り、買うために遠く離れたここまでわざわざ来て下さったのですか。ありがとうございます。ですが、三日もお待たせすることになり、申し訳ありません」


 ドリスの前では、領主の長男エリスが挨拶している。

 領主の館は質素だった。けっして古くみすぼらしい家ではないけれど、調度品一つ見ても贅沢な品には見えない。エリスの服装も質素だが清潔で好感持てる風。こういう家は得てして倹約家で、ドリスの客になり難いタイプの家風だ。


 個人的には好きな家風だが、商売相手としてはお断りしたい。


 エリスは気さくな相手だ。多少立ち入ったことを聞いても不快と受け取らないのではないか? ドリスはそう考えて製造の話をした。


「あんな素敵な石鹸を一日千個しか売らないのは勿体ないのではないかしら? もっと作っていただけたら、私もとても有り難いのですけれど」


「販売店でお聞きになったかと思いますが、私どもが製造しているわけではないので、その辺は何とも」


「もっとたくさん作っていただけるようお願いすることはできませんの?」


「アハハハハ、あ、そうだ。製造してる方が今日はちょうど我が家に来ていますから、直接お話になってみますか?実際に使った方の感想をお聞きになるのが好きな方ですので喜ぶと思いますよ? ただ……」


「ただ?」


「ドリス様は亜人や魔族に抵抗がある方でしょうか?製造してる方は亜人で、抵抗がある方ですと不快に感じると思いますので、紹介は差し控えたほうが良いでしょうし」


 亜人、魔族、ジャムヒドゥンではどちらかというと貧しい種族のイメージが強いわね。奴隷で使われてる亜人や魔族は多いし。リエンム神聖皇国と違って、亜人や魔族でも商店や飲食店を開いてるのは見かけるから、私も特別抵抗があるわけではない。でも、亜人があの石鹸を製造ねえ……。


「亜人や魔族と会うことに抵抗はまったくありません。ジャルディーンでも頻繁に見かけますし」


「そうですか? では少々お待ち下さい。あちらのご都合を確認してまいりますので」


 ドリスが気持ちの良い椅子に座って待っていると、五分もしないうちにエリスは男と女を一人づつ連れて戻ってきた。


「こちらがドリス・デマーニさんです。化粧用石鹸を使用して気に入ってくださり、遠くからわざわざ購入しに来ていただいた方です」


 エリスが大きな身体の男にドリスを紹介している。


「はじめまして、ゼギアス・デュランです。私達の製品を気に入って下さったお客様にお会いできて大変嬉しいです。横に居るのは、私の妻ベアトリーチェです。ご一緒させていただいてご迷惑かもしれませんが、妻も是非お話を伺いたいというので同席させていただきました」


 ゼギアスの妻と紹介されたベアトリーチェは優雅にスカートを持ち上げ挨拶する。

 ドリスも椅子から立ち上がり、ゼギアスとベアトリーチェに挨拶する。


 ドリスの向こう側にゼギアスとベアトリーチェがエリスに促されて座り、ゼギアスの横にエリスも座った。


「私は堅苦しい物言いが苦手で、失礼にならないよう気をつけますが、もし気に障るようなことがありましたら言ってくださいね?」


 ゼギアスという男は、笑顔で話し始めた。

 しかし、ドリスの目にはベアトリーチェしか映っていない。

 ゼギアスは亜人だとエリスから説明されているが、見た目は完全に人間にしか見えない。一方のベアトリーチェは耳がややとがっていることと、肌や髪の色などでエルフだと判る。それにしてもベアトリーチェの美しさときたら、月の光や水の輝きを見て感じるような、厳かな……それでいて儚いような……透き通るような美しさを感じる。


 エルフは綺麗な外見の種族だと聞いていたが、これほどとはとドリスは驚いていた。


「いえ、私ももともとは貧しい農家の娘です。気楽に話せるほうがありがたいですわ」


「そう言ってくださると助かります。それで、石鹸についてでしたね。何でも聞いてください。それとできれば使用感やご不満などがあれば遠慮なく何でも言ってください」


「不満などあるわけがありません。ただただ感動しています。ですから、あの素晴らしい石鹸がどのように作られているのかと興味を持ちましたし、どうしてもっとたくさん作らないのかと思ったのです」


 ゼギアスはドリスをじっと見て、でもその目には嫌らしいところがない。ただ、ドリスの人となりを見極めているようなそんな目だった。実際、ゼギアスは森羅万象を使ってドリスのことを視ていたのだが。


「エリスさんから、ドリスさんはこちらにあと二日滞在すると聞きました。もし宜しかったら私共の国へ来て、製造してるところと何故多く製造できないのか見てみますか?」


 どうせこの街にいてもすることはない。

 それにこんな機会はもう無いかもしれない。

 持ち物も今持ってる手荷物しかないのだから問題はない。


「宜しいのですか? 是非拝見させて頂きたいですわ。」


「ではこちらで少しお待ちいただけますか? 領主様へ伝えなければならないことが少し残っていますので、それが済み次第我が国へ一緒に行きましょう」


 エリスを残し、ゼギアスとベアトリーチェは部屋から出ていく。


「ドリス様は運がいい。サロモン王国は一見の価値がありますよ? 石鹸の製造現場などよりもドリス様の興味を引くものがたくさんあると思います。是非楽しんできてください」


 サロモン王国?

 そうだ、ゼギアスという男は我が国と言っていた。

 あの男がサロモン王国の王ゼギアス・デュラン?


 客の数人からあの男の名前と国のことは聞いている。


 亜人と魔族の国サロモン王国。

 リエンム神聖皇国と戦い勝ったという国。

 そして噂では、リエンム神聖皇国から化物のように怖れられてるというゼギアス・デュラン。


 ドリスはサロモン王国から無事に帰れるのか心配した。だが、エリスはそのような危惧などないと判る笑顔を見せている。商売柄、男の表情を読むのは慣れている。エリスはドリスを心から幸運だと祝ってる。


 …………ええ、大丈夫だわ。


 やがてゼギアスとベアトリーチェが戻ってきて、エリスに挨拶した。


「ちょっと失礼します」


 ドリスの手を軽く握った。

 一瞬目の前がぼやけたかと思うと、次の瞬間には知らない街が目に入る。


「どうぞ、こちらへ」


 ベアトリーチェに促されるまま、ドリスは二人の後を歩いてく。


「早速、工場へお連れしたいのですが、お召し物が汚れてはいけませんので、こちらでコートを受け取ってください。工場に入る際にはコートを必ず羽織ってくださいね?」


 ドリスの手荷物を侍女らしき獣人が預かって、そのまま部屋へ案内される。

 いつ、どうやって連絡したのか判らないが、部屋のベッドの上には既にコートが置かれている。自分がここに来ること既に知っていたかのようだ。ベアトリーチェが事前に思念伝達でドリスの訪問を伝えていたのだが、当然ドリスには判らない。


 手荷物を置き、コートを手に持って部屋を出ると、先程の侍女がドリスに伝える。


「ゼギアス様とベアトリーチェ様が玄関でお待ちです。あと今夜はこちらでお休みすることも、別に宿をとることもできます。もちろん宿の費用はお考えにならなくても良いので、お好きなほうをお選びください」


 あら、気遣ってくださるのね。

 では今日はこちらにお世話になろうかしら。

 先程の部屋も素敵だったし、きっと聞きたいこともできるだろうし。


 ドリスは侍女に今夜はこちらにお世話になりたいと伝える。


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