32、幕間 ケーダとセイラン(その三)

 翌日、ライラの案内で首都と近辺を見物した。

 首都から遠く離れない限りは警備はつかないので、比較的気楽に見て回ることができた。学校やガラスと陶芸の工房の風景は、他の国で見る様子と違うので興味深かった。特に生徒や働く人々の表情は画家の心に響いた。


 今夜も夕食をゼギアス家でとり、帰ろうとする際に”見て欲しいものがある”と言われ、ある部屋へ通された。そこにはたくさんの本が書棚にしまわれていて、そこから数冊の分厚い本をライラが取り出しセイランに見せた。


 それは画集であった。


 セイランが来た時に見せようと、ゼギアスが地球で複製してきた様々な画家の画集で、水彩画の画集は当然、この世界ではまだ無い画法……油彩の画集もあった。ゼギアスは、必要なら絵そのものも美術館で本物を複製してくるつもりだったので、セイランの反応をしっかりと確認するようライラに伝えていた。


 画集を見たセイランは、絵を見ただけで判る……技法、構図や、油彩という未知の画法に驚き、そして時を忘れて魅入っていた。


「これは、どのような筆で描けばこのようなタッチが……紙もそうだ、絵の具も違うのか……? とにかく自分が知らない世界がここにはある」


 何もかもがセイランにとって興味があるものばかりだ。

 画集だから細かいことや詳細なことは判らないが、絵を描いたことがある者なら観ただけで判る様々な違いがある。


 ライラは、居間に居るから帰る時は一言お願いねと伝え、セイランの気が済むまで画集と二人きりにしておこうと部屋を出ていった。


「でも、あまり遅くならないうちに声をかけないと……あれじゃいつまでも出てこないでしょうね」


 ライラがそう感じたほど、セイランの画集を見る姿勢は、何かに取り憑かれているようなほど集中していた。


 居間でゼギアスと顔を合わせると


「セイランさんはどうだった?」


「ゼギアス様が予想した通り、画集に釘付けでした。あれじゃいつまでも出てこないでしょうから、後で声をかけないと……」


「いや、明日の朝食までそのままにしておきなよ。宿に帰っても気になって眠れないだろうから。今夜はほっといてあげなさい」


 翌朝、ゼギアスの言うとおり、セイランは書庫で眠っていた。

 長椅子で眠りこけ、机の上に開かれたままの画集が、寝る寸前までセイランが観ていた様子を物語る。


 ライラは朝食前に顔くらいは洗いたいだろうとセイランを起こしに行く。

 セイランは許しも得ずに一晩書庫で過ごしたことを詫たが、


「いえいえ、ゼギアス様はセイランさんがきっと夢中になってここで寝てしまうだろうけど、そのままでいいと仰ってました。大丈夫ですよ」


 そう言ったあと、朝食前に顔を洗ったほうが?と勧め、セイランはライラの言葉に甘えることにする。


 朝食後、


「画集は気に入って貰えたようで良かったよ。良ければ差し上げるから、宿に持っていっても構わないよ」


 そう言ったが、さすがにあれはかなり高価なものだろうとセイランは断った。

 だがやはり何度も観たいので、その時は貸していただけると有り難いと貸出を願った。ゼギアスは、書庫でいつでも読んでも構わないし、持ち出しも構わないと許す。


 朝食後、セイランはライラの勧めで風呂を浴び、再び書庫へこもった。

 その日はさすがに夕食後にセイランは宿へ戻ったが、次の日もさらにその次の日も書庫へ通った。当初予定してたグランダノン大陸南部の各地を観てまわるどころではなかったようだ。


「ライラさん、ゼギアス様はどうしてこのようなモノを持ってらっしゃるのでしょう?」


 セイランは今まで画集に夢中だったが、ふと感じた疑問をライラに聞いた。

 一応画家の卵だから、勉強のためにいろんな絵を観てきたはずなのだが、水彩画にしても観たことのない絵ばかりが収められている画集だった。ましてや油彩など観たこともない。そもそもこの画集自体、どのような技術で作られたのか判らずにいた。


「私には詳しいことは判りません。ただ、この世界とは別のところにあるものを複製して持ってくることがゼギアス様にはできるのですわ。どのようにと聞かれても答えられませんが」


 なるほど、絵だけじゃなく、この街には知らないものが多くある。この書庫を照らす灯りだって油に灯した灯りではない。電気というもので灯りを生みだしていると言う。この世界と別のところの技術ならば、この世界でここの他で見たこともないのも当たり前だ。


 この国は、この世界とは別世界にあると言ってもいいのだろう。

 そう考えると、この国に居て絵を描けるというのは特別なことのように思える。


 ゼギアスはセイランに”この国のいろんなところを描いて欲しい”と言ったが、是非自分に描かせて欲しいと今は思う。


 その気持ちをライラに伝えると、


「本当ですか? ゼギアス様も喜ぶでしょう。私もとても嬉しいですわ」


 セイランは、この国に移住しようと決めた。

 この変わり続ける国の今を、この国の将来を自分が絵に残したい。

 美しいものを、そうでないものも全てを残したい。

 感動したものを、誰かに伝えたいものを残したい。


 だが、生活するにはお金がかかる。

 今までは、貴族の肖像画や風景画を売って稼いできたが、これからはどう稼いでいこうか……。


 この国の様々なものを描きたいと伝え、同時に懸念してることをゼギアスに伝える。


「ああ、週に一度学校で絵画教室を開いてくれないかな? あとライラが企画する絵本に協力してくれれば給料支払うよ。それと……画材はこちらで用意するから絵に関係する費用は考えなくていい。但し、使用した画材への感想は必ず教えてくれ。改良したいからね」


 セイラン・ファラディスは最初こそ週に一日だけ絵画教室を開いていたが、希望する子供達の多さに、週に三日開くことになる。夜はライラの絵本の挿絵に協力し、子供達だけでなく、大人にとっても読み書きや地理、歴史などを学ぶための本を作成した。セイランとライラが協力して作った絵本は、サロモン王国に関心を持つ他国の人達にも必読書になり、挿絵に使われた絵を描いたセイランは将来グランダノン大陸全土で名を知られるようになる。


 グランダノン大陸南部各地を水彩画や油絵で残し、ゼギアスを代表に様々な人物や種族の絵も残した。グランダノン大陸油絵の創始者と後世呼ばれるのだが、当初から完成度の高い彼の絵がどうして生まれたのかは今だに知られていない。


 サロモン王国に定住して数年後にライラと結婚する。

 サロモン王国に魅せられたセイランは生涯その多くの時間を首都エルで過ごすことになる。

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