6、夫婦の契 (その三)

 初夜を無事に過ごした翌朝、ベアトリーチェはまだ寝ているゼギアスの背中を見ながら困惑していた。


 昨夜初めて男性と肌を合わせた。

 ゼギアスは優しかったし、熱く愛し合えて幸せだった。


 問題は自分の状態。

 意識が飛ぶほどの快感に我を忘れたのだ。実際、何度も意識が飛んだし、その時自分が劣情に溺れた顔をしていたような気もする。


「はしたない女だと思われたかしら……」


 ベアトリーチェは悩んでいた。


 だが、思い出すと何かおかしい。

 キスをしながら抱き合ってる最中、突然、快感が怒涛のように押し寄せてきて我を忘れた。

 恥ずかしいけれど、あの時ゼギアス様が私に何をしたのか聞かなければ。


 あれは危険だ。あんなことを毎回されたら、中毒になってしまう。

 出会った時のマリオン様のようになってしまう。


 昨日よりも彼への愛情が強くなっている。

 これはいいことに違いない。


 でも……。


「ああ、おはよう」


 ゼギアスが起きて、ベアトリーチェの手に口づけする。


「おはようございます。あの……」


 昨夜の自分ははしたなくはなかったか、口づけの最中に何かされなかったか、ベアトリーチェは心配してることを訊いた。


「とても素敵だったよ。あと何かしたかと言えばしたよ。説明しようか?」


 お願いしますと言って、ゼギアスの説明を真剣に聞く。


 ゼギアスはベアトリーチェの緊張を解きほぐそうと、聖属性の龍気をベアトリーチェに送り込んだのだそうだ。聖属性の龍気を利用すると、特定のホルモンの分泌をコントロールできるらしい。その特定のホルモンとは、幸せホルモンと呼ばれるセロトニンや快感ホルモンと呼ばれるドーパミンなど。


 緊張してる人や痛みに苦しんでる人に使うと、それらのホルモンの作用で緊張緩和されたり麻酔の役割を果たすのだという。


「えーと、昨夜はどの程度そのホルモンを分泌させたのでしょうか?」

「んっと、ベアトリーチェさんの体格を考えると、ちょっとくらいの痛みはまったく感じない程度だったんだけど、まずかった?」


 (ええ、マズイです。マズくないけどマズイです)


「あの……それは簡単にできるものでしょうか?」

「うん、簡単だよ。ほら……」


 ゼギアスがベアトリーチェの肩に手を触れた。


 (あ……マズイ、また……ああ……ああああああ……)


 ビクッと身体が小刻みに震え、体内に広がっていく物凄い快感に支配されていく。


 (ハアハアハア……多分しばらく意識を飛ばしていたわ)


「あ……あの……」

「ん?」

「私が快感で意識飛ばしてる状態はゼギアス様にとって嫌じゃないですか?」

「嫌なはずないでしょ?」


 ベアトリーチェの目に映るゼギアスに不自然なところはない。素直に本音を話しているようだ。


「だったらいいのですけど、理性が飛んじゃってはしたないと思われたらと……」

「んーとても魅力的だからはしたないとは思わないなぁ」

「そうですか、でしたらいいんです。ただ、あの……私にはいいのですけど、というか、肌をあわせた時は毎回していただきたいくらいなのですが、他の女性には滅多なことではやらないでくださいね?」

「もちろんやらないけど、そんなに心配すること?」

「心配? 当然心配ですよ。これ危険ですよ。ゼギアス様を求める女性でこの辺りが埋まってしまうくらい危険です」

「ふーん、やはり男性相手と女性相手では結果が違うんだね」


 (男性相手に使ったことがある?)


「男性だとどんな結果になったんですか? 」

「その人は怪我してたから、単純に比較できないけど、痛みを感じないで傷口を開いて消毒・治療できたと喜んでたな」


 (なるほど。男性相手だとあの素晴らしくも恐ろしい状態にはならないのね)


「と、とにかく、私やこれからできるだろう次の奥さんや側室の他には使っちゃダメです」


 少し強めの口調で言うベアトリーチェ。


「そうでなくてもゼギアス様と愛し合うのは素敵なのですから……」


 ゼギアスの胸に一糸まとわぬ身体を預けてつぶやいた。

 ベアトリーチェの背にゼギアスは愛おしそうに手を回す。


「では私は朝食の用意をしてきます。もうしばらくここでお休みになっていてくださいね」


 ゼギアスから体を離してベッド脇のガウンを羽織り、もう一度ゼギアスの頬に軽く口づけして寝室を出て行く。


・・・・・

・・・


「ここにも風呂小屋作りたいなぁ……」


 朝食を済ませ、夫婦の寛ぎの時間をのんびりと過ごしていたゼギアスは、大好きな風呂に入るためには家に戻らなければならないと残念がっていた。


「龍の神殿からお帰りになったら、一緒に造りましょうよ」


 ゼギアスの胸に頭を預け、ベアトリーチェも寛いでいる。


「そうだね。明日からは龍の神殿だ。片道半日くらいだったね」

「ええ、でもあの森は広いので、神殿だけじゃなく周囲も見てくるというのであれば四日や五日はかかるでしょう」

「そういえば、ベアトリーチェさんも他の部族をまわるんでしょ? 何日くらいで戻ってこれそうなの?」

「私は一日一箇所回れますから、三部族回って三日。ですから多少どこかで長引いたとしてやはり五日後には戻れるでしょう」


 のんびりできるのは今日だけなんだなと思うと、横で寛いでいる妻の様子を落ち着いて見ていられる今がとても貴重なことに気づく。


 ゼギアスはベアトリーチェの肩を抱き、髪に口をつける。


「フフ、ゼギアス様は本当に寂しがりなんですね」


 肩を抱き寄せるゼギアスの大事なものを離しはしないといった様子がベアトリーチェにはとても嬉しい。


「どうやらそうみたいだ。サラもいずれ誰かと結婚して離れていく。でもベアトリーチェさんが居てくれることになった。とても感謝してる」


 結婚してもベアトリーチェさんと呼ぶ夫。

 今までそう呼んでたのだから、すぐ変わるとはベアトリーチェも思っていない。

 しかし……やはりこれでは味気ないと感じている。


「そうだ。私のことはベアリーかリーチェと呼んでください。親しき者はそう呼びます。それで……私はゼギアスと呼んで宜しいでしょうか? 」


 遠慮がちに、呼称の変更を伝えた。


「ああ、リーチェか、いいね。これからはリーチェと呼ばせてもらうよ。もちろん俺のことは好きに呼んでくれて構わない。もちろんゼギちゃんでもいいよ」


 片目でウィンクしながら、先日つい笑ってしまった呼称をゼギアスは出してきた。


 (プライドの高い人なら、そう呼ばれたら嫌がるだろう。

 でもこの人は笑って済ませてしまう。うん、やはりこの人とは肩肘張らずに楽しくやっていける)


 ゼギアスと居る気楽さに、ベアトリーチェは微笑んだ。


 玄関でコンッコンッとノッカーの音がする。


「誰かしら? 明日からしばらく出かける予定を知ってる人のうちの誰かね。きっと」


 ベアトリーチェはソファから立ち上がり、玄関へ向かった。


「姉さんが来てくれたわ」


 居間に案内するベアトリーチェの後ろにブリジッタが居る。

 ゼギアスは立ち上がり、どうぞと席を示す。

 正面にブリジッタは座り、ベアトリーチェの「お茶でいいかしら?」という声に応えてる。


「新婚さんの家に、事前に連絡もなく来て、ごめんなさいね」

「いえいえ、いつでもいらっしてください、気にしないで」


 気を遣われることを嫌うゼギアスは、ブリジッタの謝罪をやんわりと受け止めた。


「今日は家族を代表して来たの。昨日頂いたプレゼント……何よりも嬉しかったわ。本当にありがとう」


 ブリジッタは笑顔で感謝を伝える。


「喜んでもらえたらそれでいいんです。それでわざわざお礼を言いに来てくれたんですか? 」

「もちろんそのことが一番の理由。あともう一つ……ゼギアス様は”呼ばれし者”かもしれないと父が言い出してね。もしそうなら、ベアトリーチェが他の部族をまわる際に、そのことも伝えれば、エルフならすぐに言うことを聞いてくれる。だからベアトリーチェが出発する前に確認したいと思って」


 (呼ばれし者”ね……聞いたことないな)


 聞いたことない言葉に、ゼギアスは興味を示した。


「呼ばれし者というのは初めて聞きました。どういう存在なんですか?」


 この世界の他にも世界があって、そちらに魂を二つ持って生まれ、別の世界で亡くなるとこちらの世界に別人として存在するようになる。それが”呼ばれし者”。


 ”呼ばれし者”は、別の世界の記憶は持っている。ただ固有名称だけは思い出せない。通常は、言葉も通じない。ただ、大昔エルフと接触し、エルフに様々な知識を与えた呼ばれし者が居た。その者は会話も通じて、亡くなるまでエルフと共に過ごしたのだという。


 呼ばれし者がこちらに来ると、性別や年齢が変わることもある。

 但し、誰かの赤子として生まれたことはないとのこと。


 また別世界では使えなかったのに、こちらに来ると使えるようになったり、他にも特殊な力を使える者も居るらしい。

 今もこの世界には呼ばれし者として生まれ変わった者が居る。


「それで俺が呼ばれし者なのではと思ったんですね」

「ええ、違うかしら?」


 (確かに地球での記憶は転生した過去も含めて持っている。

 あちらで死んでからこちらに転生したんだし”呼ばれし者”の一種なのかもしれない。

 でも、俺はこちらに俺を生んでくれた母がいる。とうに亡くなってしまったけれど。

 うん、似てるけど違うな)


 呼ばれし者と自分との違いを確認しゼギアスは答える。


「いえ、俺はこちらで生まれましたから、残念ながら違うと思いますよ」

「そう……ごめんなさいね。余計なことを話したかもしれません」

「いえいえ、とても参考になるお話でした。”呼ばれし者”のことを聞けて良かったです」


 申し訳なさそうなブリジッタ。


 (そんなに気にすることないのにな。


 あ、それとも俺が呼ばれし者とかじゃないからガッカリしてるのかな?

 それはありそうだ。俺が呼ばれし者だったらベアトリーチェの仕事は楽になったらしいし。


 ちょっと気まずい空気。

 何か別の話題は……)


 ゼギアスが話題を探して考えていたところにベアトリーチェが口を開いた。


「あ、姉さん。ネックレス早速着けてくれたのね」


 (自分でプレゼントした装飾品くらい気づかなきゃダメだろう。

 あとでベアトリーチェに感謝しなきゃ)


「ええ、今日は家族全員身につけてるわよ。ランベルトなんて打刻された文字を見てボロボロ泣いてたわ。あの子貴女のこととても可愛がってたから仕方ないけれど」


 ゼギアスは、リーゼとブリジッタにはブローチ付きの銀のネックレスを、アルフォンソとランベルトには銀の腕輪を送った。それらには”終生変わらぬ愛情と感謝を込めて ベアトリーチェとゼギアスより”とビアッジョに打刻してもらってある。


 (そうか、喜んでもらえたか。良かった)


 ブリジッタの話しにゼギアスはホッとする。


「あれはゼギアスの案なの。記念品を残したかったし、思いを伝えたかったんだって」


 ベアトリーチェがちょっと自慢そうな顔をしている。


 (いやいやいやいや、そんな大したことじゃないから)


「お父様も感激してたわよ。良い婿殿をベアリーは貰ったって」


 姉妹は雑談を続けてる。ゼギアスはその微笑ましい光景を黙って見ていた。


 (お姉さんも美人だけど、やっぱりベアトリーチェの方が俺の好みだな……)


 失礼なことを考えながら……。

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