1、歩く女難 (その三)

「ゼギアス! 急げ! 昨日言っておいた通り、今日は早めに朝食済ませて山に入るのだから、鍛錬の時間がなくなるぞ!」


 家の前で修行僧姿のサロモンが叫んでる。


 サロモンはある事件をきっかけに俺とサラを育ててくれてる。

 各地を旅してたモンクだったらしいけど、自分のことをあまり話さないので詳しくは知らない。亡くなった親父より随分上で、多分、六十歳近い年齢だと思うけど実際は判らない。


 無手でも剣や槍を使っても相当強い。

 以前、山賊が襲ってきたことがあったが、四人の山賊を苦もなく倒してた。


 学もあるようで、勉強も教えてくれる。

 庶民は字など読めないけど、俺とサラはサロモンのおかげで本も読めれば計算もできる。


 どうして強くていろんなことを知ってるのか聞いたこともある。だけど、やはり教えてはくれなかった。 


 でも、俺が八歳、サラが五歳のときに両親を失い、身寄りもない俺達を育て、サロモンから離れても生きていけるよう様々なことを教えてくれる恩人で親のような存在だ。


 人里から少し離れたこの場所で三人で暮らし始めてからもう七年が過ぎた。


「はい!」


 それまで考えてたことを頭から離し、俺は急いだ。




 ◇◇◇◇◇◇




 俺が前世全ての記憶を取り戻したあの日から二年経った。


 サロモンが重い病に罹り、昨日亡くなった。


 一月ほど前、薪を集めて家に帰ると、青い顔をしたサラが、大汗をかきゼェゼェと息を吐いて横になってるサロモンの汗を拭いていた。サラは”洗濯を終えて戻ったらサロモンが熱を出して倒れていたの”と俺に震える声で伝えてきた。


 その様子を診た俺は、サラに一声かけ、少し離れた人里へ医師を呼びに行った。

 泣きたい気持ちを抑えて必死に走った。

 病人がサロモンだと知ると、医師は馬を使って急いで来てくれた。

 サロモンは賊を倒したりして里でも有名だったから、医師もなんとか助けたいと思ってくれたのだろう。


 サロモンを診た医師は目を伏せて首を横に振った。

 それを見た時、俺とサラは静かに泣くことしかできなかった。


 俺とサラは交代で毎日看病した。

 医師から感染するような病ではないと聞いて、看病のために里から来てくれた人も居た。


 医師から貰った薬だけじゃ治りそうもないと、サロモンから教えてもらった薬草を山で探して煎じて飲ませたりもした。俺は副作用とか同時に使ってはいけない薬があることは知っていたが、手をこまねいて何もしないよりはいいと飲ませた。


 医師にも相談したが、サロモンが教えてくれた薬草のことは知らず、ただ、自分にできると思うことがあったらやってあげなさいと言っていた。その言葉は医師として妥当な返事とは思わなかった。ダメならダメと言ってくれるかと思っていた。でも、何をやっても無駄で、サロモンの命は長くないと確信していたのだと思う。医師は俺とサラに心残りがないよう考えたんじゃないかと今は思う。


 意識がはっきりしている間、サロモンは俺とサラの今後をずっと心配していた。



 ”ゼギアス、お前はサラを守れ”

 ”サラ、ゼギアスと二人力を合わせて生きてくれ”

 ”ゼギアス、鍛錬を欠かしてはいけない。”

 ”お前達は明るい性格だ。これから嫌なことも辛いことも多いだろうが後ろ向きになってはいけない。”

 ・・・・・・ 

 ・・・

 ・

 そして、”お前達との暮らしは楽しかった。ありがとう。”



 亡くなる二日前、サロモンの意識は朦朧とし、会話はできなくなった。

 熱でうなされ、言葉も聞き取れない。

 でも必死に同じ言葉を口にしてるようで、俺はサロモンの口に耳を近づけた。


 「……デュ……デュラン族の……ね……願いを……」


 サロモンはそう言っていた。

 よほど気がかりなことなのだろう。

 口に耳を近づけると毎回同じ事を言っていた。


 もはや会話ができないサロモンに、サロモンもデュラン族なのか、それとも何らかの理由でデュラン族を心配する立場の人なのか確認はできない。でも、俺とサラがデュラン族だとは知っていたに違いない。


 そう考えれば、俺とサラがサロモンと出会ったあの日、そして今日までのサロモンの行動の理由がなんとなく判る。


 グランダノン大陸中央から北西部に位置する大国、リエンム神聖皇国で起きた異教徒大虐殺。

 通称五月の大虐殺。


 白銀の竜ケレブレアを絶対神として祀るケレブレア教を国教とする、教会が権力を握るリエンム神聖皇国は、国内で生まれつつあった様々な宗教の信者を虐殺した。老人だろうと女子供であろうと、異教徒とみなした者は全て殺した。その総数は百万人とも二百万人とも言われるが明らかではない。川には死体が溢れ、川の色も赤く染まった。


 両親を亡くした後、孤児院で生活し始めていた俺とサラも、サロモンが救ってくれなければ殺されていただろう。預けられていた孤児院は、特定の宗教下にはなかったから、異教徒の一味と見られていた。


 大虐殺の前日、サロモンは孤児院から俺とサラを引き取った。

 大虐殺の計画を知ったサロモンは、孤児院が狙われるかはっきりしていなかったが、万が一にも殺されないようにと引き取り、後に、現在住んでる家がある皇国外南方面へ逃げた。


 おかげで俺とサラは命を失わずに済んだが、後に孤児院も襲われ全員殺されたことを知ったサロモンは、大虐殺の情報を孤児院の院長等に教えたほうが正しかったのかと悩んだ。


 だが、あのときは孤児院の関係者に怪しまれず、騒ぎにもならないように引き取ることを優先した。このことを俺達は知らないで済むよう、サロモンは墓場まで持っていった。俺も随分とあとになって知ったんだ。


 そしてそれ以降、ある時は親のように、ある時は教師のように、生きるために必要な術をサロモンは俺達に教えてきた。


 そのサロモンが亡くなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る