其之一 吉利

 中国後漢末期――――政治は乱れに乱れ、前・後あわせて約四百年の長きにわたり栄えた王朝「漢」が、その終焉に向かって動き始めた時代……。

 その混沌の時代に、強烈な熱を発し、光輝くいくつもの星が生まれた。

 中でも、一際大きくあやしげな輝きを放ち、無限に広がる宇宙で煌々こうこうたるエネルギーを発している星。男は目の前にたたずむ青年のひとみを見ながらつぶやいた。

「赤か……」

「赤……?」

「そなたの瞳の深淵に赤い星が見える……」

「つまりはどういうそうでしょう?」

 毅然きぜんとした面持おももちで青年は問うた。その風貌ふうぼうには一見、何の輝きも見られない。

 顔は薄汚れ、髪も服装も乱れている。だが、そんな外見の印象はこの男の〝〟を前にしては全く関係ない。男はしばらく黙していたが、ただ一言だけ、

「治世の能臣、乱世の奸雄かんゆう

 そう、答えた。青年はじっと男の眼を見据える。鋭い眼光が男を射たが、動揺はない。青年は口元にかすかな笑みを浮かべると、剣を下ろした。そして、紹介状を男に放り投げると、一言礼を述べ、男の屋敷を後にした。

汝南じょなん許子将きょししょうか……。フッ、確かに人を見る眼はあるようだ……』

 許劭きょしょうあざな子将は汝南郡平輿へいよの人で、若くして人相見にんそうみ・人物鑑定家として名声をとどろかせていた人物である。当時、世間では著名人の人物批評が盛んに行われた。

 その中でも特に、許劭の卓越した炯眼けいがんによる的確な評価は多くの関心と話題を呼び、眼識で許子将の右に出る者無し、と評判になっていた。

 さらに、許劭が行う月に一度の特別な人物批評は〝月旦評げったんひょう〟と呼ばれ、許劭の評価イコール大衆の評価となるほど多大な影響力を持つようになった。

 そうであるから、許劭のような高名な人物から良評を得たならば、大抵は立派な人物として孝廉こうれんに推挙され、役人としての出世の道が開かれたのだ。

〝孝廉〟とは、孝行者で清廉な人物を毎年各郡国から一人中央に推薦する官吏登用制度のことである。〝郷挙里選きょうきょりせん〟といって、郷里の父老や名士たちに認められた者が孝廉に推挙されるのが普通であったが、賄賂わいろの乱れ飛ぶ今の世の中にあっては、金と権力に物を言わせる者が役人になって、さらに時代を狂わせるのであった。

「あの青年……」

 許劭は屋敷の門を出て行く青年の後姿を窓越しに見つめていた。

才知胆略さいちたんりゃくあふれるまれに見る大器……。そして、野心家……』

 許劭は心の中で青年を改めて評価していた。

『清平の奸賊、乱世の英雄と言うべきかもしれん……。それだけに人の下で甘んじる男ではない。むしろ、人の上に立つ男だ。必ずや名を成すに違いない』

 治世の能臣、乱世の奸雄――――平和な世の中であれば、国家を支える有能な功臣となるが、乱れた世の中においては、野心に生きるよこしまな英雄になる――――。

 許劭は青年の瞳の中に、その可能性を見て取った。危うさが秘められた光を……。

 許劭は手にした紹介状をもう一度開いてみた。

 若き人傑を見つけたので紹介する――――そんな短い一文だけが書かれている。

 隣国の、よく知る人物鑑定家からのものである。

橋公きょうこうは気付いているのだろうか?』

 思ってはみたが、その短い文面からはうかがい知ることはできない。

 漢王朝は火徳である。それは、この国のシンボル・カラーが赤であることを表す。ならば、輝かしい赤い宿星しゅくせいを抱くこの青年は、この国を再び栄えさせるかもしれない。だが、許劭の口から漏れたのは世をうれう溜め息だ。

『赤は血の色だ。やがて戦乱が起き、多くの血が流されるのか……』

 そうでなければいいと思う。しかし、今はまさに乱世への入り口なのだ。日ごと、乱世に近づいている。

「天はあの男を欲しているのか?」

 許劭は空を見上げた。澄み切った空の青が赤い未来を打ち消すかのように、少しだけ許劭の心をいやした。


 漢王朝は郡国制という行政制度をっている。秦が定めた郡県制を引き継ぎながら、皇族諸侯に封土を与える封建制を取り入れた制度である。

 広大な国土は十三州に分けられ、その下に郡と国が設けられた。時によって郡国の新設、統廃合があったが、後漢中期の時点では百余りの郡国があった。

 郡国の下の行政区分が県である。さらに、その下に〝きょう〟や〝〟がある。

 便宜上、王が封じられたところを〝国〟という。ただし、中央集権制が確立していて、王に実権はないので、郡も国もほぼ同等である。

 予州よしゅうは四国二郡から構成され、汝南郡も予州に属する。数々の清流派せいりゅうは名士たちの出身地として知られ、特に汝南郡と隣の潁川えいせん郡は清流派名士を多く輩出はいしゅつすることで有名な地であった。

〝清流派〟とは、当時、政権の中心にはびこり、世を濁らせる主犯であった宦官と外戚がいせきを厳しく非難して、政治の浄化運動を図ったグループのことである。彼らは儒教思想を重んじ、儒教モラルに反する宦官・外戚とその一党を〝濁流派だくりゅうは〟と呼んで対抗した。そして、濁流派を排斥はいせきするため、次々と清流派の同志を政権の場へ送り込んだ。勢力を増す清流派を恐れた宦官は、

「――――徒党を組んで陛下にたて突こうとする不届きなやからがいます」

 皇帝を言葉巧みにあざむいて、彼らを罷免ひめんし、投獄した。やがて、投獄された清流派官僚たちは釈放されたものの、政権の場から追放されてしまった。

 延熹えんき九(一六六)年に起きたこの事件は徒党を組んだとされた清流派官僚(党人)が免官され、生地に帰された(禁錮処分)ことから、〝党錮とうこの禁〟という。

 以来、「党人」は清流派の不名誉な代名詞となり、弾圧の対象となってしまう。

 濁流派のこの急進的な動きに焦った清流派は、二年後の建寧けんねい元(一六八)年、大将軍の竇武とうぶ太傅たいふ(皇帝師範)の陳蕃ちんばんを中心にして、宦官らを一掃するクーデターを計画した。しかし、それは実行に移す前に宦官側の知るところとなり、またもや大弾圧を受ける。〝第二次党錮の禁〟である。

 関係党人はことごとく誅殺ちゅうさつされ、他の党人たちも終身禁錮処分となって、官界から永久追放されてしまった。

 当然政治は益々腐敗し、世の中の流れは濁っていったが、二度の弾圧でに下った、または、最初から官界への道を閉ざされた清流派名士たちは自らが政道を正すことができなくなっても、有望な清廉の士を中央に推挙することで、今も未来への希望の光をともし続けている。故郷の平輿県に埋もれながら人物評価を続ける許劭も、そんな志を持つ者の一人だ。

『乱世の奸雄とは面白い。わざわざ来た甲斐があった』

 馬に揺られるその青年の名は吉利きつりという。吉利青年はその評価に満足していた。

 琴線きんせんに触れた一言をみしめる。しかし、一方で、

『許子将は当てにできんな……』

 そんな思いが浮かんできた。許劭の眼力がんりきを疑ったわけではない。

 許劭がまぎれもなく人物鑑定の第一人者であるという事実は評価を受けた自分自身が一番良く分かっている。何よりも許劭のあの眼は嘘を言っていなかった。

 当てにできないというのは、許劭が自分を推薦してくれないだろうということだ。

『オレのことを奸雄と言ったくらいだ。まず無理だな……』

 吉利はしばしの間、思案に暮れた。馬の背に揺られながら、虚空こくうを見つめる。

 彼は少年の頃から悪知恵に長けた悪童わるがきとして名が通っていた。いたずらを思いついては大人をだますことは日常茶飯事で、それが趣味のようであった。

 青年に成長しても、不良仲間たちと遊び回る毎日だったのだが、仲間の一人が仕官した時から彼も考えるようになった。

『――――そろそろ、上辺だけしか知らずにオレのことをさげすむ連中を見返してやるのもいい』

 だが、その上辺だけの評価が邪魔をした。常に悪評が付きまとう彼は当然ながら、孝廉に挙げられる可能性はない。仕官するのに残された道は金と権力にたのむか、名士の良評を得て推薦してもらうか、である。

 吉利青年の家は裕福な名家だったので、前者の方法を採ることは容易だった。

 が、この吉利の性分しょうぶんがそれを良しとしない。おのが能力で推薦を勝ち取ることこそが世を見返すことになるからだ。

 自身の才気には自信がある。官僚となっても十分やっていけるだろう。だから、吉利は人物鑑定の名人たちに会って評価をもらおうと訪ね回っている。

 世辞や過大評価はいらない。嘘偽うそいつわりのない真正な評価でなければ意味がない。

 わざと外見をおとしめて許劭にまみえたのも、紹介状を出さずに剣で脅して評価を強要したのもそのためだ。しかし、それだけではない。

 超一流の鑑識眼を持つ許劭を訪ねた真の理由――――自らの本質を知ること。

 自分でも気付いていない、心の奥底に眠るもの……。

「やはり、橋公に頼んでみるか……」

 吉利はもう一人の清流派名士の名前を口にした。

 梁国りょうこく睢陽すいようの人、橋玄きょうげんあざな公祖こうそ。許劭と同じく、予州で名のある人物鑑定家である。官僚の最高ポストである三公さんこう大尉たいい司徒しと司空しくう)にまで昇った人物だったが、人倫鑑定にもひいでていた。橋玄も汚濁を許さぬ忠清な人物で、数々の汚職官僚を糾弾きゅうだんした過去を持つ。第二次党錮事件が起きた時は、大司農だいしのうという農務大臣の職にあったが、さいわい党錮には触れず、党錮後も官職にあって清流派官僚たちの擁護を続けていた。橋玄は司徒の職を免官になってからは、一時郷里に引きこもっていた。

 少し前、吉利が橋玄を訪ねて鑑定を求めた際、

「――――そなたこそ混乱の今の世を救える人物だ」

 と、彼もまた吉利の素質を高く評価した。そして、自分よりも優れた眼を持つ人物がいると許劭を紹介したのも彼なのだ。

「さて……」

 かすみがかった遠くの光景ははっきりしない。しかし、吉利には自分の心の中の光景がだんだんと鮮明に見えるようになってきていた。自分が何を成すべきか。

 その時、吉利がすれ違った老人を振り返ったのは、その予兆だったのかもしれない。


 清流の水源は春秋時代の魯国ろこく陬邑すうゆうに生まれた孔丘こうきゅうあざな仲尼ちゅうじの心の中に発した。

「――――親に孝、兄にてい、君に忠なれ」

 彼は親に孝行を尽くし、年長者に従順であるという家族道徳こそが社会秩序の基盤であり、秩序を保つためには礼節が重要であると考えた。

「――――身をおさめ、家をととのえた上で主君に忠節を尽くし、仁と礼をもって国を治めてはじめて天下に太平をもたらすことができるのだ」

 孝悌こうていが仁義の心を生み、礼節をはぐくむ。そして、仁と礼によって天下を安んじる。

 この徳治主義こそが清流のみなもとにほかならない。いつしか彼は〝孔子こうし〟と呼ばれるようになり、彼の思想は〝儒学じゅがく〟という学問に変わった。

 儒学は時を経ながら熟成し、前漢の武帝ぶていの時代に大河になった。すなわち、儒学者であった董仲舒とうちゅうじょの進言により、孔子の教え、つまり、儒教が漢の国教となったのである。それから儒教は主流となり、広く国中に浸透していった。

 家が百戸ほど集まったのを〝里〟、里が十戸ほど集まって〝郷〟といい、その郷里の人々は家族的団結をしながら生活した。儒学の教養豊かな父老たちは郷里の人々の面倒を見ながら、孝廉こうれんに推挙する者を育てる。孝廉に推挙されて役人になった者は徳行で人々を導いていく。漢王朝の社会体制の裏には孔子の心にいた清流が滔々とうとうと流れ、儒教道徳が綿々めんめんと確立されていったのである。

 ところが、前漢の終わり頃から皇帝の夭折ようせつと幼帝の即位、または、皇帝に嗣子ししがなかったために傍系ぼうけいの皇族が即位する事態が重なって、必然的に皇后の一族である外戚がいせきや皇帝の側に仕えていた宦官かんがんが権力を持つようになり、政治に干渉するようになった。清流が濁り始めたのだ。

 彼ら宦官・外戚は権力の保持と私財を蓄えるのに躍起やっきになって、賄賂わいろを使って政治を乱し、幼い皇帝をいいように利用し始めた。やがては皇帝に匹敵するほどの権力を操るようになり、前漢の終焉は外戚であった王莽おうもうの革命によって迎える。

 後漢の時代になっても、幼少・傍系の皇帝に寄生する形で権力を握った濁流派の悪政はとどまるところを知らず、銅臭どうしゅうを放ちながら世の中を腐敗させている。

 それは中央に限った話ではなく、地方の豪族社会にも影響を及ぼしていた。

 豪族は大地主である。漢は農村社会の上に成り立っている封建ほうけん国家であるが、農村社会において生じる貧富の格差が豪族を生み出していった。

 豊かな者は借金・借財などを理由に貧しき者の土地を奪い、貧しき者は地主たちの奴隷と化すか、住み慣れた土地を追われて流民るみんに身を落としていった。

 大土地所有者となって経済的に豊かになった豪族は学問を学ぶゆとりもあって、役人になって権力を手に入れる。もちろん、貧民にそのようなチャンスはほとんどない。豪族出身の官僚の中には貧民の救済に尽力する清流派知識人もいたが、多くは宦官や外戚を見習って、私腹を肥やすことに終始する金権主義の濁流派であった。私兵を雇い、農村社会を我が物顔で牛耳ぎゅうじる豪族たちには最早もはや役人たちも手を出せず……と言っても、その役人が濁流派出身豪族なのだから、そこには黒い癒着ゆちゃくが存在した。国の基盤である農村社会を直接的に支配していたのは、実際には豪族だったのだ。

 そして、ここは平輿県のある豪族の屋敷。増築された邸宅。豪奢ごうしゃに飾り立てられた部屋。昔とは完全にさま変わりしている。

 この屋敷の元の主人は国家反逆罪に問われ、世を去った。所有地も財産も全て国に没収されたはずだったが、賄賂を駆使して、今の主人は屋敷と荘園しょうえんをそっくりそのまま手に入れた。

「グフフ。まさに飛んで火に入る夏の虫だなぁ。この屋敷がワシの物になったのを知らなかったのか?」

 後ろ手に縛られてひざまずかされた昔の主人の息子を醜く太った男が皮肉めいた笑みで迎えた。でっぷりと突き出た腹。たるんだ肉。肥満した巨体の上に乗っかっている二重あごの丸い顔。男の風貌はまさに〝肉瓢箪にくびょうたん〟のあだ名そのものだった。

 本当の名を金藐きんびょうという。

「おっと、流刑るけいの身だったお前が知らんのも無理はないなぁ……グッハハ」

「この泥棒豚め、気安く声をかけるな! 濁流に知り合いはおらん!」

「グッ……お前のような罪人に泥棒呼ばわりされたくないわ。この屋敷はちゃんと買って手に入れたものだ。お前の父が謀反むほんを企んだ情報を売った謝礼でなぁ。今度はお前を売ることで大金を手にできる。お前たち親子さまさまだなぁ。礼を言ったほうがいいかなぁ、グプププ……」

 金藐は下品な笑い声を知人に送り、罪人とさげすまれた男は憎悪ぞうおの視線で金藐をにらみつけた。

「そう怖い顔をするな。お前の顔を見知っていたからこそ、こうなったのだ」

 金藐は昔、清流派の頂点に立っていた陳蕃という人物の下で働く料理人だった。

 その頃、すでに宦官たち濁流派が専横を極めており、陳蕃はそれを憂いて宦官撲滅ぼくめつ計画を企てた。偶然その計画を耳にした金藐は、金欲しさに濁流側にそれを密告したのである。

「しかし、不憫ふびんだなぁ。そのやつれ様、ワシでも見分けるのが難しいわ。南蛮なんばんの気候は合わなかったのか?」

 金藐はあからさまな皮肉を投げつけた。汚いボロをまとった男の頬はこけ、不精髭ぶしょうひげがその頬を覆っている。一見、乞食こじきにしか見えないような男だ。だが、心にはにしきを纏っている。この男こそが陳蕃の遺児、高貴な血と意思を受け継ぐ陳逸ちんいつなのである。

 陳逸は遥か南方の流刑地・比景ひけいから変名を使い、姿形を変えながら、数年間の逃避行の末、故郷平輿に戻ってきたところで金藐の私兵に捕らわれたのだった。

「ふん。お前こそ昔とは比べ物にならぬほど醜悪しゅうあくつらになったな。あらかた、強欲ごうよくをその腹に詰め込んでおるのだろう」

「罪人のくせに何をほざくか。昔のよしみで、と言いたいところだったが、お前の父は大罪人。息子のお前も罪人だ。天下国家のため、これを見逃すわけにはいかんなぁ、グフフフフ」

「何だと、父を愚弄ぐろうするか、外道げどう!」

 陳逸は怒りに身を任せ立ち上がろうとしたが、すぐさま金藐の私兵に取り抑えられた。抑えつけられながらも、死ぬ間際まで濁流を罵倒ばとうすることを止めなかった気高けだかき父のように、陳逸もまた金藐に罵詈ばりを浴びせかけた。

「この醜い豚野郎め、お前のような畜生は肉料理にされるのが関の山だ! それまで精々肥えておけっ!」

「グヌヌ……! こいつを閉じ込めておけ! 用が済み次第、ワシの手で首にしてやる!」

 金藐はすぐにでも殺したい衝動を抑えながら叫んだ。自分のことを豚とののしった者はおのが衝動がなすがまま、何人も殺してきた。それから、人々の間で金藐のあだ名は卑下ひげする気持ちはそのままに、豚から瓢箪へとすり替わった。

 陳逸は連れ去られようとする間にも雑言ぞうごんを吐き続け、たまりかねた金藐は、

「口を塞ぐのも忘れるなっ!」

 そう私兵に命令した。そして、別の私兵にも命令を下す。

「洛陽へ早馬を出せ。陳逸という手配者を捕縛したゆえ、すぐに護送する、とな」

 洛陽は後漢の都――――つまり、宦官ら悪の巣窟そうくつである。


 吉利は平輿で一泊した。宿をってしばらく路地を行くと、人だかりにぶつかった。大勢の通行人が路地の真ん中で輪を作って何か騒いでいる。

「そりゃ、確かかね?」

「何じゃ、わしの目を疑っとるのか?」

 その輪の中心。どうやら、この騒ぎの中心人物らしい白髪頭の老人が、少ししゃがれた声で嫌疑けんぎを投げかけてきた男にみついた。

「御家族は遥か南方の交州に流されたと聞いたぞ」

「あっちは瘴癘しょうれいの地と聞くからな。流刑者は皆、その瘴気しょうきにやられて死んでしまうらしい」

「そんなとこから生きて戻ってきたってのかよ?」

「まさか脱走してきたのか?」

 別の野次馬たちが次々と口を挟む。

「生還されたんじゃ! 儂は小さな頃から逸様をよく知っとる。別人のようにやつれておいでじゃったが間違いない! あれは逸様じゃ!」

 その老人は涙目で力説した。それに動かされたかどうかは分からないが、

「……あながち、この爺さんの言っていることは本当かもしれんぞ。余り大きな声では言えないんだが……」

 また別の男が割り込んできた。群衆は今度はその男を中心にして耳をそばだてた。男は小声で話し出す。

「これはお役所で聞いた話なんだが……、今……こっちに重罪党人が逃げてきているらしくてな……。どうやら、その男……ずっと南から逃げてきたらしい……」

「……!」

 群衆がざわめく。この男の話のが、話により真実味を帯びさせて聞こえさせる。

「それじゃあ、やっぱり……」

「ほれみろ、儂の目に狂いはない。逸様は戻って来られた」

「だったら、逸様は役人に捕まったのか?」

 その問いを受けた老人の顔がにわかくもった。

「……いや、ありゃ違う。肉瓢箪の兵じゃった。何とかお助けしようと思ったんじゃが、このざまじゃ」

 老人の顔や腕には痛々しいあざが残っていた。

「あいつかっ!」

「くそっ! 俺が県尉けんいくらいになれたら、あの野郎を牢獄にぶち込んでやるのになっ!」

 それから人々の話題は肉瓢箪の悪口に集中して、白髪の老人は人だかりを脱し、吉利の方へ歩み寄ってきた。

「もしもし、吉利様というのはあなた様のことでしょうか?」


 橋玄の屋敷がある睢陽すいようまでは四百里(約一六〇キロ)あり、馬を使っても二、三日はかかる。ただ、吉利の旅は特別急ぐものではないので、吉利は老人の是非にとの懇願こんがんにつきあう形で、近くのあずまやに腰を下ろして、そのおきなの話に耳を傾けた。

「私めは名を商結しょうけつと申します」

 その丁寧な物腰は先程の意気軒昂いきけんこうな老人とは別人のように思える。

「実は、あなた様のことは許劭きょしょう様から聞きまして……」

「許子将殿から?」

 その老人の口から許劭の名前が出てきて、吉利は怪訝けげんに思わずにはいられなかった。商結の顔を注視して見てみると、痣だらけではあるが、その顔に見覚えがあった。許劭の屋敷の側ですれ違った時に見た翁だ。

 吉利が許劭邸を去った後、商結が許劭と対面したとして、どうして許劭が自分のことをこんな老人に話したのか。

「はい。是非ともあなた様に御相談したきことがあるのでございます。平輿の陳逸様をご存じでしょうか?」

「先程話していた人物のことだな?」

「はい。陳逸様は今は亡き陳太傅様の御子息であられます」

「おお、陳太傅の……」

 清流派の大家にして、宦官のわなに散った高潔の士――――陳蕃はあざな仲挙ちゅうきょという。

 陳蕃はここ汝南郡平輿県の出身である。各地の太守や中央の要職を歴任しながら、濁流勢力と政争を繰り広げ、第一次党錮では罷免ひめんき目にあう。

 その後、皇帝の教育係である太傅の職に返り咲いて、老骨にむち打ってまで政界浄化に努めるその姿は全ての清流人の尊敬の的になって、竇武・劉淑りゅうしゅくと並び、「三君」――――〝清義を指導する三君子〟とたたえられて、名実ともに清流派人士のトップと認められた人物だった。

 右扶風ゆうふふう平陵へいりょうの人、竇武、あざな游平ゆうへいは娘が桓帝の後宮に入り、皇后となったことから権力を得た、いわゆる外戚である。しかし、彼は外戚の中では珍しく清廉な人物で、権力におごることなく、正義の心を忘れていなかった。軍事の最高司令官である大将軍に任命されると、腐敗政治を正すため、陳蕃ら清流派官僚と宦官の撲滅を計画した。

 ところが、それは失敗に終わり、このことが第二次党錮の直接的原因になってしまう。先の処分が甘かったことを反省した宦官たちは、今度は完全に口を塞ぐべく動いた。死人に口なし。竇武・陳蕃を謀反人に仕立て上げ、逆に誅殺したのだ。

 この事件の後、竇皇后は幽閉され、竇武の一族は老若男女問わず遥か南方の日南にちなんへ、陳蕃の一族は比景へ流されたのだった。共に今のベトナム、僻遠へきえんの地である。

 なお、皇族の中でも最も学識があり、三君の一人に数えられた劉淑、あざな仲承ちゅうしょうもまた讒言ざんげんされて自殺に追い込まれ、ここに三君は皆果ててしまったのである。

 さらに、この事件は濁流派たちの警戒心と憎悪を一層増大させて、それが翌年の第二次党錮の大弾圧となって表れる。未だ残るうれいを断つため、李膺りよう杜密とみつをはじめとした名実ある清流派人士百余名をことごとく殺したのだ。

 新たに罷免、追放された者も数多く、その中で濁流側に暗殺された者も多い。

 党錮の大虐殺から四年が過ぎたが、清流派人士の完全抹殺まっさつ目論もくろむ濁流派の魔手は勢いを増していた。

『陳逸も奴らの標的のはずだ』

 吉利は簡単な推理を働かせてみた。

「私はかつて陳蕃様のお屋敷で働いておりました。陳蕃様が亡くなられ、逸様は捕らわれの身となられましたが、私めは逸様は必ず生きて戻られると信じて、また逸様のお世話ができることを願って生きて参ったのです。……そして、ついに逸様は戻って来られました」

 商結老人は感極まって、その目に涙をにじませた。

「それなのに、この地の奸賊に再び捕らわれてしまうとは……」

 老人の瞳に溜まった感涙かんるいが、悔し涙となってこぼれ落ちる。

「私めはわらをもつかむ思いで何か方策を頂こうと許劭様にお話しをしたところ、あなた様を紹介されたのでございます」

「許子将殿はオレのことを何と言っていた?」

「はい。あなた様はいずれ世に出る英雄だから、必ず力になってくださると申されました」

『許子将め、オレを試す気だな……』

 吉利は許劭の思惑を読み取った。

「今この時にあなた様に出会えたのはまさしく天の助け。吉利様、どうか逸様を助けるために力をお貸しくださいませ!」

 この難儀な申し出に返答するのに、吉利には一瞬の逡巡しゅんじゅんもなかった。

「名にしおう陳太傅の御子息のためとあらば、何とかやってみよう。さぁ、爺さん……」

 言いながら、ひざまずいて嘆願する商結老人を助け起こした。許劭が自分のうつわを試そうとするその意図を感じ取ったからには、吉利はあえてその挑戦を受けて立ちたい気に駆られたのだ。

「しかし、なぜオレの居場所が分かった? 許子将殿も知らぬはずだが……」

「許劭様が言われますには、あなた様は長旅をして来られたので、街で一泊し、それから睢陽に向かうはずだから、北の路地でうわさを広めながら待つようにと……」

「噂?」

「はい。大抵の人は派手な噂には耳を傾けたがるそうでございます。それに噂が広がれば、他に気骨ある人物が現れて、逸様を救おうとするかもしれないともおっしゃいました」

『計算済みということか……』

 吉利は内心驚愕した。今までに経験したことのない驚愕に揺れていた。

 自分の行動が読まれる驚愕……。

 許劭は知っていたのだ。橋玄からの紹介状で、吉利が推挙を取り付けようとしていることも、急ぎこの地へ来たことも。それは別に驚くべきことではない。

 が、しかし……。

 それらデータをもとに思考を読み、許劭の眼は人の心を見透かせる。

『奴は人相見以上に策士だ……!』

 ふと、この思考も読まれているのではないかと思う吉利だった。





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