第10話 I've been singing with my band

 公開してからというもの彼らのバンドはすぐさま話題となった。ミュージックビデオの再生回数は瞬く間に増えていき、注目度も高まった。CMソングとしてのタイアップ、音楽系雑誌の表紙とロングインタビュー、夏に開催されるフェスの出演の決定、テレビ出演、ラジオに至ってはバンド名を冠した番組まで持つようになった。

 知名度を上げるのは難しいが、一度知れ渡ると浸透は早い。若者たちには特に。街を歩けば彼らの曲が流れ、制服を着た学生たちは口々に話題に挙げる。今だって僕の隣の席に座っている女子高生たちが盛り上がっている。僕はそれを聞くともなしに聞き、ハンバーガーにかぶりつく。

 都内のファストフード店。窓側の席を西日が照らし、僕は背中が少し熱い。けれどそれを避けるのも面倒くさくて、どうせ数分ほど耐えればいいのだからと構わずにそのままにしていた。広くない店舗は混雑しており、レジの向こうで店員らが忙しそうに動いているのが見える。口の中にケチャップの酸味が広がる。

 春が終わって、夏が訪れようとしていた。ムッとした息の詰まる熱気は、上京する前には感じたことのないものだった。東京に来て二回目の夏。それでも暑さにはちっとも慣れそうになかった。

 断っておくけど、僕は僕の切ったバンドのことを悪く言うつもりはない。彼らの成功を両手を上げて喜ぶことはしないが、けれども嫌悪感を抱くなんてこともない。彼らが売れるのは僕にとってなんの問題もないことだ。問題があるとすれば。

 再びハンバーガーをかじったとき、前歯にポリ、という感触があった。ピクルスだ。僕はピクルスが嫌いだ。注文したときに抜いてくれと頼んだはずだけど、入ったままになっている。舌打ちをし、僕は指先でピクルスを引き抜き包み紙に投げる。口直しに、フタとストローを外してカップを傾けコーラを流し込む。いっしょに入り込んできた小さい氷をかみ砕く。

 彼らが注目され始めてから四か月ほど経過していた。その数か月で彼らの生活は激変したことだろう。

 問題があるとすれば、それは僕に変化がないということだった。四か月という時間があって、なにひとつだ。予定では僕はまたどこかのバンドに加入し、注目を集めるような活動をしているはずだった。ところがいまだに一人でいる。

 前回と同じようにどこからかスカウトが来るような気がしていたが、さすがにそれはなかった。僕としても二度も似た手段が通じるとは思っていなかった。

 とはいえ、僕の人生はいいものだ。その確信は揺らいでいない。最後の一口になったハンバーガーを飲み込む。

 隣の女子高生たちはまだ彼らのバンドのことを話していた。彼らの容姿は整っている。それこそ女どもが群がるくらいに。彼女たちはそれぞれ画像検索をしながらこれが一番カッコイイだの、いやこっちもカッコイイだのなんだのという会話を繰り広げていた。ただ、新規加入したベーシストの人気はほかのメンバーより劣っている。技術は高いが(これは素直に認めるけれど僕よりも高い)、その代わり顔は、なんというか個性的だ。

「でもさー、ベースの人だけちょっと微妙だよね」

「ね。ここが完璧だったらマジで完璧なのにね」

 僕もそう思う。

「なんか前は違う人だったらしいよ。そっちはカッコよかったんだって」

 僕もそう思う。

 立ち上がって店を出ようとすると携帯にメッセージが届いた。


 ジョッキをぶつけて乾杯するなりビールを飲み干し、

「そんでお前、どうなの」

 お通しのキャベツをバリバリとしながらそいつは聞いてきた。

「どうなのって?」

「前回からなんか変化は?」

「なにも」

 中央線沿いの駅の近く適当な居酒屋。カウンターの端の席。バンド仲間でもあり飲み仲間の一人であるこいつとは、月に何度かこうして酒を飲む。

「のんきだねえ」

 馬鹿にしたように笑いながら、やつは早くも二杯目のビールを注文する。ついでにいくつか目についたメニューも。

 ほぼ満席の店内は酔った客たちでうるさいくらいだった。あっちこっちから注文を頼む声が聞こえてきて、ホールスタッフのバイトの女の子たちは動きっぱなしだった。カウンター席の目の前はキッチンスペースになっていて、ガラス越しにこちらもバイトらしき大学生風の男が顔を真っ赤にしながら焼き鳥を焼いているのが見える。

 ライブハウスで働いているこいつと会ったのがいつのことだったかもう覚えていない。ひげ面で体格がよく、遠慮がない。四十代に見えるが驚くことに僕と同い年であり、しかも同郷ということが判明し話すようになった。

「必要なことだよ、なにごとも焦って視野が狭くなったらおしまいだ」

「いつまでもそう悠長に構えていられると思ったら大間違いだぜ」

 威勢のいい店員が新しいビールと、たこわさ、きゅうりの漬物が運んできた。やつはさっそく箸を伸ばしてきゅうりを挟み口に放り込む。

「まあいいや。おれには関係ないことだし。くたばろうが地元戻ろうがな」

「ずいぶん冷たいこと言うね」

「どうにもならなくなったらな、心当たりがあるからよ、泣いて頭を下げたら考えてやる」

「ごめんだね」

 シメさばと軟骨唐揚げが来て、僕は店員にハイボールを注文する。やつは全てのシメさばに醤油をドバドバかけ、そのうちのひとつを食べた。醤油の味しかしなさそうだと思った僕は箸を引っ込めて軟骨をつまむ。

「そういや地元といえば」

「うん?」

「潰れたな」

「なにが?」

「グレープジャンキー」

「え?」

「老朽化だとかで、取り壊したんだと」

 瞬間、冬が頭をよぎった。喧騒が遠のいていく。

 僕たちの地元で音楽をやっていてあのライブハウスに行ったことがないやつはいないだろう。目を閉じなくても思い描くことのできる店の内部。狭苦しい楽屋に汚いトイレ。壁の手触り、ステージのにおい。ステー上からの眩しい景色も。そうか、なくなったのか。

 なかなか受け入れがたい事実だった。ずっとあったのが当たり前だし、この先もあり続けると思っていたから。でもそれはそう、思い込みだ。

 騒がしさが戻ってきて、僕は、へえ、とだけ答えた。

「おれも少し前に聞いてビビったね。寂しいねえ、あそこがなくなるとはねえ」

 僕だけじゃなく、こいつもずいぶんと通っていたらしい。そのとき組んでいたバンドで。その点も親しくなったポイントの一つだ。面識がなかったのが不思議なくらいだった。

 焼き鳥の盛り合わせとハイボールが届いた。

「おれもお前も一度も地元に帰ってねえもんな。色んなところ変わってんだろうなあ」

 その気持ちはわからなくもないけど、こいつと辛気臭い話をするのはごめんだった。話題を変えることにする。

「それよりこないだ言ってたガールズバンドのギターの子どうしたの?」

「なに、聞いちゃう? そりゃお前大いに盛り上がりましたよお」

 男と飲むときなんて、こんな話だけで十分だ。


 飲み会から数週間後。

 変化が起きないのであれば自分から変化を起こせばいいということで、僕は新しいバンドをつくることにした。ネットで呼びかけてみたところ思ったより大きな反響があった。時間はあったからじっくりその中から吟味することができた。大事なのは技術、それにルックス。どっちかではいけない。両方とも兼ね備えてないと意味がない。この時点で相当数脱落させて、残った一握りに要求するのは僕と上手く付き合えるかという点。同じ轍を踏むのはごめんだった。寝首をかかれてはたまらない。そのあたりを見極める必要があった。

 そうして僕の新しいバンドが出来上がった。気が付けば一年ほど経過していた。その分上手くいくという自信もあった。

 ところで僕と僕を切ったバンドの関係性についてネットでは色んな憶測が流れていた。方向性の違いで脱退ということになっていたけれどメジャーデビュー直前でメンバーの入れ替えなんて、そりゃなにもないと思うほうがおかしい。女の取り合いだとかメンバー間の確執だとか不仲説が有力であるとまとめられていた。女の取り合いは別として、まあ、あながち間違っちゃいない。よほど気になるらしい勇気あるヒマな何人かが聞いてきたことがあったが、僕は真面目に取り合わず冗談で答えていた。向こうのバンドに尋ねたやつもいたらしいけど(本当にヒマなんだろう)、彼らとしては僕の在籍していた時代の話はしないというスタンスを取っているみたいだった。僕が言いたいのは脱退について、第三者にとっては知りたい情報であるということ。そしてそれはイコール僕に対する注目でもあるということだ。

 そんなわけで、仮とはいえメジャー直前までいった僕の新しいバンドは業界では少しばかり話題になった。僕がなにも言わなくても、雑誌やネットが勝手に煽ってくれる。「再び戻ってきたベーシスト! あの脱退の真実とは!」とまあ、こんな感じで。

 鉄は熱いうちに打て。その注目があるうちに次々とライブを開催し、そのライブ映像を動画サイトやらSNSで公開する。するとさらに注目度が上がるという好循環。

 あっという間にメジャーデビュー! なんということにはならなかったがそれでも、じわじわと流れが来ているというのを自覚できるくらいには手応えがあった。活動が一年経過する頃にはワンマンライブを開催できるようになっていた。順調だった。

 しかし長続きしなかった。

 九月のことだ。そのとき僕は家に連れ込んだ女とセックスをしている最中だった。適当なバーで一人で飲んでいると僕のファンだと向こうから声をかけてきたのだった。何度無視してもかけ直してくる誰かに舌打ちをしながら行為を中断し、画面を見るとマネージャーからで、どうしたと尋ねると慌てた様子で説明してきた。

 女を連れて歩いていたメンバーが通行人に話しかけられ、言い争いになりその相手を殴ったということだった。

 僕は怒りで再び舌打ちをしたが、頭のどこかでああやっぱりなと納得していた。

 メンバーの仲でもそいつは頭抜けて溺れていた。目まぐるしく変化した環境に。少し前まではバイトで食いつないでいたただのフリーターに、金がどばっと入り込んでくればそうなるだろう。顔も界隈では知れ渡り、それに伴って女も寄ってくる。

 僕はメンバーのプライベートに一切の興味がなかった。どうでもいいことだからだ。メンバーは僕のやりたいことを実行するための手段に過ぎなかった。どこでなにしようが構わない知ったこっちゃない勝手にしろ、ただし迂闊なことはするな、僕は彼らにそう言っていた。そいつは結成した当初こそ腰の低いやつだったが売れ始めた途端に態度がでかくなっていった。散々忠告をしていたが、この有り様だ。

 ワンマンの終わるタイミングで首を切って新しいやつを探そうと考えていたところにこの知らせだった。僕はつくづく遅い。

 今から警察に行って話を聞いてくると早口で言うとマネージャーは電話を切った。

 僕は一度深呼吸をしてからセックスを再開した。どうするか考えるのはそのあとだ。このイライラも射精といっしょに吹き飛ばしてしまいたかった。

 そして僕たちは解散を余儀なくされた。テレビや新聞での報道は小さいものだったが、ネットのまとめに取り上げられると途端に野次馬が集まり騒ぎが大きくなりすぎたからだ。どうやらそいつは地元でも上京してきても女関係で相当揉めていたらしく、あちこちからいろんな証言が出てきて沈静化するのはとてもできない状態だった。

 あっけない終幕だ。


 僕は自分の考えを改めることにした。僕は元々他人を信用するタチじゃないのにバンドを組もうなんていうのがそもそもの間違いだった。誰の手も借りず一人でやればいい。

 ベースを手放し、ギターを。弾き語りなら一人で十分だ。

 謹慎というのか自粛というのか、とにかく年内いっぱいはなにもしなかった。ほかのメンバーたちがどうなったのかはどうでもよかった。その間に僕は弾き語り用の曲をつくる作業をしていた。

 ネットでは今回の騒動に関して僕に同情的な意見が多かった。実際巻き込まれたわけだし、僕に落ち度はない。二度もデビューをしそこなっているということで、呪われているのではという意見もあった。笑える。

 年の明けた一月。地元から離れた期間が長くなって耐性がなくなってきたのか、以前よりも東京の冬が寒く感じるようになっていた。それとも寒さが増しただけか。僕はギターをぶら下げてライブハウスに向かっていた。

 告知したときの反応は思ったよりもよかった。否定的な言葉もほとんどなかった。チケットも完売とまではいかなかったが八割ほどはさばけている。

 ライブハウスではなく、知り合いの雑貨屋の一区画を借りることにした。安く貸してくれたというのもあるけど、広い会場を借りて集客が少ないときのことを考慮したからだった。自分一人に果たしてどれだけの人が金を払うのか見当もつかなかった。

 そのスペースはイベントで使用することも多いらしく、先週は手作りアクセサリー教室があったと聞いた。弾き語りも今回が初めてではないようで、知り合いも手慣れた様子で動いていた。「店の宣伝をやってくれればあとは自由にしてくれていい」とのこと。一人掛けの、折り畳みができるアウトドア用のイスを並べていく。五十人ほど入れるだろうか。

 弾き語りは初めてということもあり少々緊張していた。しかしいざ始まってみるとライブは盛況だった。やるか迷っていた解散したバンドの曲をやれば声が上がったし、新しく用意した曲もなかなかの反応を見ることができた。アコースティックギターの音色も手伝って雰囲気はゆるく和やかに進行していき、今までのライブでは体験したことのない空気で、僕としても新鮮な気持ちになった。

 一人で、よかった。この感覚は一人でなければ味わえなかったろう。帰りの電車に揺られながら気持ちのいい満足感が胸を満たしていた。

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