第7話 on your marks get set go
雑誌「ヒート」誌におけるインタビュー
――そうですね、我が強いというのは言われます。自分ではあまり自覚がないのですが、何人かに指摘されたことがあるのでおそらくそうなんでしょう。ただ競技ダンスにおいて最も重要な要素の一つは「見られる」ということですから、そもそも目に留まらないと話になりません。注目を集めなければならないとなると、おのずと主張は激しくなっていきます。私を見なさい、そういった気持ちでいつも試合に臨んでいますが、そういうものの積み重なりが我が強いというところに繋がってくるのかもしれませんね。
今でこそありがたいことにこの世界で少しは名前が広がり、こうしてインタビューを受けるような立場にいますが、とはいえ私も最初から順風満帆だったわけではないのです。
競技ダンスを始めたのは二十歳の頃でした。大学生だった私は二十代になるということで、なにか新しいことを始めたかったんです。当時住んでいたところの近所にスタジオがあって、なんとなく興味を持ったことがきっかけでした。見学をして、その世界に自分も参加してみたくなったんです。
最初はとても苦労しました。なにせ私はとても身体が硬かったんです。ステップを覚えたり柔軟をしたり、はたから見たら地味で退屈なことのように映るかもしれないけれど、私にとっては刺激的でした。新しいことはたとえどんなに些細なことでも新鮮に感じるものです。
パートナーは五つほど年上の方でした。私と同じように始めたばかりの初心者です。高い身長のわりに身体が細いのが印象的でした。でもいざ踊ると、ぎこちないながらも指先にまでしなやかさが宿る美しさがありました。柔和な顔つきにやわらかな声のトーンをしていてそういった部分も好印象でした。
初めて大会に出場したときのことはよく覚えています。下手なりに中盤まではよくやっていました。でもどのタイミングだったか、私がステップを間違えて彼の足と絡まり転倒してしまったんです。私は恥ずかしさでいっぱいになってしまって、その後はもうめちゃくちゃでした。思い出したくもないです。
二年ほどが経過しそんなミスをすることもなくなっていましたが、その頃の私には上位に食い込めないという悩みがありました。楽しければいいというところからだんだんと勝ちたいという意欲が湧いてきたんですね。
大会中は動画を撮っています。あとで見返して反省したりほかのカップルと比べたりするのに使うのですが、それを見ると一目瞭然でした。とにかく私たちカップルは見ていて面白みがないんです。ずっと基本的なステップの繰り返しで、それも大切なことではありますけどアピールするには弱く、飽きます。対して表彰台に立つようなカップルの動きは全くの別物です。華やかで、ダイナミックで、とにかく目を引く。観客の視線はみんな彼らに向いているであろうことがわかるくらいです。私たちは存在しないことと同じです。誰も見ていないわけですから。
私は少しでもいいものにしたかったので、彼に振り付けを変えたいという提案をしました。ところが彼の反応はあまりいいものではありませんでした。組んで二年になった彼とはいい関係性を築いてきていましたが、少しずつズレを感じていたのも事実です。というのも私と彼とでは見ている景色があまりにも違っていたんです。彼にとって競技ダンスとはあくまで趣味や交流の一環でありその延長に過ぎませんでした。つまり現状で満足していたんです。彼を悪く言うつもりはありません。ただ私が歩く方向を変えてしまったんです。
それでも彼は私を受け入れようと努力してくれました。次から次へと意見を言う私に、戸惑いながらも。でも齟齬はどんどん大きくなり、やがて修復しきれないほどになってしまいました。
ある大会に出場する数日前に、彼は私に切り出しました。「この大会が終わったらカップルを解消させてほしい。表彰台を狙うなら僕のレベルでは低すぎる」と。その大会では表彰台にこそ立てませんでしたが、当時の最高順位を記録しました。競技ダンスの世界に飛び込んでから三年目のことです。
私は新たにパートナーを探しましたが、これがとても難航しました。私の感覚と重なる人がいなかったのです。こと感覚的なことだけに、フィーリングが噛み合わないことはすぐにわかってしまいます。横のつながりが強い世界なので色んな人から色んな人を紹介されましたが、どれもうまくいきませんでした。しかしそれでも踊りたかった私は、そのときだけカップルを組むというおよそ褒められるものではない手段を取ることにしました。私が相手に合わせ、相手にはできるだけ私の感覚に近づけてもらう。こうすることで、なんとかそれらしい振る舞いをすることができました。
そしてこの方法の良し悪しは別にして、たとえそのときだけのカップルだったとしても、私はだんだんと上位に残れるようになってきました。とにかく結果を残したくて大会の規模に関係なく開催されるものには片っ端から参加しましたが、そのうち何度か優勝することもできました。
私は自分の感覚を強く信じるようになり、その思いを抱いたままイギリスに飛び立ちました。日本ではもう、私に見合うパートナーはいないと考えたからです。
今思うと信じられません。大学を卒業して就職していましたがそのために仕事まで辞めて、しかもなんの計画もなしに一人で行くなんて。私は自分でも気づかないうちに、いつの間にかダンサーになるというのが夢になっていたんです。失敗したときのことなんて少しも考えず、とにかく行ってやるって気持ちでしたね。
イギリスは刺激的でした。競技ダンスの人口も多いし、なにより最も有名な競技会であるブラックプールダンスフェスティバルがあります。私はとにかくダンス漬けの毎日を送りました。バイトをしながらダンスをする日々は悪くありませんでした。吸収できるものはなんでもやろうと決めていたので、競技ダンス以外のことも挑戦しました。たとえばミュージカルの映画の端役とか。
その中で出会ったのが、今の夫であるケビンです。彼もまたプロのダンサーを志す一人でした。彼のダンスはとにかく優雅で、同時に力強さもあり、まず私はそこに惹かれました。なにより一番驚いたのは、意気投合して試しに踊ってみたらピッタリとフィーリングが合ったんです。彼もそれをしっかりと感じ取ったみたいで、そこから私の新しい競技ダンス人生が始まりました。
私の意見を、ケビンはよく聞いてくれます。私にとってそれはとても喜ばしいことでした。衝突することもありましたが互いに主張しながらもベストの落としどころを見つけ出す作業は、感覚的なことですから途方もなく、しかしこの上なくダンサーとしての充実感を得ることができたように思います。彼のおかげで、私は本当の意味でのダンサーになれた気がします。
初めて出場したイギリスでの大会でも私たちはいい成績を残すことができました。それは私たちにより自信を与えてくれるものであり、私たちはますます練習に打ち込むようになりました。
そうして三年ほどたったときに結婚しました。家にはトロフィーがいくつも並んでいます。今はケビンが練習の際にできた足のケガがあるので大会には出場していませんが、焦らずゆっくりリハビリしてもらいたいです。
休暇を取るといいよとケビンが勧めてくれたので数年ぶりに日本に来ましたが、イギリスよりあたたかいですね。東京の人の多さには懐かしさもありましたが、やっぱり歩きにくくて少しいやです。数週間ほど滞在する予定なので、のんびり過ごすつもりです。
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