第15話夢幻2
私を咎人と述べる存在が居るがそれは仕方が無い事だ・・そう私は身内のしてきた業を相続してしまった存在だ私は最初は当然の如く不服の感情で一杯であった
だがその様な感情が芽生えたのはが私であると言う記憶そして前世の記憶と言う物が形成する事が出来た4歳半の時に自分と言う存在が何をするべくして生まれたのかを察したのだ
そう本当は私の様に亜人としてでは無くて人間として生まれてくる存在其れこそが鳶の島に暮らす居や鳶の島の守り神の様な存在である
・・・・さて此の場所には色んな亜人や人間が暮らして居たそして最後は塵芥に成るのだろうか否此の事を考えても詮無き事だろう
今自分が成すべき事は単純明快だ確か神様みたいな存在に会いに行った後神様に尋ねられたんだよな故に私自身は「唯有るが儘に生き有るが儘に死にたいんですよ私は貴方が述べて居る様な善人でも無いし悪人でも無いし曾爺さんの様に立派な存在になる事は残念だができやしないです
私が出来る事は唯曾爺さんの真似事をする傍ら自身が生きて居たと言う痕跡を残すだけですよ」と自嘲気味に述べたんだ
まあ実際問題として私自身の人生は曾爺さんの成して来た偉業の前では無意味だし爺さんの様に成れないし今までの人生と言う物事態が曾爺さんの威光で生きていたに過ぎないのだ
さて今の私と言うのは本土に戻る便に戻る為に港で船を待っている状況だ・・だからこそ私は本を読んでいるいろんな本を読んだ
其れで私は「僕等は親っさんのパンが好きだ」と言う「とある都道府県に存在する白鷺軒と言うパン屋を営んで居た元軍人の店主を通して日本人とパンとの関わりを示した作品」と言う点で評価された作品だ
確か作者の名前は「美濃部 飛騨男」と言う名前で作者である人物の出身地が岐阜県で有る事から其のペンネームに据えたんだよな
其れで本の内容が「私が此のパン屋でパンを買ってから、そして仕事場に向かうと言うのが何時も変わり映えのしない日常の一コマみたいな物で有った
然しあのパン屋の店主が死んだ後にとうとう何時もの変わり映えのしない日常と言う物は崩壊する事に成ったのだ
だがあのパン屋の店主も年だったからこそ仕方の無い面もあるのだけれども、だが何でだろうなああの店主の作るパンの味と言う物は忘れる事が出来ないんだよなあ
だからこそ私はパン屋の親父さんが無くなってからと言う物「パン作り」が自分の趣味に成ったのだ・・「其れでどうしてパン作りをしているのかって?」
まあ其れはパン屋の親父さんの味を忘れさせない為に自分でパンを作っていると言う訳だ、因みにだが私自身は何時も親父さんの店で焼きそばパンとサンドイッチを買って居たのだ
さてパンを作りますかね・・まあ親父さんの様に美味しい物は造れないけれども少しでも近付く事が出来るのならば其れで良いか
其れで何時から親父さんの店に通っているのかって?・・そうだな初めて親父さんの店に言ったのは今から30年位前かな
そう其の時私は21だったけな、其れで其の当時未だ自分が住んで居た所にはコンビニと言う物は存在して居なかったしスーパーも車で走らせなければ行けない距離の片田舎の町に住んで居たんだ
其れで私は最初先輩の驕りでパン屋のパンを奢って貰ったんだ、其れで奢って貰ったパンと言うのが親父さんのパンと言う訳だ」と述べて居た新聞記者を勤めていた中橋道則さんの回想
其の外にも「俺の行きつけのパン屋は去年親父さんが死んで以来この世であの味を2度と食べる事が出来ないんだなあとしみじみと思う様に成ったのだ
其れで俺自身は今はこの世にいないあのパン屋の親父さんとは同じ趣味を俺は持って居たのだ
そう親父さんの趣味というのは川で魚釣りをすると言う事が有ったので俺自身も一緒に鮎を釣ったりしたりもしたなあ
そしてパン屋の親父さんは本当に鮎釣りが上手いのだ・・さて時々だが親父さんは店で総菜パンを出す際に魚を具材にした惣菜パンを出した事が有ったのだ
まあ其のパン自体の味は美味しかったけどなあ・・まあ当然といえば当然だ何しろ鮭なんだからなあ
さて親父さんは時々だが普通とは少し違う総菜パンを作る事が有るのだ、そう具体的には「魚と一緒に蒸した蒸しパン」と言う商品を出したりしたのだ
まあ一度試しに商品を買って見たが其処まで不味くは無く普通の味で悪くない味付けだった其れで親父さんは時々だが創作パンを作っていたりと新しい物を作る事に対して余念が無かったのだ
さてパンでも買いに行きますか・・だが親父さんの造って居たパンの味にはもう触れる事は出来ないんだよな」そう述べて居た画家の森守道宗平さん
そして「私の名前は水島直人と言う売れない画家をしているのだ・・其れで当然の如く収入と言う物は少ない物だ
そう年収が3桁を越した事なんてないのだ・・だからこそ両親から「画家としての本業を捨てて趣味と居て絵を掛け」と言われたのだ
そして今は実家の漁師を継いで居ると言う訳だ・・其れで自分は画家見習いの際にパン屋の親父さんには色々と世話に成ったからなあ
そう私が油絵の画家をしていた時に自分が画家をしていた時の近所には残念ながらスーパーやコンビニも無い時代であったのだ
だからこそ食品を買うのには八百屋や魚屋などの店に行かなければ成らなかったのだ・・だからこそ私は親父さんの救われて居たんだよな
まあ・・だからこそ画家であった私には贅沢な暮らしは出来なかったのである、其れで何故「都会で暮らすと言う選択議は無いのか」と言う様な質問が来るだろう
だが自分が生まれ育った場所と言うのは本土から少し離れた離島なのだ・・だからこそ裸一貫でで東京や大阪にまで行く勇気は其の当時の私には持ち合せて居なかったのだ
だが今思えばあのまま画家として大成できたかと言えば多分だが答えは成功出来なくて挫折をしたかも知れないなあと今でもそう考える時が有る
だが自分は画家として行動して居た時が一番生きて居て己の意志と言う存在を感じる事が出来ていたなあと思えて来るんだよ
其れで・・まあ画家の時に色々とパン屋の親父さんには世話に成って居たからなあ、そう格安でパンの耳を買う事が出来たし惣菜パンも安く売ってくれたりしてくれたなあ
だからこそあの時の光景を私は今でも振り返ってしまうのだ」そう述べた元画家の西田昇さんとか述べて居た
さて自身の仕事を貫徹しなければ成らないな
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