第7話「変われたと思った筈なのに」

 内藤慧ナイトウケイの日常は、以前とは変わった。

 自分自身が変わったからだと、今は思いたい。

 孤立した退屈な学園生活でも、自分から変えていけるような気がした。

 気がしただけでも、今は十分だった。


「おーい、内藤! めしに行こうぜ、飯!」

「あ、うん。ちょっと待ってね」


 昼休みになると、クラスの全員が一斉にスマートフォンを起動させる。授業中は電源を切ることが校則で決まっており、昼休みだけ使用が許されているからだ。

 誰もが皆、昼食を広げる中で華やいでいる。

 ネット社会から切り離されていた教室が、世界とのタイムラグを取り戻しているのだ。今や地球上を埋め尽くすネットワーク社会は、誰にとっても必要不可欠なものである。

 だからこそ、その外での交友関係を慧は大事にしたいと思っていた。

 自分のスマートフォンにもメールが来ていたが、軽く確認して返事はあとにする。最近親しくなったクラスメイトと、食堂に行く約束をしているのだ。


「お待たせ、佐渡サワタリ君」

「おう。なんだ? メール、いいのか?」

「うん。メールはほら、こっちの都合に合わせて向こうで送ってくれたメッセージだから。すぐに返さなきゃ駄目っていう人じゃないしね」

「……女か?」

「はは、どうだろ」


 実は、図星だ。

 ただ、佐渡陽太サワタリヨウタという名の級友が言う女は、生物学上の性別とは意味がことなりそうだ。だから、少し慧は言葉を濁す。

 陽太と仲良くなったのは、ここ数日だ。

 引っ込み思案な慧は、ちょっと前までは誰にとってもその他大勢、モブだった。自分からそれに甘んじていたが、今は過去の話になろうとしている。

 二人は連れ立って、混雑し始めた廊下を食堂へと向かう。


「でもさ、内藤って思ったより話すのな。暗くて近寄りがたいイメージだったけど」

「やっぱりそう? いや、なんか……なに話していいかわからないし、それは今も変わらないんだけど」

「ふーん、そんなもんか? まあ、あとで他の連中にも紹介するわ」

「ありがとう。多分さ、僕って友達ができるの初めてかも知れない」

「マジかー、そりゃまた難儀な生活送ってきたなあ」


 恰幅かっぷくのいい陽太は、そうかそうかと笑う。

 なんてことはない、きっかけはなんでもよかったのだ。彼とは、体育で二人一組の運動をやらされた時に親しくなった。そしてこれから、いい友人同士になりたい。

 慧自身がそう望むから、そうあれと思って行動してみることにしたのだ。


「そういやさ、内藤。お前、ウォーロマンサー・オンライン、やってるよな?」

「えっ!? あ、うん……佐渡君も?」

「あ、その、あれだ。佐渡君ってやめろよな。呼び捨てでいいって。ま、俺もちょこちょこやってんだけどさ。今度、一緒にクエストしようぜ」

「僕こそ、よろしくお願いするよ。今夜にでも是非」


 意外と言えば意外だが、当然とも思えた。

 ウォーロマンサー・オンラインは、全世界で常時接続数が一億人を超えるという、メガヒットコンテンツだ。

 何故なぜならもう、

 前世紀に端を発した、日本のロボット創作……いわゆるロボアニメやゲーム、漫画まんが、模型、フィギュア。あっという間に世界中に広がり、一時は隆盛りゅうせいを誇った。ロボットは時に親友で相棒、そして乗れば誰でも無敵のヒーローになった。

 だが、現実の科学力は、そうした未来には向かわなかった。

 ネットワークの発達で世界は狭くなり、宇宙開発や世界大戦といった価値観が過去になってしまった。ロボットは人型の兵器にもならず、親しい同居人にもならないまま、工場での労働力として完結していった。


「実はさ、内藤。俺、結構昔のロボットアニメを集めてるんだよ。そゆの、興味ある?」

「も、勿論もちろんだよ! ……そういうのって、結構勇気がいるよね、カミングアウト」

「そうか? 今じゃ割りと誰でも趣味に寛容かんようだからなあ。嫌ならそいつの前では今後気をつけるし、趣味が合うならもっとつるめるし。そんだけだよ、そんだけ」

「……佐渡君って、ひょっとして凄い人?」

「だからよせって、凄いのは否定しないけど、佐渡君はよせよせ」


 気のいい少年がガハハと笑う。

 つられて慧も笑った。

 これが、友達。

 これが、友人付き合い。

 なんといいものだろうと、奇妙な感動に慧は内心胸を熱くした。ちょっとの勇気があれば、現実の生活もこんなに輝かしい。些細ささいなことでも、それはある種のカルチャーショックだった。


「内藤、時々ウォーロマンサー・オンラインの公式サイト、見てたからな。一人でな! ポツーン、って」

「うっ、だってさ……話しかける勇気、持てなくて」

「ま、かくいう俺もそこまでコミュ力高くないけどな。まあ、適度に適当に、自分と水の合うやつを探して楽しく生きましょう、ってことで」


 一階へ降りて食堂へと向かえば、すでに券売機の前は混雑していた。

 陽太が「ん」と手を出してくる。食券を買ってきてやると言うので、慧は彼と同じものを頼んでお金を渡した。その間に、空いてる席を確保しておく。

 一人ぼっちの時は、こんなことはできない。

 昔はパンやおにぎりを買って、一人教室のすみで食べていた。

 雑多な声で賑わうこの場所も、最近になってようやく来れたのだ。


「席はここでいいか。それにしても混むんだなあ。こうしていると、まるで普通の高校生活みたいだ」


 勿論もちろん、慧はどこにでもいる普通の男子高校生である。

 その実感が今は、自分のものとして実感できる。知識で理解する以上に、経験できているのだ。それというのも、少しの勇気を振り絞ったおかげである。

 まだまだ混雑してるようで、椅子に座りながら友人を待つ。

 そうだと思いだして、スマートフォンでメールの内容をチェックした。


「あっ、アンリさんからだ。……なんか報告書みたいなメールだな、これ」


 思わず苦笑してしまう。

 あれからちょっとずつ、アンリはラウンドマーチに馴染なじみ始めていた。集団戦闘ではド素人しろうと、ある意味では慧以下の腕かもしれない。だが、もともとのソロプレイヤーとしての技量が高いため、すぐにギルド内での立ち位置を確立してしまったのだ。

 そんなアンリに先日、慧はたずねてみた。

 カスタマイズしてくれた愛機【ガラハード】の、いささかロマンに欠けた仕様についてだ。


「えーと、なになに……現実でもそうであるように、剣よりもメイスやハンマーの方が使いやすい。……まあ、そうなんだけどね」


 時代にもよるが、中世の騎士達が剣で戦っていることはまれである。鎧の発達と共に、騎士達は馬上で槍を使い、徒士では鈍器どんきを用いた。これは、西洋の刀剣が切れ味よりも重量を利用して押し斬るタイプであり、その威力を上回る鎧が現れたためだ。

 全身を覆うフルプレートメイルは、まさしくロボットのような頑強な姿だ。

 剣では歯がたたないので、質量の重い鈍器で叩くのが主流になったのである。

 勿論、それがロマンのある姿かどうかは別だが。


「あのでっかい盾も、なんか意味があるのかな。重量が増えた分、防御力はカチコチに上がってるけど。……ん?」


 その時、悲鳴にも似た声が響いた。

 女の子の声で、思わず誰もが首を巡らす。

 慧も視線が動く先を見やって、思わず席を立った。

 人だかりの中で、再度とがった声が叫ばれる。


「せ、先輩っ! 横入りはよくないと思います! あの、ちゃんと並んでください!」

「あぁ? おいおい、オデコちゃん。眠いこと言ってると、そのピカピカなオデコに痛い目みせちゃうぞぉ?」


 なにかトラブルのようで、慧も周囲と共に事態を見守った。

 近付けば、小さな小さな女の子が立っている。ネクタイの色で一年生と知れた。その彼女の前に、三年生の大柄な男子がそびえ立っていた。

 どうやら、三年生が食券を求める列に割り込んだらしい。

 それで少女は意を決して、注意したという訳だ。

 確かに、むー! と唸る気の強そうな少女は、ヘアバンドの下のひたいが妙にまぶしい。


「みんな並んでるんですから! その、よくないっていうか! か、格好悪いっていうか!」

「……ああン? おい待て、たかが食券だろ? そこ、震えながら頑張るとこかぁ?」


 それもそうだと思う半面、どちらが正しいかは火を見るより明らかだ。そして、この場合は三年生が非礼をわびて並び直せば、それで終わりである。

 だが、周囲に人だかりができて、男子も引っ込みがつかなくなっているようだ。

 どう見ても、小さな小さな一年生はすくみ震えている。

 こういう時、今までの慧は見ているだけ……否、見ようともせず目をそむけてきた。だが、これからの自分がそうでいいとは、今は思えない気がした。


「あ、あの……やめませんか? 他の人も並んでるみたいですし……」


 おずおずと歩み出たら、にらまれた。

 正直、死ぬ程恐い。ゲームで愛機【ガラハード】に乗って、身も心も鋼鉄の騎士となる夜とは違う。生身の人間に威圧されるのは、ゲームの戦いの何倍も恐ろしかった。

 舌打ちされるだけでも、なにかズシリと身に響く。


「なんだ、おい……俺が悪者か? ええ? ナイト気取りかよ、おいっ!」

「いや、そういう訳では」

「はっきり言えよ、二年! おう、何組だぁ? お前なあ、なんでもないことに首を突っ込んで、話をデカくしてんじゃねえよ。俺の立場がねえだろ、おい!」


 だが、現実には一年生の少女が勇気を振り絞ったのだ。目の前の少年には、年長者として応える義務があるだろうし、同じ年長者として慧も行動を選択したのだ。

 結果、萎縮いしゅくしてうつむかざるを得ない。

 行動を選択したが、思うような結果が得られなかった、それだけだとしても……生まれたての自信が慢心だったのか、そもそも過信だったのか。

 不機嫌そうに三年生は、慧を突き飛ばして行ってしまった。

 すぐに駆け寄ってくれた少女が、なにか言ってくれたが……全く頭に入ってこない。あとから陽太がフォローしてくれたが、周囲の目もあって慧は消え入りたい気持ちを抱え込むことになったのだった。

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