過去の夢幻1

「航ー、さ、行くわよ」

「行かない」

「何言ってんのよ、お昼食べないといけないでしょ。あたしが行くって言ったら行くのよ! お昼は大体屋上なんだから」

 購買から戻ってきたところを奏に捕まり手を引かれそうになるのをすり抜ける。

 それがよほどお気に召さなかったのかムッとした様子で再び手を取りに来た。

「あっ! 待ちなさいこらー、あんたも一緒じゃなきゃダメなんだから」

 何がそんなに興味を引いたのか、仲間に加えるというのは本気のようで逃げる俺を奏は執拗に追い回す。


 今更誰かとつるむのは抵抗があるしあの場所は神崎にとって大切な場所だと俺は思う。

 普段青い瞳の彼女があの場所では紅い瞳を晒していた。少なくとも隠しているものをさらけ出せる仲間と過ごす場所のはずだ。

 だから部外者は立ち入るべきじゃない――だというのに、なんで奏はこんなにしつこいんだ。


 スプリンターかよあいつは……階段を飛ばし廊下の窓から中庭へショートカットした俺を普通のルートで追い詰めにくる。

 どうにか撒いて辿り着いたのは数少ない男子トイレ……いじめは終わったというのに何故俺は便所飯をしているのか。入学早々立て続けに起こるトラブルにこの先三年も頑張れるか不安になる。


「なぁ如月、お前何があったんだ? 昼休み中奏ちゃんがお前を探し回ってたぞ」

 午後の授業の合間にやって来た三浦が心配そうに尋ねてくる。授業中不機嫌そうに俺を睨む奏の視線は俺たちの中間に座る三浦にはよく分かるのだろう。

「知らん、俺は疲れた」

 一人になれるはずの休み時間は追いかけっこで大半を消費して教室に戻ると紅い瞳を知られて超警戒モードな神崎の威圧に晒される。正直上級生のいじめの方が楽だった気がする。

「知らんって……なぁ理央ちゃん、何か知って――」

「話し掛けないでください、不快です」

「ご、ごめん。俺何かしたかな? ……やべぇ、超怒ってね? 如月何か知らない?」

 神崎の拒絶に困惑する三浦を仕方なしに外に引っ張り出して神崎の男嫌いを教えてやる。瞳の事は話していないし態度からも予想は出来るからこのくらいはいいだろう。

 

 連日奏はめげる事なく俺を昼食や下校の寄り道に誘い俺はそれをひたすらに避け続ける。

 そんな事が続いたせいで三浦に心配されてしょっちゅう声を掛けられる不本意な日々、こんなに態度の悪いやつを何故二人とも気にかけるのか。

「根っからのお人好しなんだろうな」

 奏から逃げ切った放課後の屋上で一人呟いて空を見上げる俺に男女の揉める声が届いた。


 フェンス越しでよく見えないが校舎裏で女生徒に交際を迫っているやつが居るようだ――って、相手は教師かよ……ちゃんと聞き取れないが学費がどうたらと女生徒を校舎に押さえ付けて身体を寄せている。この学校どうなってんだ……奏たちが盗撮した援交教師とは別の奴って事はこんなのが複数居るって事だろう?

 虫酸が走る。女を欲望の捌け口にする男も女にだらしない男も自分の都合を押し付けて便利に使おうとする男も――全部父親あいつを連想させる。そんな奴の血が半分も流れているかと思うと吐き気がする。


 聞くに堪えなくてフェンスを乗り越えて持っていたペットボトルをひっくり返す。液体はうねり落下する――若干風に流されて上手い具合に男性教師だけに掛かったようだ。黄色い液体に驚き小便ではないかと慌てふためいている。

 次にジュースだと気付いて上を見上げて怒鳴り散らす。それはもう彼が教師あると誰も思わないような汚い言葉だった。

 当然俺は段差に隠れてやり過ごしたが、まんまと女生徒に逃げられた教師は怒りが収まらないままに別の教師に呼び出されて別の校舎へと入っていった。


「気持ち悪い」

 俺も男でグズの血が入っている。いつか自分もあんなクズになるんじゃないかと思うと堪らなく死にたくなることがある。

 そんな気分のままフェンスの先の段差を軽く歩く、半周ほどしたところで唐突に俺はフェンスに縫い付けられた。


「馬鹿なんですか? 死にたいんですか?」

 冷めた、震える声だった。いや――声だけじゃない、俺の手を掴む彼女自信も震えている。嫌悪する男になんて触れたくはないのだろう、それでも放さないのは人が死ぬことが許せないという彼女の優しさのせいか。

「たまにさ、あるんだよ。消えて無くなりたいって時が、んでさっきそういう気分になった」

「馬鹿じゃないんですか。あなたにだって悲しむ人が居るでしょう?」

「ありきたりな説得だねぇ。本当に死にたい人は自分が死んだ後の事なんてどうでもいいと思わない?」

 言い淀んだ彼女はそれでも間違っていると揺れる瞳で俺を見つめている。実際は男を見るのも嫌なんだろうな、震えが大きくなり彼女の不快が直に伝わってくる。

 そろそろやめよう、気分も落ち着いてきた。そもそも今日はいつもより酷くなかったし、これ以上彼女を困らせるのも本意じゃない。


「放してくれないか?」

「駄目です。いくら男なんて嫌いでどうでもよくてもこんなの寝覚めが悪いです」

「いや掴まれてるとそっちに戻れん。ほら、これでいいだろ?」

 フェンスを掴んでもしばらくは信じていない様子だったがちらりと俺の顔を覗くと手を放した。

 俺がフェンスの内側に戻るのを見届けると一撃強いのを左頬にもらった。

「ふざけないでくださいっ! 二度と命を簡単に扱わないでっ!」

 それはもう烈火の如く怒り出ていった。嫌ってはいても心配してしまう、そんな優しいやつを困らせたのは少し申し訳ない。

 今まで以上に嫌われる予感を抱えて下校した。


 どうにも気分が落ち着かず家に帰る気にもなれずゲーセンに立ち寄った。

 喧しい音の波ならこの気分を誤魔化してくれるかとも思ったが、そもそもお金に余裕が無いのだから遊べるはずもなく適当に回ると非常階段に出た。

「むなしいだけだった。バイトしないと駄目かなぁ」

 かといって勉強に遅れのある俺が時間を売る余裕はない――下から男女の揉める声――今日はなんなんだ。


 暗いビルの谷間に男三人、少女が一人、長身とチビは見張りでデブが覆い被さるように少女を壁面に押さえ付け不快な笑いを溢している。

 なんでこの町はこんなに――見捨てるわけにもいかんよなぁ――っ! この声神崎か!?

「ずっと、ずっと目を付けていたんだ。高等部の制服可愛いねぇ、共学化だろ? 他の男に取られる前に僕が理央ちゃんの貰ってあげるよ」

 あぁ、あぁ、あのデブおっ始める気だ。ナンパなら放って置こうかとも思ったが緊急事態だ。

 音を立てれば気付かれる、デブとチビはともかく長身はがっちりしていて強そうだ。三対一はまずい、さっさと神崎回収して脱出の方針で行こう。

 そうと決めると手摺を乗り越えて飛び降りた。


「大丈夫、僕の物になれば苦労はさせない――ぶひゃ!?」

「おー、上手い具合にクッションが……こんばんは、お姫様を貰いに来ました」

 デブが踏み潰された事で残り二人は戸惑い、神崎は目にいっぱいの涙を溜めて俺を見上げている。

「そんじゃさいなら」

 呆然としている連中を無視して彼女の手を引いて逃げ出す。

 デブが怒鳴り足音が複数追いかけてくる。焦りに急かされて入り組んだ路地裏を逃げ回り、辿り着いたのは行き止まりだった。

 何かないか何かないか……俺はいいけど神崎はまずい。

「ここに入ってろ。あいつらが通り過ぎたら一人で帰れ」

 積まれたゴミ袋の奥へと神崎を隠して馬鹿どもを待つ。上手くやれよ、失敗したら女の子一人が酷い目に遭う。拳を握り後ろを振り返った。


「おい、理央ちゃんはどこだ? お前なんなんだよ。せっかく上手くいくところだったのに!」

「もう帰ったよ。俺は囮だ、まんまと引っ掛かってくれてありがとう。明日には刑務所の飯でも食ってくれ」

 三人の顔が一気に険しくなった。神崎がまだこの場に居るとは微塵も思っていないようだ。

 第一段階成功、あとはどうにかあそこを抜けてこいつら引き連れてここを離れればどうにかなる。

「拓也押さえろ。こいつは僕が罰を与える」

 やはりと言うか、荒事に慣れてそうな長身の男が一人で突っ込んできた。

 でも好都合、どれだけ強かろうと一人なら逃げ切れる。掴み掛かってきた男の手を流してそのまま脇を抜ける。デブは遅いはず、チビも問題にならない――道を塞ぐデブを躱してチビを踏み台にして走り抜けた。


「追え! あいつだけは捕まえろ!」

「引きこもりで鈍ってるかと思ったが余裕――」

 いくつか角を曲がったところで突然の衝撃、何が起こったのか分からずに倒れ込む。顔に伝ってくるものを感じて頭に何か攻撃を受けたのだとようやく理解する。

 まずい、こんなことを平気でしてくる連中だ、逃げないと――。

「今日理央ちゃんと結ばれるはずだったのにこいつはッ、理央ちゃんに近付く男は邪魔なんだよ」

 声が潰れそうな絶叫、痛みが身体を駆け巡りそれしか感じなくなる。

 デブが鉄パイプを振り上げているのを見て咄嗟に頭を庇ったが右腕が完全に壊れた。

 殺される……ここまでイカれた奴だったとは――。

「お巡りさんこっちです! 如月ー! 無事か!?」

 三浦? 足音が遠退いていく強姦魔は逃げたのか? 血が目に入ってよく見えない……意識が落ちる。


 目が覚めると消毒液の匂いのする見知らぬベッドの上だった。意識がはっきりしない……何故か三浦が駆け付けたような気がしてたが現実だったのか?

「如月……」

 ベットの脇に縋りついて眠っている少女が一人、男など醜く気持ち悪くて不快だと言っていた彼女が涙の跡を残したまま傍に居る。

「どういう状況?」

 起き上がろうとすると明確な目眩に襲われてベットに逆戻りする。よく見りゃ右腕はギプスらしきものでガチガチに固定されている。

「やっぱ折れてたかぁ」

「失礼、意識が戻ったかね。良かった……私は理央の父で神崎光治かんざきこうじ、この度は娘が本当に世話になった。ありがとう。後で担当医から説明があるだろが頭部の怪我は脳に影響ないそうだ。腕の方は罅ではなく完全に折れているそうで全治一か月ほどだそうだ」

 スーツ姿の厳格そうな男性から今の自分の状態を知らされて顔が引き攣る。全治一か月の大怪我、そんなもの母さんに知らされたら心配で身体に悪影響が出るに違いない。

「あの、母さんに連絡とかは?」

「学校の方には連絡が行っているからご家族にも当然連絡済みだと思いますよ。私の方からも後ほどお礼とお詫びをさせてもらおうと思っています」

「待って、たんま、すぐに学校に連絡して家族への連絡を止めてください。無理ならせめて叔父への連絡にしてください」

 神崎の父は親への連絡を嫌がる俺に怪訝そうな顔をしたが事情を話すと了承してくれた。


「それにしても、まさか理央が男の子を心配して離れなくなる日が来ようとはね」

「そんなに驚く事なんですか? 優しいからこのくらい大したことないんじゃ?」

 嫌っている俺の為に屋上までやって来て触れたくもないのに死なせないように掴み続けた事を考えると根が優しいのは理解できる。

「優しい、か。その言葉だけで理央にとって君が特別なのが分かるよ。この子は普段男は寄せ付けない、来る者は威嚇し追い払う。しつこい者には足が出る。そのくらいこの子の男嫌いは筋金入りなんだ。相手に自分が優しいなんて感情は抱かせない……随分とうちの娘と仲良くしてくれているようだね」

 勘違いしてる! お父さん何か勘違いしてる! めっちゃ睨んでくる。敵を見る目になってる! 娘溺愛する親バカの顔になってる。


「それで神崎――娘さんはなんで男嫌いに?」

 敵意が弱まった。俺が名字呼びしそうになったのを見て大して親しくないと判断したようだ。

「君は神代の人間ではないね。なら聞いたところで態度を変えることはないか……この土地には妖が住んでいたというのは知っているかな?」

「それでここの人たちは混血って話ですか?」

「そうだね。時代錯誤な話だ。今の時代に神だの妖だのと……でもね、この町に古くから住んでいる者ほどこの話を信じているんだ。そして、平穏を乱した悪しき者の瞳が紅いという伝承もね」

 まさか、神崎の瞳が紅いからいじめを受けていた? 高々瞳が紅い程度で?

「紅い瞳は悪いもの――化け物の証だという親や祖父母の態度を見て理央を村八分にして喜ぶ子供たち、それが悪いこととは認識しない。正しい事として、理央を攻撃する。なぜ自分がそんな目に遭うのか理解できないままに度重なるいじめを受ける。うちの娘はそんな幼少期を過ごしてきた」

 神代この土地では髪や瞳の色の違いは珍しいものではない。町ですれ違う人々は様々な色をしている。そんな町で瞳の色を理由にいじめを受ける?


「幼い子供にとって親は絶対の存在だ。その親が悪いものとしていれば躊躇いなく、無邪気に排除する。それに幼い頃というのは異性に意地悪をする男の子も多いだろう? 理央へのいじめも男の子が主だった。そうして男性への恐怖を刷り込まれた。それでも幸運な事に親友が出来てね、その子が理央を守ってくれるようになって少しずつ元気を取り戻していった」

 奏のことだろうか? 仲間の為ならなんでもするやつだって三浦が言っていたし……それだけ神崎を知って大切に思っているならなんでわざわざ俺を連れ込もうとするんだろう。

「だが小学校に上がってすぐに決定的な事件が起こってしまった」

「事件?」

「変質者に誘拐されそうになったんだ。それで男性への恐怖は一気に加速した。小さい理央にとってあの大男がどれだけ恐ろしいものに映ったか……今思い出しても当時傍に居られなかった自分が許せなくなる」

 親父さんは当時の怒りを全く衰えさせていない様子で白くなる程に拳を握り締めている。子供の為にここまで怒れる父親か……俺には理解出来ないものだ。普通の父親ってこんな感じなんだろうか?

「それで男嫌いか」

「それは正しくも正しくない。嫌いであり、怖いんだ。恐怖を誤魔化す為に威嚇し拒絶して排除する。それでも尚強引に近付く輩には恐怖で何も出来なくなる、今回のようにね。だから君には本当に感謝しているよ、理央を守ってくれてどうもありがとう」

 お礼を口にした時の彼の顔は本当に優しい父親といった感じで、俺は神崎を少し羨ましく思った。

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