邂逅
遥か村を発って半日、隣には俺の手を握り気分を弾ませている悠が居る。
「詩穂里とね、一緒にお弁当作ったんだよ。もう少し進んだら食べよーね」
「楽しいか?」
「うん。あのね、航さんには意味が分からない話だと思うけど私はずーっと待ってた。こうして一緒にお出掛け出来るのだって何回も夢に見た。だからね、今はすっごい楽しいの」
「説明してくれりゃいいのに」
「それは……まだダメ。航さん何も思い出してないんでしょう? どう思われるかって考えたら怖いもん」
怖い……か。この娘は俺に嫌われる事を極端に恐れるようだ。俺が拒絶するかもしれないと考えるという事はやっぱり親父絡みと思うべきなのかな。
消えてしまった過去に一体何があったのやら……俺は他人を避けてたはずなんだがなぁ。
遥か村は神代市の東に位置しており鬼護は神代の西側だ。鬼人の脱走という事件の大きさから考えて周囲はかなり警戒されているだろうという。
だから俺たちは北へ大きく迂回するルートを取り神代を避けて西へ向かう。北を選択したのは悠たちの調査で鬼堕ちの群れが今は南側に移動しているからだそうだ。
それなりに進み日が暮れたところで丁度いい廃墟を見つけて今日はそこで休む事になった。
「埃っぽいな」
「死体がないだけマシだよ~。まともな建物は鬼堕ちが塒にして獲物を集めてる事だってあるんだから」
「今そういう話はやめてくれ……気持ち悪くなる」
簡単に片付けて弁当を広げたタイミングでのグロ話に口を押さえる。実際死体を見たせいで想像しやすくなっているのがいけなかった。
どんな風に肉が喰い破られているか、どんな部位が特に欠損するか、死者に張り付いた恐怖と苦痛の表情、死臭。それが脳裏を掠めると食欲も失せてくる。
「わわ、ごめんなさい。えっと……味はどうかな?」
「死体の味がする」
「ええっ!?」
「冗談だ。不思議と懐かしい気がする、母さんの料理に似てるかもしれない」
「そっか……そっか! よかったぁ」
俺の感想を聞いてこの上なく嬉しそうに顔をほころばせる。この娘が笑う時はいつもほにゃほにゃの柔らかい笑顔なんだよな。この笑顔を向けられると多少の事はどうでもいいような気がしてくるから不思議だ。
「あったか~い」
「俺は恥ずかしいんだが」
「……私もちょっとだけ恥ずかしい」
さあ寝ようという段で、横になった俺の腕に潜り込んできた彼女は子猫のように身を丸くする。
一頻り頬擦りをすると今度はこちらに背を向けて俺の腕を抱き込んで俺が抱き付いているような状況を作り出して落ち着き始めた。
年齢的には疾うに大人とはいえ見た目は小さな少女、興奮する要素はないがこうも懐かれると気恥ずかしい。少し小さい頃の従妹を思い出すな。
反応に困る俺などお構い無しに寝息が聞こえ始めた。抜け出せるかとも思ったが腕を掴む力は思いの外強く、無理に逃げれば起こしてしまいそうだった。
「一人は……嫌だよ…………」
「……ふぅ……傍にいるよ」
握る手に力がこもり彼女の頬に光るものが伝ったのを見て抜け出す事を諦めた。
「ん~! すっごく調子良い! 航さんと一緒に寝たおかげだね」
俺にそんな癒し効果があるなんてお兄さん知らなかったよ。昨日以上に気分を弾ませる悠は朝日を浴びながら伸びをする。
「さー、今日で半分進も~!」
「そんなにか!?」
「だって村を長く空けると榊場怒るも~ん。私と航さんの足ならだいじょーぶだいじょーぶ」
実際そうだろうが走り通しは結構精神的に疲れる。音楽でも聞ければいいんだろうが、制服に入っていたスマホは当然電源が入らないし充電しようにも百年も前の充電器があるはずもなく役立たずのままだ。
失っている記憶の手掛かりでも入っているんじゃないかと期待したんだが……道中廃墟を漁ってみるか。
宣言通りの勢いで悠は駆け抜けた。俺の手を引き、風を切り、全ての景色を置き去りにした。
「これってマズくないか?」
「えへへ……航さんと一緒に走るのが楽しすぎて町の警戒網に引っ掛かっちゃった。てへっ」
てへっじゃない! この娘どんだけ俺の事好きなの!? ただ隣を走ってた俺が言えた事じゃないかもしれないがちゃんとしようぜ!? まだ俺退魔師の仕掛けたものとか判断つかないんだから頼むよ……。
俺たちはある地点を通過した辺りで退魔師に包囲され結界に閉じ込められた。
「警戒網って神代のか?」
「んーん、流石にこの辺りは違うよ。たしかもう少し北に行った所に簡易結界の町があったはずだから……簡易結界は気配を隠してるだけの場合が多くて大きな妖力のものは阻めないから町に近付かれる前に排除しに来たんだと思う」
大きな力を阻めない分網を張って掛かれば町が襲われる前に叩くって事か。
俺たちって本当に人類の敵として認識されてるんだな……悠は人を助け守る良い娘なのに、鬼の子というだけでこんな扱いを受けるなんて――。
「つまり悠が強いから見つかったと?」
「ええーっ、私だけじゃないよ~。私の強さの半分はママから受け継いだ霊力だもん、妖力の方で引っ掛かったなら航さんだよ~」
だが調子が良いからと駆け抜けたのは彼女の方だ。
人間に武器を向けられるとお前はそうじゃないと、駆逐されるべきものだと否定されているのを実感してしまう。
「囲まれているというのに随分と暢気なものだ。貴様らのような妖力が少し強いだけの間抜けがどうなるか知っているか? 死した後も残る力を利用して呪具にされるのよ――汝穢れを纏い害する者なり、邪なるは清浄な地を踏むこと能わず、また我もそれを許さず、荒ぶ風よ、疾く走れ!」
見下し嘲笑う男はその呪具らしきものを手に詠唱を開始する。
術者が生んだ風が俺たちの進路を阻み刃となって襲い掛かってくる。
悠はそれに対して妖力と霊力を混合したもので爪を形成して風の刃を破壊している。
俺はといえば妖力を身体に纏うだけで刃の威力は激減してしまった。切れても紙片で指先を切る程度の傷だ。
圧倒的、それはすぐに理解した。彼らでは到底俺たちには届かない、それだけの力量差が存在している。
「なぁ、これだけ理不尽に力の差があれば引いてくれるんじゃないのか? そうすれば俺たちは町から離れる進路を――」
「それはないよ航さん……簡易結界の都市の退魔師が出向いたって事は最低でも町から敵を遠ざけ援軍が到着するまでの時間稼ぎをするのが役目、たぶん時間だけは長々と使われるよ。そうしたら神代の人間も来るかもしれない」
そいつは是非とも遠慮したい。鎗を出現させた神崎天音も咲夜も脅威だ。
天音だけならば対処は出来るだろうが……咲夜には何も出来ないままに捕まるだろう。
そうすればまたあの地獄だ。俺にわざわざ痛め付けられる趣味はない。咲夜と話はしたいがリスクが大きい分今は避けたい。
「なんだあいつらの妖気は!? 捕捉していたものから更に跳ね上がったぞ!? こんな事はあり得ない。しかもあの鬼子妖力と霊力をああも巧みに……悍ましいことだが間抜けな退魔師が犯された結果の類いか、なんと醜い――」
「私のパパとママを馬鹿にするなッ! パパは女の人を犯したりしないし、ママは鬼堕ちに屈するような弱い人じゃないんだから! 私はパパとママが愛し合って生まれた――私の命は二人の愛に溢れてるんだ。侮辱は絶対に許さないっ!」
刺激しないよう傷付けないように防戦一方だった悠は爪を大型化させ自身と母を嘲った男へと突貫した。
纏う力、身体能力の差は圧倒的で抵抗する間もなく男は切り裂かれ踏み倒された。
混合気の刃は確かに男の身体を通った。だが抉るように深く通ったというのに血飛沫ひとつ散らなかった。
悠の纏っている爪は元々霊的な力だ、肉体を無視して精神を攻撃する事で怪我を負わせずに意識だけ奪う事も出来るというのは道中聞いてはいたが……本当に全くの無傷だ。
しかし刃が身体を突き抜け踏み倒された男を残りの退魔師たちは殺されたと判断したようだ。
力の強いものが現れた場合に対処するための彼らだ。それが倒されたとなれば危機を感じ緊急事態だと判断するだろう。
現に今男の一人が携帯に向かってすぐに来いと怒鳴り付けている。
「光を拒み陰望むもの、邪なる
呪文を口にした男を含め残っていた五人は空気に溶けるようにして姿を消した。当然纏っていた霊力の気配もない。
「逃げたのか?」
「んーん、まだ居るよ。臭うもん。たぶん隠れてチクチクしながら援軍を待つつもりなんだよ」
「結界を破れないか?」
「どうかな……さっきの人たちの実力と結界の精度から考えると術者が直接発動してるタイプじゃなくて何か――そう、さっき言ってた呪具でも触媒に使って補助してるんだと思うんだ~。だからそれを壊せれば或いは」
触媒、ね……この閉じられた空間はそう広くはない。少し走ると元居た場所へと引き戻される、普通に考えればこんな場所に要となる物を置かない。持って一緒に消えたか。
「壊されたらマズい物をわざわざ閉じた空間に入れるか?」
「触媒を中心に周囲を結界が覆うはずだからあると思うよ。偽装はしてるだろうけどね……まぁこの空間の広さから言ってこの辺りが中心だよね~――間抜けはどっちだろうね――探られたくないのはここかな~?」
悠が当たりをつけた場所に踏み込んだタイミングで虚空から刃が降り注いだ。それで確信した悠は振りかざした巨大な爪を叩き付け大地を砕いた。
それに合わせて周囲の空気は慌ただしく変化を見せ退魔師たちが休みなく攻撃を加えてくる。
「持たせろッ! すぐにやつが来る」
「航さんさっさと行こう。私たちとの力の差を理解してもまだどうにかなると思える程の援軍を呼んだみたい。余程の事がなきゃ負けないけど搦め手とか使われるとめんど――っ!?」
逆巻く風の刃を切り裂き俺を振り返った悠が上空から降ってきた影に押さえ込まれた。
彼女が人間に腕力で負けるなどあり得ない――だが悠を押さえ付けている女の右の瞳は蒼い――左は俺の位置からだと前髪で隠れて確認できないが、鬼堕ちも鬼子も殆どの場合両の瞳が赤い。なら人間であれなのか!?
助けなければ――。
「悠を放せ」
女に直接打撃を与える事は躊躇われ、フェイントを入れて女の腕を絡め取り投げ飛ばすことに成功した。
随分とあっさり腕を掴ませたな……フェイントに反応すらしなかった。俺の速さに対応出来なかった可能性もあるが悠を押さえられる相手だぞ?
女の挙動に困惑している俺と、俺を目にして微動だにしなくなった女――次の動きを警戒して彼女を睨み付けるが女の方は俺を視界に捉えたまま魂でも抜けたかのようで他の退魔師たちの声にも応じない。
「おい! 鳴海! 何をやっている、すぐに拘束――いや、始末しろ」
「逃げるよ航さん! あれはきっとめんどくさい部類だ」
悠に手を引かれて町があると言う方角から離れる進路で一気に加速した。
「ま、待って! 父様、父様ですよね! まさか会う事が出来るなんて! ああ、自分の生きてきた時間は無駄ではなかった――」
「なっ!? 何言ってるの!? パパは私のパパなんだから――あなたのじゃない!」
「何を、言っている?」
父親? この俺が……? 聞いた話を信じるなら俺は学園に入って次の学年に上がる前には封印されている。
その俺が子持ち? しかも二人も? あり得ない、誰かと間違えられている?
「しまった!? もうなんなのあなた! まだ言うつもりなかったのに! 付いてくるなー!」
「ならお前が神崎悠か。それは出来ない相談だ。不義の子ではあるが私とて話がしたい。父様はいつ目覚めたのだ? ――あぁいや先ず自己紹介――むぅ……感動のあまり胸がいっぱいで言葉が…………」
不義の子!? なんか不穏な言葉が飛び出したんですが!? 俺百年前に何やってたんだ。
一時間くらいは走っただろうか。悠は止まろうとする俺を無理矢理に引いて駆け回っていた。戦闘を開始した場所からは疾うに離れ今は鬱蒼と草木が生い茂る山中だ。
悠が女を執拗に撒きたがってかなり滅茶苦茶に走ったために道から大きく外れてしまっていた。
だが女の方も大したもので離される事なく常に後ろを付いてきていた。それを知っているから悠の苛立ちは増していく。
それを知っていながら遂に俺は悠の手を振り払って足を止めた。
「航さん!?」
振り払われた手を見つめ酷くショックを受けている。悠は悪い子じゃない、こんな顔をさせてしまうのは心苦しいが――俺が何か罪を犯したなら俺はそれを知らないといけない。
「それも、聞かせてくれ――君の話も」
振り返ると女は安堵したように微笑んでいた。
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