救われない理由

 追われているというのに少女は悠々と三十分も買い物に費やして店を出てきた。

 持って入ったリュックは張り裂けそうな程に膨れ上がり更には買い物袋を両手に持っている。おのれはスーパーの安売りに突撃した大家族のおかんか!?

 あまりの大荷物に心配した店員が付いて出てきている。そしてタイミングの悪い事に追っ手も――。

「おい田中! その娘ブラックリストに載ってる如月悠だぞ! 散々見せたろ、なんで買い物させた!?」

 血相を変えた店員が出てきて彼女に寄り添う店員を叱り付け荷物を取り上げようとしている。

「え? え!? でもこの娘金髪で――」

「一般人は避難してください! 指名手配されている危険な鬼子です」

 ブラックリストで指名手配ってどんな人生だ!?

「僕ありがとう~、良い買い物ができたよ~。それじゃあね」

 追っ手の攻撃を完全に無視して垂直に俺の居るビルを駆け上がってきた。

 忍者かよ。とんでもないな……流石にこの身体でも真似できるとは思えない。あの娘の方が上手かもしれないな。

「ほら航さんこれ着替えね。町の外まで一気に行くよー」

 黒衣の少女は更に加速してビル群をまるでアスレチックのように跳ね回り追っ手を引き離す。

 地図など頭に入っていない俺はひたすらに彼女のあとを追った。


 車も問題にならない速度で走り続け建物が減り、広大な田畑が増えそれすらも減り始めた先に十メートル位の高さの壁が延々と伸びている。もしかして神代市全体を囲んでいるのか?

「航さん跳ぶよー」

「お、おお!」

 飛び越える為に加速したタイミングで壁にある関所から警備員風の男が数人出てきて発砲した。

 銃弾が少女を掠めてリュックに当たった。中から赤い液体が漏れだして彼女の頭に伝い出血しているように映る。

 そのせいか発砲した張本人たちは勢い付いて更にこちらに銃を向けた。

「うがーっ! せっかく買ったお酒が~……みんな喜ぶと思ったのに……もう、勿体ない事しないでよっ!」

 彼女が足下にあった拳ほどの石を蹴り飛ばすと大砲のような轟音を立てて関所が半壊し、驚いた警備員たちはその場に座り込んだ。

 怯えた関所の人間は手に負えないと判断したようで一目散に走り去っていく。


「あ~あ……これ多分一番高かったやつだよ~。榊場さかきば喜ばせてあげようと思ったのに」

「大事な人にあげる物だったのか? 買いに戻る?」

「んーん、流石に同じ日に二回も買い物できないよ。たまに来るからどうにか騙せるんだもん。ごめんなさい心配掛けて……よっし、無事なのもあるしそれで我慢してもーらお」

 よほど大切なプレゼントだったのか落ち込んでいるようだったのでつい撫でてみたら最初のようにほにゃほにゃな笑顔を浮かべて元気を取り戻した。謎だ。

「なぁ、如月悠だっけ? 俺の事知ってるみたいだけどうちの家の血縁か何かか?」

「そういえば名乗ってなかったね、如月悠です。どうぞ仲良くしてください。親戚かどうかっていうのは、ん~……一応そうだけど記憶が無い航さんには混乱しちゃう話だと思うから今は言わないでおくよ~」

 ビシッと敬礼したかと思うと一転顎に手を当てて僅かに悩むと答えをはぐらかした。

「もう相当に混乱してるから今更なんだが」

 俺に弟か妹が出来ていてそれの子孫とか言われたら割りとショックだが、それでも今は情報が少しでも欲しいというのが本心だった。

「それでも、ごめんなさい。私も怖くなっちゃったから」

「怖い?」

「うん、化け物みたいに強くても怖い事ってあるんだよ~」

 俺の目にはおどけて笑う彼女が孤独という世界にただ一人で生きているように見えて酷く寂しげに映った。


 一体どこまで進む気だろう? 百年の経過や世界が滅びたなんて話を裏付けるように荒れ果てた道路をもう一日以上走っている。壁を越えてから荒れた建物が増えてきている……本当に世界が滅びたのか?

 こんな速度人間なら疾うに力尽きているだろう。それでも悠は止まらない、指名手配されている町の近くを隠れ家にする阿呆はいないだろうがこんなに移動するものか……普通に他県まで行くんじゃないだろうか。


「っ! 止まって」

「どうした?」

「妖気が二つ近付いてくる……ん~? この匂いは――」

 進路である道の先から男二人が走ってくる。こんな人通りのない荒れ果てた道に人? 車ではなく徒歩という事は同類?


「お嬢ーっ! よかった追い付いた。いきなり出ていくからビビりましたよ――また拾ったんすか? お嬢は本当に優しいなぁ」

 瞳の赤いチンピラ風の男は俺に一瞬目をやり僅かに顔をしかめ慌ててそれを取り繕うようによく懐いた犬の如く悠にすり寄った。

「あ、お嬢荷物持ちますよ」

「そう? じゃあお願い」

 なんだ? 一瞬だがあれは敵意だった。初対面で敵意を向けられたり好意を向けられたり……百年経って俺を知る者なんて本来存在しないだろうに忙しい事だ。


「お嬢、村を出る際は一言くださいといつも申し上げているでしょう。村の者たちも心配します、どうかこのくらいは守ってください」

 チンピラに少し遅れて現れたのは、明らかに堅気ではないヤの付くお仕事が天職みたいな人相のスーツを着た顔に刃物の傷があるおじさんだった。この人の瞳は赤く、そして形は東郷たちと同じ肉食の獣のそれだ。

 ヤクザとチンピラを従えてお嬢と呼ばれるこの少女……もしかしてヤクザの組長の娘みたいな……という事は、思うに悠は父方の血縁って事じゃなかろうか? 苗字もそうだし。

 父方の祖父母の会社は土建屋でこういった荒っぽい人材も多かった。その会社がまだ残っているとするならだが……だとしても悠の俺への態度はやっぱり謎だ。

「おい、お前はこっち持てよ。ここまでお嬢一人に持たせるとか信じらんねー。こんなんじゃ――ぶっは!?」


 あっという間の出来事だった。俺に暴言を吐こうとしたチンピラはヤクザに一撃で伸された。

「馬鹿野郎がっ! お前今まで何見てきたッ、お嬢が大切に持っておられる物を忘れたかッ。ようやくお会いになったお――ブルッハッ!?」

 チンピラを叱り付けていたヤクザがぶっ飛んだ!? 悠に殴られたヤクザは道路脇の建物の壁を突き破り遥か先まで破砕音を響かせている。

「はぁ~……あっぶなかったぁ」

「お、お嬢なんで親父まで? 親父はお嬢のお――ブルッハッ!?」

 チンピラもヤクザと同じ軌道を辿り同じ辺りで停止した。何これ? ヤクザって鉄拳制裁が決まりなの?


「航さん、ちょっとここで待っててもらってもいいかな? 榊場たちと話があるんだ~」

「あ、ああ、ごゆっくり」

 冗談はさて置き、あの二人は悠が今は言えないと言った俺たちの関係を言おうとしたんだろう。こっそり近付くか? あの二人はともかく悠は半端じゃない、恐らく気付くだろう。

「お、お、お、『お』が最初に付く言葉か……お兄ちゃん? 見た目的にはそれはありだろうがそもそも兄妹居ても死んでるって」

 なら伯父さんとかだろうか? あのクソ親父の事だ。浮気でもなんでも繰り返して子供の一人や二人こさえてそうだ。

 その子孫が悠? まぁそれが可能性が高そうだよなぁ……母さんは癌だったし再婚の気配なんてなかった。

 どんな説明がされたのか分からんが息子が消えたショックは大きかっただろう。考えたくないが病状悪化の原因になってそうだ。

「俺が殺したのかねぇ…………」

 自分が原因で二人も死んだとなると相当にヘビィだ。眠っていた以上母さんの事はどうにも出来なかったとしても――。

「家族を守りたくて周りを欺き被害を出した、か……ああいう娘が存在してるのが今の世界」

 これから行く場所にも居るんだろうか? そんな制度がある場所には行きたくないと心が悲鳴をあげている。

 助けてはいけない、然りとて黙って見ているなんて出来ないだろう。


「お待たせ~。さ、行こう? ――どうしたの?」

 少女は涙を流す二人の男を連れて戻ってきた。

 先ほど殴られた以外の傷は見られないが……大の男を泣かすとは一体どんな話をしたんだよ。

「進む前に聞きたい事がある」

「航さん今は――」

「悠が俺にどういう関わりがあるのかじゃない。そっちも気にはなるが……今聞きたいのは『堕ち人』をどう思うかだ」

 血を啜り美味しいと言った少女、追っ手の『鬼子』という言葉、彼女が普通の人間と違うのは明らかだ。そして迎えに来た二人も赤い瞳と異常な身体能力……どうしても血を啜っていた東郷が頭をちらつく。

 あんな存在が多く居る場所は正直願い下げだ。他人をあんな風に扱う集団なのだとしたら好意的だとしても避けておきたい。

「……可哀想な人たちだよね。家族が鬼堕ちになるなんて不幸を受けて、どうしようもないとしても家族を守りたくて匿ってしまう。逃がしてしまう。その気持ちは私にも理解できる、でもその人たちの行動で死ぬ人や鬼堕ちする人が居るのは事実だよ。罪が無いとは言えないよ」

「そう……か」

 俺はまだ何も分かっていない、この世界の現状も抱えている問題も……何より聞いたところで目覚めたばかりの俺には実感を持てないだろう。

「でも、個人的には反対かな。鬼堕ちしても素直に申告出来るような状態を作ればいいんだから――心配しなくてもうちの村には『堕ち人』は居ないよ」

 俺の不安を晴らすように笑う少女の手を取り同行する意思を改めて伝えた。それを聞いた瞬間彼女の笑顔はより一層輝いた。屈託なく笑う彼女の笑顔が嘘だとは思えない、何かあればその時に対処しよう。この身体だ、逃げるくらいは出来るだろうし。


「百歳~!?」

「そだよ~。今年で百歳になるんだ~。生まれてからずーっと航さんを待ってたんだよ~」

 こんなちんまい見た目で百歳……小学生じゃないのか? ……これはマジで腹違いの妹の線が濃厚か? 正直ショックではあるが向けられる好意に対する疑問の方が大きい。

「えっと何の話だっけ? ……ああそうだ、術で鬼堕ちの衝動を無害化出来るのになんで匿ったり逃がしたりする必要があるのか? と抑えているはずなのになんで血を啜ってる奴が居たのか? だったよね」

「ああ、俺は術の開発に望みを掛けて封じられたんだろう? そして起こされたなら術は完成している。違うか?」

「そこはまためんどくさいんだよね~。航さんに使われてる鬼心封じはオリジナルで他の退魔師が使ってるのはそこから派生した不完全なものなんだよ」

 不完全? オリジナルがあるならわざわざそこから派生させる意味なんて無いように思えるが……オリジナルにも問題点があるのか?


 まさか俺も血を啜るようになるのか? 言い様のない不安に駆られて足を止めた。

「航さんに使われてる術は完璧だから安心していいよ~。使ったのは歴代最強って言われてる子だし……あのね、本来鬼心封じの術は鬼堕ちの衝動を抑えるだけのものだったの。大きな力を持つ退魔師しか使えないそれは殆ど鬼灯の人間専用……ううん、術を作り始めた神楽お姉ちゃんと完成させた神奈お姉ちゃんが使うの前提で、航さんを起こす為だけに作られた。でも神楽お姉ちゃんは戦死、術が完成する頃には神奈お姉ちゃんは衰えて行使出来ない状態だった。神奈お姉ちゃんの息子たちは意志を継がず航さんを放置、術を改良して鬼を使役する事を考え始めた」

 戦死……鬼堕ちとの戦いでだろうか。

 そもそも鬼灯姉妹はどうしてそこまでしてくれたんだろう? 記憶が無い今は分からないがあの後俺は彼女たちに関わり続けたのか?


「かくして衝動封じと使役が一緒になった術が開発されて広まった。でもベースにしてあるのが神楽お姉ちゃん達の術だから術者の力量に左右されるものになっちゃったんだよね。だから術者の能力差で軽い吸血衝動や人より強い情欲が現れたりもする、でも人殺しをする程じゃない。それなら使える手駒を維持する為に鬼堕ちが増える原因の堕ち人に責任を取ってもらおうってね」

「それでも封じる術はあるんだろう? 鬼堕ちを殺す必要があるのか? 封じる事が出来るなら申告だって簡単だろう?」

「ところがどっこい、封じと使役を一緒にしたこの役鬼の術は式を増やせば増やすほどに術者の力が分散して効果が薄くなる。そして好き好んで見ず知らずの他人を式にして傍に置こうって人は少ないんだよ。自分の親族の為に取っておきたいって人も居るし、だから式の契約をしてもらえる鬼堕ちは限られる。親族に退魔師が居ないと絶望的だね。成るより前に人を傷付けてたら即刻抹殺対象――ね? 殆どは隠すか逃がすしかない」

「術の改良は出来ないのか?」

「そこは術者じゃない私にはよく分からないかなぁ。でも、天才の神奈お姉ちゃんは生涯を掛けて鬼心封じの術を作った。それだけでも相当に難しいのが分かるでしょ? 況してや派生した方は元々が助ける為じゃなく体よく利用する為に作られてるから……ね?」

 どちらにしても術者の力量に大きく左右されるか。

 俺は咲夜が起こしてくれた事を感謝すべきなんだろうな、この上衝動的に他人を傷付ける存在だったなら耐えられない。


「鬼子ってのは? 悠たちはそれだから堕ち人が必要ないのか?」

「鬼子っていうのは字のまま鬼の子供だよ。親が鬼堕ちだとこう呼ばれるね。あと堕ち人が居ないのは――」

「お嬢のおかげなんだぜ! お前なんかと違ってお嬢は凄いんだ、忠誠を誓わせた小鬼や鬼子ならその命令を遵守させる事が出来――るぶっ!?」

「もう少し言葉遣いをどうにかしないか」

 チンピラはヤクザの鉄拳で地を舐める。なんでこいつらこんなに簡単に拳を出すんだよ。

「ってぇな親父! こんぐらい――ぐぼぉ!?」

 尚も俺への態度を変えようとしない彼はその頭に強烈な踵を食らい地に顔を埋めた。


「あの、そのくらいで……態度の悪いやつを無視するのは慣れてますから」

「すいません。私の教育が至らぬせいで航さんには不快な思いをさせました。この責任は親子共々お二人に更なる忠誠を誓う事で取らせてもらいます」

 更なる忠誠って……いつの間に忠誠誓われてんだ。ヤクザは丁寧に俺と悠に頭を下げ息子の顔を地面に押し付け更に埋めた。

「ま~ま~、榊場その辺にしときなよ~。優斗の態度はいつもの事だし、航さん怒ってないからもういいよ~」

「親父! 俺はこんなやつに忠誠なんて――」

「それはこの方がどういう存在か分かっての発言か?」

 場を凍り付かせるような静かな殺気を放つヤクザに息子も俺も身動きが取れなくなる。

 気圧される……多分単純な強さなら俺の身体の方が圧倒的なのに――それでも動けないのは何度も死線を潜り抜けた猛者だけが放つような凄味のせいだろう。

 俺が一体何だって言うんだ? それも悠が今は言えないと言った事に関係するのか?


「もうその辺にしときなよ~。今日中に帰りたいんだから行くよ~」

 榊場というヤクザの放つ気など気にした風もなく悠は止めていた足を動かし始めた。

『今日中ですか!?』

 先ほどまでの空気が嘘のように親子は顔色を変えた。そんなに驚く程の距離なんだろうか。もう走るのは飽きたんだが。

「だって生物あるんだもん。ほら、高級牛肉」

「……何故毎度生肉を買われるのですか。通常ならここから村まででも二日は掛かりますよ」

「いーじゃん、みんなお肉好きだし。私は腐らせる前に帰ってるでしょー? お酒だって買ってあげたんだから文句言わないでよ~。ほらほら置いてくぞ~」

 駿足である彼女の姿は瞬く間に小さくなり見えなくなった。俺たちはそれを慌てて追いかけるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る