黒い竜巻

「起きなさい、航起きなさい!」

 突如降ってきた大量の水に驚き、安らぎにたゆたう世界から引き戻されて目を開くと銀の狐巫女少女が仁王立ちしていた。


 状況が理解出来ずに思考が止まる。

 俺は校庭に作られた磔台に拘束されている。

 どっちが現実だ? 俺の知っている『普通の生活』ってのは明らかにさっきまで居た世界だと思う。

 でも、今のという感覚……という事はさっきまでのは夢? もしくは俺の知らない記憶じゃないのか?

「起きたわね、時間が無いから手短に話すから。まずここはあんたが生きていた時代から百年後の世界よ」

「は?」

「世界はあなたの眠ってる間に百年経過して滅びてしまいました」

 何言ってんだこいつ、しかも棒読み。どっきりか何かのおふざけか? そう聞こうとしたが俺の表情から察したようだ。

「嘘じゃないわ、今の時代にあんたが知っている人は残っていない。世界の在り方も変わってしまっているわ」


「……嘘だな、神崎理央が居た。人間が百年も生きられるわけが――」

「あれは理央さんの弟の子孫よ。あの時姉の方が名前言ってたでしょ? 『凛』って……んん!? あんた記憶が戻ったの!?」

 凛? そういえばそう呼ばれていたが……生き写しみたいだったぞ? 違いなんて肩までの髪型くらいで……本当に百年経っているのか? ならさっきまでのは過去の記憶? 

「俺が知ってるのは奏に仲間に引き込まれそうになった事までだ。俺は、なんで生きている? 本当に百年も経ったのか? 今は戻ってるがさっきの身体の変化は?」

「そう……なら記憶は戻ってないって言っても差し支えないわね」

 咲夜は落胆と安堵の入り交じった表情で息を吐いた。

「今世界には呪われて鬼になった人間が溢れてるの。これは九十五年前、あんたが眠った五年後の大災禍でこうなった。鬼堕ち自体はもっと古くから存在してて航は高等部一年の夏休みに鬼になった。神楽さんのおかげで暫くは普通に暮らせてたんだけど二年に上がる前に限界が来て死を望んだのよ」

 鬼になった……? 信じがたいが身体の変化は実感している。でも何故死を選ぶ必要がある? 普通の姿でもいられるようだしそんな事をすれば病気の母さんは――。

「ならなんで生きてるんだよ? 死を望んだんだろう? それに限界ってなんだ?」

「鬼――鬼堕ちは暴力、食人、吸血、情欲――鬼の衝動が抑えられなくなる。だから航は大切な人達を傷付けない為に死を望んだのよ。でも神楽さん達は納得せず抗う事を選んだの、可能性なんて無いと言われた鬼堕ちを制御する術の開発をね。それまでの時間稼ぎの為にあんたはうちの蔵に封印された」

「それで百年後?」

「それで百年後、よ。鬼堕ちは人間とは違う生を生きるしそもそも封印されてたから時間は止まってたはずだしね。記憶が曖昧なのは……私が封印を解く時に弾けさせちゃって神代に来てからの記憶が消えてるみたいだからですごめんなさい」

 あまりの事に愕然とする。身体からは力が失われて俺を縛る鎖に支えられる始末だ。というか後半! 謝るならちゃんと謝れよ、片言じゃないか。

「聞いておきたいんだけど――ぜっったいあり得ない事だけど、抑えられない衝動とかある? ……そう、よかった。成功してるわね」

 首を振ると少女はとても柔らかく微笑んだ。俺を起こしたのが咲夜なら開発した術とやらを使っているのもこの娘なんだろう。

「鬼灯咲夜! 時間だ」

「ええ!? もう? あぁごめん航。まだまだ説明しないといけないことがあるんだけど決まりなの、一週間耐えてみせなさい」

 ジャージを着た体育教師風の男が現れた事で咲夜は慌てて磔台から降りていく。

「待てっ、あの娘は――春子って娘はどうなった?」

「……死んだわ。堕ち人の逃亡は重罪なの」

「っ!? あんな力のない女の子が殺されないといけない程の事をしたのか!?」

「あの娘の場合は鬼堕ちの逃亡の幇助、このせいで三十人近くが鬼堕ちして首を刎ねられた。そこには未来有望な学生だって居た。こんな被害を出しても追放や死刑じゃなくなのはマシだったのよ」

 それは……俺が余計な事をしたからあの娘が死んだと言っているのか……? 俺はただ助けようと――殺すつもりなんて少しもなかった。あの娘だって助けてって…………。

「幇助って何を――」

「彼女が大好きだったお兄さんが鬼堕ちした事を家族で隠匿してしばらく自分たちの血で力を蓄えさせた挙句に逃亡させた。そのせいで討伐が遅れた。ご両親は逃亡前に喰い殺されてる」

「おい!」

「はいはい、行きますってば。じゃあ航、一週間後にね」

 手を振る咲夜が跳ぶような動作をするとその姿は忽然と消えた。


 何が始まるのかと思えば処刑だった。学生が武器を手に斬り付け突き刺し矢を射り術で苦痛を与える。

 気が狂いそうな痛みを与え続けられても終わらない。傷付いた身体は人間では考えられない速さで再生していくのだ。

 これが鬼堕ちってものなのか? これ程の力があるなら鎖くらい千切ってしまえそうだが身体は脱力したまま俺の命令を無視する。

 変化をしようとしても同様で身体が答えてくれない。まるで別の存在からの命令を守っているかのように。


 一日、二日と進み三日を迎える頃には磔台は血に染まり、同じく俺も血に塗れていた。苦痛以外の感覚を失ってしまったようで怒りや女の子の死に対する混乱すらも苦痛に飲み込まれる。

「ハッ、こいつまだ生きているぞ。特種の鬼人ってのは化け物だな」

 学生の訓練と称した処刑は続く、恨みや憎しみの込められた一太刀一太刀、一撃一撃が精神を蝕む。これをまだ四日も耐えるのか?


 詠唱を終えると共に出現する蒼白い刃、磔台の正面に構える一クラス分程度の学生たちが一人五つ程度出現させ俺へと放った。

 今の俺には躱す術はない、自身の身体を膾斬りにするであろう刃を虚ろに見つめる。

 もう終わってくれ――刃が到達する刹那に校庭が弾けた。

「にゃははははははは、やーっと着いた。んーっ、正に間一髪! お前達、私の大切な人にこんなことしてタダで済むと思ってるの? これ以上やったらてってー的に潰しちゃうぞ~?」

  濛々と上がる砂塵の中に立つ黒い影、そこに光る二つの紅、こちらを確認した後それだけで人を殺せるんじゃないかという程の威圧感が一帯を覆った。

ゆうだー! 如月悠が出たっ!? 毎度毎度検問は何やってたんだ!」

 学生、教師すらも怯え狼狽えて落ち着きをなくしそれが足へと伝わっている。

『現れろ、駆け抜けるは光にあらず、其は悪しきを討つ我が志の刃ッ』

「そんなの効かないもんね~。爪刃乱舞!」

 土煙の中から現れた少女は両手に蒼紫に光る巨大な爪を纏い舞うようにして降り掛かる刃を破壊し尽くした。

 相当速いな……味方なのか? この地獄から出られるなら今は何でもいいか。


 ピンチなど無いかのように少女は余裕の笑みを浮かべて踊る。学生や教師の攻撃の尽くを打ち破り俺に振り返る。

 黒髪の少女が纏うオーラの渦が起こす風に不揃いなツインテールを揺らしながらほにゃほにゃにとろけた笑顔を向けてくる。

 女の子にこんな笑顔を向けられる覚えなんてないんだが――。

「ずっと……ずっと待ってました――」

「待ってた? いやちょっと待て、俺はお前なんて知らないぞ。どういう関係だ? 失った記憶では出会ってるのか? ――いや本当に百年も経ってるなら誰も生きていない」

「失った……? 何、言ってるの? ……っ! ――理央さんの事も忘れてるの!?」

「理央って神崎理央か? 名前と姿は知ってる、あとは物凄く嫌われてた事くらいか。学園に入学して数日の事しか神代の記憶はないんだ」

 目に見えて落胆する黒衣の少女、体育座りでのの字なんか書いちゃって……見ていると心苦しくなってくる。

 記憶無いの俺のせいじゃないけど――というか助けに来てくれたんじゃないのか。鎖を解いてくれ。

「うがーっ! もうあの子力ばっかり強くて技術が伴ってないじゃんよー。神楽お姉ちゃん達の再来とか言われてるのにダメダメだよ~。まったくもう……っ――航さんにもこんなことして……」

 ガリガリとのの字を書いていた爪を手にうっすらと纏う程度に縮めて俺に近付くと匂いを嗅ぎ始めた。


「おい!?」

「少し静かにしてて……私が見た感じ式にはなってないから命令で逆らえないんじゃなくて呪で縛ってるから動けないんだと思うんだよね~」

「呪って胸のやつか?」

「ん~? これはただのペイント~。管狐にやらせてたでしょ~? 気付かなかった? 多分天音あまねたちを騙す為だね~」

 管狐ってあやかしだよな? まぁ鬼が居るなら他のが居ても驚く所じゃないのかもしれない。

「あった――結構強いかも……削ぐより私が引き受けて砕く方が早いかな――航さんちょっとごめんね」

 少女は俺にしがみつき首筋に牙を立てた。針で刺されたような痛みと共に妙な快感が身体を巡り意識を奪われそうになるのを必死に抗う。

 なんだこれは……? こんな快感もの感じた事がない。少女が口を離すまでが一瞬のようにも永遠のようにも感じられた。

「ん……あふぅ……呪が邪魔だけどすっごく美味しい」

 幼い少女だというのに唇に付いた血を舐めとる様は艶かしくとても淫らで、その姿は妖艶なものに見えた。

「相食みだ……悠は鬼人の力を取り込む気だ! あんなもの手に負えない。鬼灯でも神崎でも六家でもいい、すぐに呼べ!」

「失礼だな~。私が航さんを食べる訳ないじゃん――というか私人間も鬼も食べないし――あのおじさんムカつくなぁ」

 少女は腕を振り抜き手を薄く覆うオーラの爪から爪と同じ色の半透明の刃を飛ばした。小さなものだったが刃は男性教師の足下を抉り取った。

 それに怯え彼の顔は引き攣り恐怖以外の色が見られなくなった。


 ここは退魔師の学校なんだよな? 慣れていないのか? それともそれだけこの少女がイレギュラーなのだろうか。

「よっし。航さんこれで動けるよね?」

「え? ……あぁそういえば」

 身体の感覚が戻り腕を軽く引いただけで鎖は千切れ飛び欠片が一面に散らばった。

「わぁ~さっすが~。呪鎖が糸みたいに千切れちゃった。ほらほら行こう。流石に六家とか来たらめんどくさいから」

「どこに?」

「ふふ……秘密基地~」

 危機感など全く感じさせない、この上なく満面の笑顔だった。


 少女に手を引かれてビルの森を駆け渡る。

 鬼の身体の強靭さは大概だと思うが、手を引く少女もかなりのものだ。四車線程離れているマンションに飛び移る事も三、四階分の高低差があるビルを駆け上る事も難なくこなす。

 この身体の異常さは学生達の反応である程度理解しているつもりだが、それと同じように動く彼女は何者だろうか? 瞳が赤い=鬼という事ではないというのは生徒会長の発言から考えて分かっているが……この身体能力は人とは言い難い。

「あーっ! 忘れてた。航さんちょっとごめん、寄り道するね」

 急に向かう方向を変え、あるビルの屋上の陰を漁り始めた。

 取り出したのは眼鏡と金髪のカツラ、それから大人二人程も入りそうなリュックだった。

「よし……ちょっと待っててね~」

 変装? を果たした少女は意気揚々と向かいにあるデパートらしきビルに入っていった。


 何がなんだか分からない。俺はどうするべきなんだろう? 記憶を失っているらしい、というのはなんとなく理解した。でも百年の経過というのは……なら咲夜の言葉は嘘なのか? 目を真っ直ぐに見る彼女の言葉はそうは聞こえなかった。

 ならどうすべきか、咲夜に話を聞くのが一番だろうとは思う。

「思うんだがなぁ」

 どうやっても現状お尋ね者だ。かといって戻ってまたあの地獄というのも……マゾじゃないので遠慮したい。

 あの黒髪の少女も俺を知っている風だし事情は彼女からでも聞けるか? ……そんな事より何より俺はこの町を出たいのかもしれない。俺のせいで人が死んだこの町を。


 被害が出たのは残念なことだ。でも家族を守りたいという気持ちは罪だろうか? 殺されないといけないほどの罪悪か? そうだと言い切ってしまうこの町の人間がたまらなく恐ろしい。

「何も知らないで出す答えじゃないかもしれないけどな…………」

 呟きは吹き付ける強風に流されて消えた。

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