記憶の海で
「おい、おい起きろよ如月。もう授業終わったぞ」
揺り動かされて突っ伏していた状態から顔を上げる。目の前には人懐っこい笑顔を浮かべた男の顔がある。
「誰?」
「……昨日二回も自己紹介しただろ、
そう、俺の机にかじりついて顔を寄せてくるこの男は三浦謙志、昨日の入学式で声を掛けられてからというものなぜかしつこく接触してくる変わったやつだ。
「お前ずっと近寄ってくんなオーラ出してるだろ? それに昨日の小学生発言でお隣さんにも嫌われてるし、そんな事してるとすぐにクラスで浮いちまうぞ」
「余計なお世話だ。俺は勉強しに来てるだけで誰かと仲良くする為に来てるわけじゃない」
「何もったいない事言ってんだよ。せっかく元女子校の共学化の第一号なんだぜ? まだ女子の比率が高いうちにお近づきにならないとダメだろ」
まぁ可愛い娘が多いみたいだしそういう目的でここに来る奴もいるか……俺はただ単にここしか入れなかっただけなんだが、中学の担任の紹介で面接を受けて試験も無しに入れてしまった。理由は謎だが。
「男なんだしよ、女子に興味ないなんてないだろ? 誰かもう目ぇつけたか? 俺はさ如月の前の席の
かじりついていた机を放し胸の前で何かを持ち上げるジェスチャーをしている。お胸様ってなんだ……こういうのをあけすけに言うタイプか。
「まだ二日目なのによく知ってるんだな、三浦も余所者なんだろ?」
「まぁな、地元民が多いから最初警戒されたけど俺人と仲良くするの好きだし一通りクラスの連中とは話したよ。それでさ、お前が怒らせた
いじめられるとか心配されてんのかね。
昨日早くに来すぎて式が始まるまで机に突っ伏して寝てて目が覚めたら隣に青い目をした小学生みたいな女の子が居て思わず『なんで小学生が?』なんて言ったもんだからそれをコンプレックスにしていたらしいお隣さんは怒って俺蹴飛ばしたんだったな。
まぁいじめには耐性あるし別にどうでもいいや、あんな寝惚けた状態であんなに小さい少女を見たらなんで高等部に? と疑問したっておかしくない。それに盛大に蹴られてやったのだおあいこだろう。
「帰る」
「え――お、ちょい、一緒に帰ろうぜ。ぼっちはよくないって、楽しい学園生活送ろうぜ」
「またの機会で」
「……そっか。分かった、じゃあまた明日な! それと如月お前もう少しそのバリア緩めろよ、そしたら普通にみんなとも話せるって」
返事はせずにひらひらと手を振って教室を出た。余計なお世話だ。引きこもりをやめる事は決めたが他人を信用しようとは思ってない、学園さえちゃんと通って勉強していればとりあえず母さんの心配事は消える。俺も傷付かない、それでいいはずだ。
「と思ってたのになぁ…………」
なんでこんなところに出くわすかなぁ。体育館側の自販機に好きな炭酸があったのを思い出したのが運の尽き。ここは結構なお嬢様学校だったって聞いてたんだけどこんな場所でもいじめはあるのか――こんな場所だからか?
髪をハーフアップにした一年らしき女子が上級生らしき女子三人に囲まれている。肩を掴み壁に押し付け憎々しげに顔を押さえつけ髪を引っ張ったりしている。
離れていたやつがバケツを持ってきた。水をぶっかけるつもりだろう……やれやれ、目立つ事も人助けもしたかねぇんですがね――女子に向かって一歩踏み出す毎に嫌な記憶が蘇る。気にするな、どうせ今回は学校に何も期待してない。いじめられたとしても今は無視できる。
「あんたは部に入るなって言ったよね?」
「調子に乗ってんじゃないわよ」
「そ、そんな……私だって頑張ってるのにそんな事言われる筋合い――」
「邪魔なのよ。あんたもあんたの姉もね」
「ププ、奏の方は怖いから響追い出すとかウケる」
「誰があんな奴――あいつはサボりも多いからほっといても平気なのよ」
部活関連のいざこざか? 運動部の厳しい上下関係ってやつ? ……どうでもいいか。なるべく自然に、知り合いであるようにいじめられている娘に声を掛けた。
「よかった、探したよ。約束したんだから教室に居てくれよ。ほら、行こうぜ」
八つの目が俺を見て固まる。三人は異物を見るように、一人は困惑の瞳で俺の真意を探ろうと目を見つめてくる。あぁ思わず逸らしそうだ、避けてきた分耐性が落ちている。
それでも俺の意図を汲んでもらわないといけない、でなければこんな所にのこのこ出て来て赤っ恥だ。
「ご、ごめんなさい。ちょっと先輩に呼び出されて、もう終わったから」
「そ、ならよかった。失礼します先輩」
「……こら響っ」
再び彼女の肩を掴もうとしたリーダー格の先輩から引き離すように彼女の手を引いて先輩に笑顔を向ける。
「まだ何かあったんですか?」
「……なんでもないわ」
「そうですか、それじゃあ失礼します」
女の子の手を引いて今度こそ三人組から離れる。そのまま歩き続けて校門まで辿り着いたところでようやく一息吐いた。
呼吸が少し荒い、体温も上がって嫌に汗が染み込んでる。またやった……しかも最後は睨んで脅した感じだった。ありゃ仲裁したってバレたかもな。
「あ、あの、ありがとう」
「気まぐれだ。礼はいらない、連れ出しちゃったから今日は用事があっても帰った方がいい。無理強いはしないけど。それじゃ」
久々に視線に晒されるというのは思った以上に重労働だったようだ。さっさと帰って勉強でもしよう、他人より遅れてるのを取り戻さないと。
やっぱりか、嫌がらせが始まった。下駄箱に始まり机、黒板と……よくもまぁやるものだ。
押し込められていたゴミを片付けて机に突っ伏す、黒板はいいや。日直か先生が消すだろ。あぁめんどくさい、飽きるまで何日掛かるか、反応がなければ飽きるタイプならいいが……一応女子だし暴力沙汰は嫌だなぁ。退学とかになったら意味がないし。
「おい如月、昨日謝っとけって言ったろ。何をどうやったらいきなりこんな事になるんだよ?」
入学早々の出来事にほとんどが遠巻きに見ているのに、世話を焼かないと死んでしまう病なのか三浦が声を掛けてきた。
「知らん、でも多分お隣さんは無関係」
「いや分かんないぞ。理央ちゃんは
「奏?」
昨日そんな名前を聞いたような?
「前の入り口の席の娘だろ。双子二組なんて珍しいんだから覚えとけよ。鷹宮奏、響姉妹、
「あっそ」
興味はない、それよりもどうやって他人を避けるかが重要だ。いじめが始まったし俺の拒絶オーラで接触してくるやつなんて居ないだろうけど――。
「だから謝っとけって、ちゃんと謝ったら許してくらるタイプらしいから」
一人を除いて。
いじめを行っているのが上級生であり校舎が別になっている以上、協力者が居るのか放課後にせっせと自分たちで仕掛けているのか――後者は涙ぐましい無駄な労力だな。
数日が過ぎて、嫌がらせに反応しない俺に痺れを切らしたあの三人組に放課後捕まった。
「キモいんだよあんた」
「くっさーい、なんかゴミの臭いしない? あっ、こんな所に生ゴミがー」
「このきったない長髪で菌が繁殖でもしてんじゃない?」
あぁ、めんどくせぇ。こういう輩が言う事ってなんでこうも被るかな――傷付ける為に言ってるんだからしょうがないか。まぁ人に期待なんてしてない俺には効果ないけど……どんな暴言も聞き慣れてしまった。
「なにすかしてんのよっ」
突き飛ばされ尻餅をついた所にバケツの水を浴びせられた。水好きだなぁ、スマホは鞄で助かったな。
「気が済みましたか? それじゃあこれで――」
「ふざけんなっ」
立ち上がった俺の手をリーダー格の先輩が掴み自分に覆い被さらせるようにして引き倒した。
「はい撮った。うわ~レイプ現場激写」
なんとまぁ用意周到な……一瞬で服をはだけさせる早業とは……マズいな、このパターンは今までなかった。
「これ先生に見せたらどうなるかなぁ? 警察でもいいよね。あんた前科持ちだよ」
「……金か?」
「それもありだけど最初の命令は響を犯せ、よ。証拠の写真も撮ってあの娘が学園に来られなくなるくらいに追い詰めるの」
無茶苦茶言いやがる……なんであの娘こんなに嫌われてんだ……部活絡みみたいだがここまでやろうとするものか。何とも面倒なのに絡まれてるんだな。
「答えは?」
「論外、勝手に言ってろ」
「写真ばら撒くわよ!」
「なら、先輩のこれも流してもいいのかしらね」
「じゃじゃーん、先輩の秘密のレッスン大公開――先生と放課後のアブナイ時間――教師と援交とかばっかみたい」
先輩の声が響いたタイミングで鷹宮姉ともう一組の双子の姉の方の鬼灯神楽が乱入してきた。鬼灯の方は心底めんどくさそうだが、俺を目に映した一瞬だけそれが消えた。
「なによ奏、なにしに――ちょっ、それ!?」
鷹宮が指差した教室内のテレビに映し出されるのは先輩方が入学式で見た覚えのある男性教師と絡み合う映像、流石に音声は消してあるがエグいな。
「あんた盗撮とか犯罪よ!」
「盗撮が犯罪ならいじめやレイプの教唆はどうなのよ。自分達に実力が無いくせにレギュラーの為にうちの妹や関係ないやつ巻き込むなら完璧に潰すわよ。これあんたらの親に見せたらどうなるかしら?」
ドスの利いた声で鷹宮が凄むと狼狽えて俺から手を放した。なんでもするってのはこういう事か……すげぇな鷹宮姉。
「映像を、渡しなさい。そしたらもうあんた達には関わらないわよ」
「あんた達がその写真消すのが先よ」
互いにデータを消して三人組が出ていこうとした時に悔し紛れだろう、リーダー格の先輩がぽつりと呟いた。
「流石人殺しの友達は犯罪も平気でやるわね――」
呟いた瞬間鋭い平手打ちの乾いた音が教室に木霊した。相手は何が起こったのかも分からないままに呆然としている。
「二度とあたしたちの前に現れないと誓いなさいっ! 何も知らないくせにあたしの友達を侮辱するのは許さない!」
物凄い剣幕で鷹宮姉は激情を露にして三人組を睨み付ける。これほどの怒りを向けられるとは思っていなかったのか完全に萎縮してその場に座り込んでしまった。
すると先輩たちの方からアンモニア臭が立ち込め始めた。鷹宮の勢いに飲まれてしまったようだ。
「他人を平気で貶めるなんて事をしているのに今の程度でこの様なんて……随分と幸せな人生だったのね」
鬼灯に見つめられると三人は小さく声を上げて後退る。凄んだのは鷹宮だったが鬼灯の方は静かな迫力がありそれが三人を威圧しているようだった。
「ん~、一仕事終わり! 悪かったわねあんた、響の事助けてくれたのに巻き込んじゃって」
先程の剣幕など嘘のように清々しい表情でのびをして彼女は柔らかく微笑んだ。
「大して気にしてないよ。まぁ俺も助かった、ありがと」
手短に礼を済ませるとそそくさと退散する事にした。
「待ちなさい……こっちこそありがと、響は大切な妹なの、助けてくれて感謝してる。あの娘こういうの隠す癖があるから、でもあんたが巻き込まれたおかげであたしに相談してきて――だから助かったわ。ありがとう」
この話はこれで終わり、この先は鷹宮姉妹とも鬼灯とも関わる事は無いと思っていた。
数日元の誰とも関わらない平穏な日々が戻ったのも束の間、変化は突然やって来た。
「ほら行くわよ」
「行くってどこに!? 俺昼飯食べないと――」
「いいとこよ、い・い・と・こ!」
昼休みに購買に向かう途中鷹宮姉に拉致されてどこかに連行される。もう関わる事の無いと思っていたトラブルがあちらから突っ込んできた。
階段を上り学生に解放されている方の屋上の隅へと連れ込まれる。大きな貯水槽の陰に集まっている女子生徒が六人――その一人と目が合った瞬間その魅力的な瞳に引き込まれた。
教室では見たことのない、紅く、深く、鮮やかな紅玉、強い意思を宿したツリ目には怯えと強い拒絶が混在しているように見えた。俺にはそれがたまらなく美しいものに見えて惹き付けられた。
「綺麗だ…………」
自分でも気付かない内に言葉になっていた。それほど引き込まれた。紅玉は驚きの色が強くなり一点に俺を見つめている。
でもなんでだろう? 神崎は青い瞳だったはずだ。
「あっはははははは、やっぱりあんた良いやつね。ねぇみんな、あたしこいつを仲間に入れようと思う」
「なっ!?」
ここに居る者は分かりきっていたといった表情をしているが神崎だけは驚きに目を見開いていた。
「まぁ奏ちゃんが人を連れてくるなんてそれ以外ないですしね~。良い人なのは今ので分かりましたし」
空色の瞳と髪の、神崎くらいの少女が了承を表すように手を振って卵焼きを突ついている。
「私も、いいわ。神楽が逃げないのは珍しい事だから、大丈夫だと思う」
「私は一度も逃げてなどいないわ。相手をする価値もなかっただけよ」
鬼灯姉妹はこちらを見る事もなく姉は澄ました顔でやたら豪勢な弁当に手を伸ばし妹の方はエネルギーゼリーをちゅうちゅう啜っている。
「私も賛成です。優しい人、ですから、きっと大丈夫」
そう口にした鷹宮妹は恥ずかしがり屋なのか頬を朱に染めて縮こまってしまった。
「うんうん、流石我が妹! 物分かりが良い! それで妃奈は?」
「……私、は…………女の子みたいで良いと思う」
グサッと来た! こないだの三人組の暴言は余裕だったけどこの菫色の髪をツインテールにしている娘は俺が小さい頃から気にしている所を抉っていった。
何かと言えば航君は本当に女の子みたいねぇなんて言葉を何度も聞いてきた。特に親戚はそれが多かったせいで疎遠にしてた程だ。最近では聞かなくなっていたせいでダメージがデカい。
「私は反対です! 男なんて……男なんて醜くて気持ち悪いだけです!」
緩やかなウェーブの掛かった長い髪の毛先で遊んでいた神崎は顔を歪め手早く弁当をしまい逃げるように立ち去っていった。
気持ち悪い、これはいじめを受けていた時期によく聞いた言葉だが、口にしている連中は嫌がらせの為に、仲間と揃える為に言っているという風なのが多かった。
そのせいか耳障りではあったしムカつきもしたが心底傷付くという事は一度もなかったように思う。まぁ親、親族の裏切りで既に傷付き感じなくなっていただけかもしれないが。
だが神崎の『気持ち悪い』は本当に心の底から嫌悪しているのが分かる程に表情や語気に表れていた。
「小学生発言がここまでとは…………」
「あっはははははは、違う違う。理央のあれはもっと別の理由だから今は気にしなくていいわよ。それにしてもやっぱレアじゃない?」
どういう意味だろう?
「そうね、拒絶八割照れが二割と言ったところかしら」
「やっぱ神楽もそう思う?」
「快挙ですね~、理央ちゃん男の人大嫌いなのにその人の言葉二割も届いちゃったんですね~。妃奈ちゃんあ~ん」
二割で快挙とはこれ如何に? 空色の少女がボーッとしてる女子をミートボールで餌付けしている。食べた方は頬を緩ませてほっこりした様子で身体をゆらゆらさせている。
男が大嫌いか……ここは神崎にとって大切な居場所だろう。そこに見知らぬ者が土足で上がり込み奪うなんて許されない。流れで付いてきてしまったが立ち去らないと。
「ちょっと待て、あんたどこ行く気よ? まだ自己紹介すらしてないんだからね。まずはあたし、鷹宮奏ね。奏って呼んでくれればいいわ」
「いやいきなり名前を呼び捨ては――」
「鷹宮さんも鬼灯さんも二人ずつ居るんだけど?」
「それなら名前にさん付けでいいだろ」
「ダメよ。同級生に名前をさん付けされるとかなんか気持ち悪い」
なんて身勝手な!? いや微妙に理解出来るが、さん付けは名字ならいいんだ。名字なら――。
「はいこの問題は終わり! こっちはあんたが助けてくれたあたしの妹よ。名前は響、引っ込み思案だったり人見知りだったり気が弱かったりする困ったところがあって駄目なとこ多いけど良い娘だから仲良くしてちょうだい」
姉が結構辛辣……だが流石双子の姉妹、慣れたものなのかちょこんとお辞儀してくれた。
「そんでそんで~、そっちの澄ました顔でえっらそうなオーラを放って人を威圧してる銀髪のセミロングの方が姉の鬼灯神楽。で、無表情を極めに行ってるロングストレートが妹の神奈ね。双子って言っても髪型違うから間違えないでしょ?」
大変分かりやすいですと頷くと満足したように続きを始めた。
「んでこっちのボーッとしてる娘が
もう言われたんだすけど! この歳になってから同い年の相手に言われたのは初めてで割りとへこんでるぜ。
「最後は
最後の部分は本人に聞こえないように耳打ちだった。幸と不幸を左右出来るって……座敷童かよ。
「ここに理央を加えたのがあたしのかけがえのない大切な宝物よ。そして、そこにあんたも加えるわ。そこんとこよろしく」
これが俺たちの本当の出会いだった。そして俺の人生の変化の始まりでもあった。
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