7 映画館

 気がつくと、ぼくは教室でクラスメイトたちに笑われていた。

 一瞬何が起きたのか分からなかったが、すぐに授業中に居眠りをしてしまったのだと気がついた。教師がぼくを注意したのだ。

 ぼくは縮こまって頭を下げながら、胸の中に何か不吉なものがもやもやと広がるのを感じていた。かすかにだが、何か悪い夢を見ていたような記憶があったのだ。

 いつもいい夢だけを見られるはずなどなかった。ときどきいやな夢にうなされることもあるのが普通なのだ。

 頭ではそう分かっていても気持ちは落ち着かなかった。悪夢に苦しめられていたときから、まだ何日も経っていなかったのだ。

 ぼくは次の授業をサボって映研の部室に行った。イヤホンをして机に伏せ、外界をシャットアウトするように「夢を与える」を聴いた。

 ふいに壁に貼られた映画のチラシが目についた。予告編を見て、是非劇場で観たいと思っていた映画だった。ぼくはそのまま早退して映画を観に行くことにした。

 映画館は例のショッピングモールに隣接していた。上映までの時間調整をかねて、フードコートで持っていた弁当を食べることにした。

 あの子に会えるはずなどないとは分かっていたが、この場所に来ると探さずにはいられなかった。あの子だって学校があるはずなのだ。午前中からショッピングモールをうろつく高校生など、ぼくくらいのものだった。

 上映時間が迫り、ぼくは映画館に向かった。客がちらほらとしかいない場内で指定の席に腰を下ろすと、いきなり後ろから目隠しをされた。

「わっ」

 ぼくは驚いて手を払いのけた。振り返ってみると、そこに座っていたのはあの子だった。

「あ、きみ!」

 とっさのことでそれ以上言葉が出なかった。ただ、自分でも思っていた以上に彼女に会えて嬉しいということが、会ってみてはっきり分かった。

「あなた、どういうつもり?」

 彼女は、ぼくの隣の座席の背もたれに腕を乗せてもたれかかり、横から顔を覗き込んできた。声にはぼくを非難する調子があった。

「わたしのしたこと、全部無駄にしてくれたよね」

「いや、ぼくは……」

「言い訳しないで。バカな女にそそのかされちゃって。全部知ってるんだから」

 ぼくは何も言えずに縮こまった。ふいに場内が暗くなり、予告編が流れはじめた。

「あの女に何か買えって言われたでしょ」

 暗闇の中で、彼女が耳元にささやきかけた。彼女の吐息と言われたことの内容に、ぼくはどきりとした。本当に全部知っているのかもしれないと思った。

「あいつら、そうやって弱い人間から吸い取るんだからね」

 あいつらという言い方が少し引っかかったが、黙って聞くしかなかった。

「次はもっと要求される。その次はさらにもっと。そうやって最後の一滴まで吸い取られるの」

 倫野あやめが悪しざまに言われてファンとしては悲しかったが、ぼくがCDを十枚も買わされたのは本当だった。

「あの女の言うことを信じちゃダメ。洗脳されたくなかったら、あのおかしな曲を聴くのもやめて」

 洗脳なんて大袈裟な気がした。でも、もしかしたらぼくは倫野あやめに騙されているのかもしれない。

「もう一度だけ手を貸してあげる」

 ぼくははっとなって横を向いた。彼女の深く澄んだ瞳は、こちらの不安を見透かしているようだった。

「きみは誰なの?」

 ぼくは彼女のことをもっとよく知りたかった。知らなければならないような気がした。

「あなたのことは何でも分かるの」

「どうして――」

 彼女は意味ありげに微笑むと、再び後ろからぼくの目を手で覆い隠した。遊びでしているのではなかった。痛いくらいに目を強く押さえられ、ぼくは思わず手を払いのけた。

「え?」

 振り返ってみると、うしろの席には誰もいなかった。ほんの一瞬で場内から出ていけるはずなどなかった。彼女は煙のように消えてしまったのだ。

 ぼくは、狐につままれたような思いで前に向き直った。スクリーンではいつの間にか本編がはじまっていた。

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