5 あなたのために歌います

 倫野あやめはステージからぼくに笑いかけてきた。額ににじんだ汗がライブの運動量を物語っていたが、その笑顔は輝かんばかりだった。ファンはみんな、この笑顔にやられてしまうのだ。

 倫野あやめを見ると、なぜか彼女がぼくの不安や苦しみをすべて分かってくれているということが伝わってきた。

 でも、なぜぼくのことが分かるのだろう。なぜ手助けしてくれようとするのだろう。

「決まってるでしょ」

 倫野あやめはぼくが訊くよりも前に答えた。一瞬、ぼくのことを特別に思ってくれているからではないかと期待したが、そうではなかった。

「それがアイドルの仕事だから」

 何のためらいもない言い方に、ぼくは納得させられてしまった。

「でも、ただじゃしてあげられない」

「え?」

「アイドルの仕事ってすごく大変なの。分かってくれる?」

 厳しいレッスンや過密スケジュール、ファン対応やお金の問題など、アイドルの苦労はテレビや雑誌で発せられるアイドルたち自身のちょっとしたコメントからも察することができた。ぼくはきっとそうなんだろうと思ってうなずいた。

「だから、新曲のCDを十枚買ってほしいの」

 ぼくは一瞬返事をためらった。すでに持っているCDをさらに十枚も買う必要などなかったし、ぼくのようにバイトもしていない身分には大きすぎる出費だった。

 かといって、喜ばれない返事はしたくなかった。熱心なファンからすれば、それくらいのことは新しい曲が出るたびにやっていることなのだ。それに、あの倫野あやめが直接ぼくに頼んでくれているのだ。

「夢、ほしいでしょ?」

「うん」

 ぼくは曖昧にうなずいた。夢を取り戻せるというなら確かに安い買い物かもしれない。でも、確証はどこにもなかった。

「じゃお願いね」

 はっきり返事をしないうちに話が決まったようになってしまった。

「でも、どうやって……」

「決まってるでしょ」

 倫野あやめはまた笑顔に戻ると、少し間をおいて息を整えた。

「あなたのために歌います。聴いてください」

 はっと気づくと、ステージでは「夢を与える」の続きが披露されていた。

 客席のファンたちは何事もなかったようにVic のメンバーを応援していた。ぼくと倫野あやめの間に起きたことに気づいた者は一人もいないようだった。

 幻でも見ていたのだろうか――。

 ぼくはいぶかるようにしてステージの倫野あやめを見つめた。すると、彼女が躍りながらアイコンタクトをよこしてきた。

 すべて現実に起きたことなのだ。

 ぼくは倫野あやめの歌とダンスを見逃すまいと、ステージをじっと見つめた。

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