第35話 少女を埋める論争
直木賞作家の桜庭一樹さんの初の私小説
【少女を埋める】が文學界2021年9月号に掲載された。
文學界を毎月、巻頭から巻末まで読む私はもちろんこの作品も読んだ。
実は桜庭さんの作品は初読みで
「あれ?私のイメージだと桜庭さんって大衆文芸の人だと思っていたんだけど、こういう純文系の作品も書けるんだ」
と感じたものだった。
純文学も私小説も大好きな私は、この作品をしみじみ楽しんだ。
ところが、この作品が掲載された文學界が発売されてしばらくしたのちに
朝日新聞の文芸時評に、この作品の評論が掲載されてその内容について問題が起こったのだ。
その評論を書いた鴻巣友季子さんの内容を読んだ
作者の桜庭さんが「そういった内容は書いていない」
というような主旨の意見をネットに載せたのだ。
これだけ読むと、評論にケチをつけた作者という図式。
自分の作品は作者の意図するところを汲みとてほしいと国語のテストかのような感覚を評論家や一部読者は求められているように感じたかもしれない。
実際、ネット上では【少女を埋める論争】として
「小説には読み手によって色々な解釈があってもいいのではないか」とか
「そもそも小説を発表したら、作者はどう読まれようとそれに対して何か影響のある事を言ってはいけない」
というような意見も見かけた。
これを読み、小説を書いた事のある身としては
戦々恐々としてしまった。
国語の問題のように
「作者の意図するところを読み取れ」
とまでは言わない。
だけど、まったくの違う読み取り方をしても
発表してしまったら作者は、どんな感想や意見にも
じっと耐えなきゃいけないみたいな意見はおそろしい。
感想は自由だ。
作者の決めるところでは無い。
とはいえ、あまりにも違っていたら
何か言う権利が作者にだってあっても良いのでは無いだろうか。
今回この【少女を埋める論争】では
桜庭さんが、掲載した朝日新聞社に対して
鴻巣さんが書いた内容に対しての否定内容を掲載してほしいとお願いしたのだ。
それだけのやんわりしたものでは、天下の朝日新聞が一度載せた物に対しての否定文を簡単には載せてくれないと感じた桜庭さんは
応じてもらえないならば、今後朝日新聞との仕事は降りるという「脅し」のようなものも付け加えられた。
こういった部分がクローズアップされたからだろうか
この【少女を埋める】はツイッターなどで
論争となり【少女を埋める論争】として
一時期、文学界隈を賑わせた。
この一連のやり取りをネット上で見ただけの人たちからしたら
「桜庭一樹さんって怖っ!自分の作品を思ったように読み取ってもらえなかっただけで、新聞社と喧嘩する?」
「作者権限で、論者にそこまでやるって読者の自由な感想までも奪ってるんじゃないか」
などの意見が出ていた。
この作品を普通に読んだ私からしたら
これはそういう問題じゃないと桜庭さんを心配した。
そして小説を書くものとしても
いやいや、これそういう事じゃないのに
作者は泣き寝入りするしかないの?と思うものだったのだ。
というのも、論者の鴻巣さんが書かれた内容は
作中のどこにも書かれていないのだ。
小難しい純文学で、読み取り方は読者のそれぞれあってもいい、そういう作品だと多くの人が暗黙の了解のように感じる作品ならまだ分かる。
けれどこの【少女を埋める】はエッセイに近い私小説なのだ。
その上、その書かれていない内容は
実在のモデルの実際の日常生活に大きな悪影響を及ぼす可能性のある内容だったのだ。
そのために桜庭さんは体調も崩し、必死になって闘うようにして朝日新聞に否定文掲載を願ったのだ。
という【少女を埋める論争】で
私は小説を世に発表する事と、論者からの論評
そしてそれに対する作者としてのスタンスについて
色々と考えさせられたのだった。
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