第18話 才能の枯渇に関して

 私的には、作家の才能の枯渇は「無い」と思っています。


 前の朝ドラ『半分、青い』で主人公の鈴愛が中盤でマンガ家の才能が枯渇して辞める展開があるけれど、あれを見た時に


「いやいや、スランプあるけれど才能の枯渇は無いでしょ」


 とテレビに突っ込んでいた。


 というのも、人間は生きていれば何かしらを体験し何かしらを見聞きする。

 そうすると自分の中に沸き起こる感情や、体験する前と後とでは違う感受性が出来ます。


 その感受性を、作品として表現出来る事こそ、作家の才能の素だと思うのです。



 私がこういう考え方をするのは、純文学好きだからだと思います。


 作家の才能を、奇抜なアイディアやストーリーを思いつく事だと思う方は、そういった知恵を出せなくなったら『才能が枯渇した』と考えるのでは無いでしょうか。


 ですが、奇抜なアイディアやストーリーは作家の才能というより、性格や価値観、本や映画等のインプットが多いなどに関係するものであるように思えます。


 トキワ荘に住んでいた、昭和のマンガ王たちなどは、まさにそのインプットが多かったと色々なメディアで見たことがあります。


 生きていれば、そして何かを感じれば、それを表現出来る素が枯れはしません。


 だから私は、ものを表現する作家の才能枯渇は無いと考えるのです。

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