第11話 書く事で頑張れているエッセイ系の作家さんへ

 最近、カクヨムで色々な方のエッセイを読んでいて思ったのだが、心身状態や生活環境や家庭環境に苦労されている方、結構多いね。

 私も昔はそうだった。


 そしてだからこそ、『書く』という行為で辛さを乗り越え自分というものを表現しながら存在を証明している。


 そういった方のエッセイを読んでいて思ったのだけど、その辛い状況を何度も文章にされている割には、肝心な理由や状況を書くのを避けている方も多い。


 作者さんの辛い理由、状況の説明は強制ではもちろん無い。

 でも避ける事は不誠実にも感じるのだ。


 何人もの方が、くりかえし一般的ではない自分の辛い現状を書かれている。

 そうしたらその方のエッセイを読んでいるファンは気になるよね?


 何か知恵を絞って、助けてあげられないだろうか、少しでも楽になれるアイデアを提供してあげられないだろうか、そう思う人もいる。

 私もその一人だ。


 だけど詳しく分からなければ、的外れな助言になるし、作者さんだって「そんな事ではどうにもならないんだよ」と思っているかもしれない。


 カクヨムという場所は小説やエッセイなどの文章を書いて読む場所だから、そこまで作家さんと読者さんの交流は望まない人もいるかもしれない。


 けどねカクヨムはチラシの裏ではないんだ。

 多くの人に発信する場。


 辛い現状の救いが書く事だという何人かの作家さんたちを責めるわけでは無い。

 私だって昔はそうしてきたから、書いて書いて自分の中のものを出してきた。


 けれどチラシの裏では無いという事は読む相手がいるという事、そういう人たちが心配している気持ち、助けたい気持ち、応援したい気持ちも少しは意識してもいいのでは無いかと思うのだ。


 私がそうだったから分かるのだが、特殊な家庭環境で苦労されている方は特にその説明を書くのは難しいと思っているだろう。


 バカ正直に書くと、更に理解してもらえなくて正論で反論を受ける。


 そう簡単に解決出来ないから苦しんでいるし、現状を脱出できない。


 そしてそれを分かってもらえないかもしれない多くの人に説明しないといけない労力。


 だから書けないし、書きたく無い、というのは分かる、分かるけれど辛い状況を書いてしまったからには理解されなかろうが、書くべきだと私は思うんだよね。


 じゃないと読んでいる人は、作者さんが辛かった、辛いというような事を書いているたびに詳しい状況は知れずモヤモヤするから。


 多くの人が目にする場で書いているからには、理解されなくても書く。

 それは読者さんに対する誠実な対処でありお礼の一つでもあると思うのだ。



 私がこうやって書いた事によって、そういう事を書くぐらいならもうカクヨムでは書きたく無い→書く場所を失った辛い、とはなってほしくない。


 一番は作者さんが書き続けられる事だけど、読者さんは作者さんが思っている以上に心配し応援してくれているという事をもっと意識してもいいんじゃないかなという事なんだよね。

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