第53話 case2—3

いつの間にか眠っていたのだろう、どう考えても夢でしかない光景が、目の前に広がっている。

 場所は間違いなくアインワーシュだ。アンティーク調の調度品は瑠璃さんのセンスによって選ばれたもので、写真写りがいいと評判だ。私のまえには浅井がいた。私たちの前には珈琲が置かれていた。きっと、瑠璃さんが入れてくれたのだろう。しかし、店内のどこを見回しても、瑠璃さんの姿も、ほかのお客さんの姿も見えない。時計をみると、午後五時二十一分を指している。でもそこから時計は動く気配がない。窓の外は真っ白く、いつも見える都会の喧噪も、その気配を消していた。

「まず僕らは話し合う必要があると思うんだ」

 浅井はいつも通りの口調で言う。

「それは何について?」

「僕たちが信じているものについて」

「そうね」

 私たちは、同じタイミングで珈琲を口に含んだ。

「僕は君が掲げていた理想が美しいと思うし、そっちの方が正しいと思う。でも、君は違うんだろ?」

 思わず笑ってしまった。今は違うとは言え、真顔で自分の一部を美しいと言われるのは、なんだか気恥ずかしい。でも、夢のなかの私は、そんなことでにやけることもしなかった。

「そうね。それは正論。でも、人ってそんなものじゃない? 子供の時の夢は夢に過ぎず、実現可能なことを行おうとする」

「それが君のような人とか、君が掲げている理想のようなものでなければ、僕は拍手を送って賞賛したよ。でも、君のような、いや、君だからこそ、僕は君の理想を優先する」

 そのときの浅井の表情は、なんだかとても悲しげで、どうしたんだろうと思ってしまった。まるで、私のミスを指摘したときのように、いちいち生真面目に苦しんでいる、そんな顔だった。

「ひどいだろ? 僕は一個人よりも、その一個人が抱いていた理想を優先しようと言うんだ。全く、ひどい」

 でも彼は、それをひどいことと認識しながらも、実行する。だから苦しんでいる。私にはない感覚だ。私にそんな感覚が備わっていたら、今頃本当に自殺している。

「そんなことを言ったら、私も十分ひどいわよ。みんなに何も言わずにみんなの前から消えたんだから。それに、私はすでに罪人よ。あなたがひどいことをしたと思う相手でもない」

「……そうなのかもしれない。でも、ぼくはそれでも、君を嫌いじゃない。だからこそ、僕は苦しむ。 身勝手で悪いけど、それが僕の正義だ」

 彼の__浅井の正義。

「なあ星川_______」

______________________________「……きろー。起きろー響ちゃん!」

「わっ!」

 目覚めると、そこはアインワーシュの私の部屋だった。

「ミーティングの時間よ」

「ああ……ありがとう。瑠璃さん」

 仕方ない。ここまでにいい案を思いつく気でいたのだが、間に合わなかったのだから今度にしよう。

 ふと、夢のなかの浅井が、最後に何を言おうとしていたかが気になってしまったけれど、すぐに忘れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る