第41話 case1—2

 この学校に教育実習生が来るらしい、というのは、俺の類い稀なる情報収集能力のおかげで、すでに公然の秘密だ。


 だが、どんな奴が来るかは分からなかった。


 それだから、


「今日から教育実習生として、赴任しました。千里です。どうぞよろしく」


 いかにもイケメンやっている奴が、自分のクラス来た時には、本当に驚いたのだ。


 千里忠、担当は音楽。顔が良かったのと、人当たりがいいことから、女子の人気が急上昇中。何人かの男子から、どうにかしろと言われて、念のため情報収集をしている。


 が、怖くなるぐらいに何も出てこない。


 私的SNSアカウントはすぐに突き止めたが、いくら叩いてもホコリのホの字も出ない。さらに、他の実習生の評判や、生徒の評判も上々で、隙がない。


 こいつ、人間かよ。


 今までの経験則的にに、何も弱みがない人間はいない。この場合なら、積極的に秘密を隠していて、かつそれがめちゃくちゃ上手いのか、あるいはただの善人かのいずれかだ。


 わからないことは知りたくなるのが俺の性で、過去に類を見ないほどの伏線の貼り方をした。


 が、それも全て無駄だと理解するのに、そう時間はかからなかった。


 千里が助手を務めて行われる最初の授業が、その日は行われた。


 この日に限っては、千里には注意は向かない。なぜならば……


「はいそこっ! 短い! 長く!」


 と、厳しい声を飛ばす教師ハゲかつクソヤロウの無能、宮古冬馬である。


 誰に聞いても好感度はワースト。トレードマークは油でテカテカ光るスキンヘッド。自分の価値観を押し付けるモンスター。気に入らない生徒がいたら、自己完結的持論、つまり暴論を展開し、評定を下げる。そのくせ、教えることはわかりにくいし、まるで音楽を常日頃趣味にしているような奴を相手にしているような授業をする。極め付けは、


「お前たちがぁ、美しく完璧な音楽を壊すなぁっ!」


 である。


 こんな奴のことを、誰が好きになるのだろうか。だから生涯独身なんだよハゲ。


「ここはさぁ! 二つの国が争うみたいにさぁ!」


 例えがわかりにくいんだよ。そういえばこの前は競馬で例えていたな。誰がそんなん見るか。


「ここで一つの物語が終わり、新しい物語が始まるんだよっ! だからクレッシェンド!強く弾けよ!」


 知りません。誰がそんなこと読み解けるんですか。だいたい、アコーディオンの鍵盤を追うのに精一杯な奴が、左手にまで気が回るか。 あなたの言ってること、クレッシェンド以外訳がわかりません。


「お前たちがぁ、美しい音楽を壊すなぁ!」


 はいはい。若干のアレンジじゃウケは取れませんよ。


 みんなこんな思いを抱きながら、このストレスでしかない授業を過ごしている。


「宮古先生、落ち着きましょう」


 まさかの登場。華麗なる一撃を決めたのは、千里だった。


「千里クン、なんのつもりかね? 私はこの低俗な奴らに、真の音楽を教えて、」


「そんな高圧的な態度じゃ、美しさなんて伝わりませんよ」


 宮古のスキンヘッドに青筋が走る。


「貴様ぁっ! どういうつもりだ!」


「どういうつもりも何も、宮古先生は間違っていると言ったまでですが」


 おおっと、どよめきが上がる。こいつ、やるな。


「評価がなくてもいいのかっ!」


 そう。それが問題だ。教育実習生にとって、評価は大事。しかし千里は、それを逆手にとった。


「はい。評価は大事です。ですが、クラス担任からの評価が高いくせに、教科担任からの評価が低いなんておかしくないですか? 音楽の教師になりたい僕がそれって、なかなかに不自然だと思います」


 おー! いいぞもっとやれ! 千里先生カッコいい!


 千里は我が意を得たりと思ったのか、意気揚々と右手を上げて、生徒たちを制した。


「この一時間くだされば、生徒たちの意識を変えてみせます」


 おおっと、再びどよめきが上がる。今度は煽り半分驚き半分だろう。


 形成振りを悟った宮古は、鼻をフンと鳴らすと、


「好きにしろ!」


 と言って、教室の隅にどかっと座ってしまった。


 千里は教壇に登る。


「まああんなこと言いましたが、宮古先生の教えは間違いではないです。しかし、現状では、英語しかわからない子供に、中国語でフランスの歴史を教えるようなものです。ですから、今回は、前提条件、即ち、この曲の背景をお伝えします」


 そこからはあっというまだった。


 身振り手振りを交えながら語られるそれは、キラキラ光って見えて、とても面白かった。


 やがて、万雷の拍手と共に退場した千里を見て思った。


 こいつは全く悪いやつじゃない。極めていいやつだ。






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