第38話 正義の味方の資格

「じゃあ、私が死んだふりをした理由もわかるわよね」


 きっと彼は全部わかっている。そんな思いで口にした言葉だった。ところが、


「いや全然」


「はいっ?」


 本気で驚いた。あれほど完璧な予測をしながら、そこはわからないのか、そう思って。浅井は呆れたようにため息をついた。


「あのな、あくまでこれまでのは情報が入っていたからだよ。君の思惑なんてわからんさ」


 首をすくめてそう応じる彼。手振りがついていないということは、本当のようだ。彼が首をすくめる時、手振りがついたならば、それはポーズだ。


 それならば仕方ない。話してやるか。


「世界は全くもって正しくない。あなたもわかるでしょ?」


「そうだな。世界は間違いだらけだ」


 戦争や差別の悲劇に満ち満ちているし、誰も彼もとは言わないが、自分のことばかり。


「だから私は、世界に正義を広める。そうすれば、もう井口さんみたいなことは起こらない」


 浅井が息を呑むのが見えた。そう。もう少しでも、彼女らのような人々に正義があれば、井口さんみたいなことは起こりえない。


「だから私は——私たちは、正義の味方になるのに最適なやり方を行う」


「それと君の死んだふりには、なんの関係があるんだ」


 そこを結びつけるにはまだ情報が足りないか。仕方ない。決定打を打とう。


「キリストでさえ、一度復活しなければ認められなかった。裏を返せば、奇跡さえ起こせば、案外簡単に認められるんじゃない?」


 死んだはずの人が生きていると分かれば、それはもはや神の領域だ。命の不可逆は、歴史が証明している。つまり、それを覆せば、人心はこちらに傾く。


「そんな人間の話すことには、力があると思わない?」


 道を踏み誤るなと説き、正しきを行えと説き、悪を裁けと説く。


 今まで意味をなさなかったそれらが、簡単に結実する。


 それでも、


「違うよ」


 浅井は毅然と言い放つ。


「たしかにね、君の理屈は間違ってないかもしれない。でもさ、それは正義ではないよ。正義を語るためには、まず自分がその正義に身を置かなきゃいけない。自身の正義で、自身を裁くことがスタートだ。でも君のそれは、間違っている。スタートにある奇跡には、偽りがあり、さらに言うならば、人を一人犠牲にしている。こんなのは『正義の味方』じゃない。単なる『悪の敵』だ」


「それに差はあるの?」


「大いにあるな。『悪の敵』ならば、あらゆる手段を是として、悪を裁くべきだ。それが正しい。でも、『正義の味方』は、『正義』の『味方』なんだ。自身がそれを裏切ったら、お話にならない。たとえ無力でも、自身の正義を貫かないといけない」


 なるほど、それは確かに正しい。私はもう、かつて憧れていた、『正義の味方』には程遠いのかもしれない。


 けれど、


「私はもう、救わない善に飽き飽きしたんだよ。ご高説を垂れるなら、まず救うことから始めないと。じゃないと、誰も聞いてくれない」


 きっと私はもう諦めている。


 だって、この結果がそうだ。


 この計画が動き出した時、私の定義する正義の味方なら、まず止めるべきだ。


 でも私は何もしなかった。それどころか、若干の葛藤はあったにせよ、私は賛同したのだ。それは結果が示している。


「ねぇ浅井、もう私を諦めてよ」


 私は俯いた。


『正義の味方』という無力な看板を掲げ続けるのに、私はもう疲れた。だから私は、力を持つことを望んだ。


 転がり始めた石は、もう止まらない。


「断る」


 驚いて顔を上げる。浅井は、こちらを睨みつけて、歯をくいしばっている。


「本当に諦めてんならさ、そんな声出すなよ。全部不本意で、何もかもダメで、それでもなんとかしたい、そんな声、出すなよ」


 そうなのかもしれない、少なくとも、心の奥底は。


 でも、私は、たとえ心のひとかけらがそう叫んでいても、もう無理なのだ。


 だから私は、何も答えなかった。


 お互いに黙り込んでしまった。互いに互いを見つめながら、ずっとずっと。


 やがて、


「浅井、そろそろ家に戻れば? 学校あるでしょ?」


 この言葉が、場を終わらせるために出たものだというぐらい、彼にはわかるだろう。


 事実浅井は、その言葉の後すぐに立ち去ろうとした。


 でも彼は、


「いつか君達の道が間違っていると証明するよ」


 そう言い残した。


「そうなのかもね……」


 でも私が彼と会うことは、もう、ない。


 西の方を見ると、まだ星が少しだけ見える。


 私は、消え行く星の、光の残滓を、ほんの少しだけ見つめて、展望台を後にした。




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