第一幕日記帳または手紙

第1話 未知との遭遇

 とりあえず、僕らの町の話をしよう。

 S県某市にある僕らの町は、JRを駆使すれば、まあまあ都心と通勤圏内。八つの小学校、四つの中学校。二つの高校と、一つの私立学校法人がある。

 学校法人三月学園は、戦後日本の人材育成のために、一九五二年に産声をあげた。当時は中高一貫。そこからどんどん規模を拡大し、現在の正式名称は「三月大学付属三月学園」になった。因みに幼稚園と小学校もついてる。

 揺り籠から墓場までとまではいかないが、下手すると人生の四分の一程をここで過ごす。

 僕は小学生の頃から。星川は中学生から、三月学園に入学した。

 もっとも、最初の頃は接点なんてなく、存在すら知らなかった。僕らの出会いは、中学二年生の春休みの時だった。


 世の中学生は、受験闘争真っ只中の。そんな実情を他人事のように見ながら、なんとも思わずに怠惰な日常を過ごしていたある日のこと、近所の書店に行った帰りに、ファストフード店で昼食を取ろうとしたときのこと。


 頼んだものはハンバーガーのセット。安いものだが、文庫本三冊を買った身には痛い出費だ。しかし今から帰っても、きっと母親はこう言うだろう。


「急に来られても困る。自分で買うか作れ」


僕に料理などの生活力を求めてはいけない。自炊スキルなんてあるわけない。つまりはいくら痛くても、ここで食べるしかなかったのだ。


 そこは二階建てで、一階がレジ。二階が飲食スペースとなっていた。


 僕はそこへ行って座り、食事をとろうとした。でも、出来なかった。


 問題ははっきりしている。

 幼稚園ぐらいの子供を連れた女性。就職したばかりなのか、スーツを着慣れていないのが見え見えのサラリーマン。

 そして、祝日を満喫している風の学生グループ。全ての原因はこいつらにある。


 「それでね、ヒロミがさ、私を無視してくるのー、私のせいじゃないよねー」


 「うんうん、ひど〜い」


 「だよねー」


 きゃはははは。と、グループ全体が笑う。そこに潮騒のような爽やかさはなく、まるで飛行機の通り過ぎる際に鳴る騒音のようだ。そんなレベルの騒がしさの中にいるから、集中して食べられないのだ。


 黙る気配はなさそうだ。切り替えよう。自分の食事に集中するんだ。そしてさっさと帰って本を読むんだ。僕はハンバーガーの包み紙を剥がし、一口、口に含む。恐らく添加物たっぷりのの味が、脳みそに届く。しかし、美味しいとかは感じなかった。


 きゃはははは……


 やっぱりうるさい。


 思わず、学生グループを見てしまった。

 その時、最初には気づかなかったことに気づいた。

 彼らの奥に、別のグループがいたのだ。最初のが派手めな大学生ならば、こちらは地味な高校生。その中に1人、中学生ほどの女子がいた。高校生の中なので、少し浮いて見える。なかなか整った顔立ちをしているが、無表情なので、人形のような印象を与える。


 「ちょっと、何見てんのよ」


 そう派手めな女子学生に言われてしまった。明らかに険しい声だし、表情は能面のよう。ていうか睨んでいる。事態収束を図らなければいけない。


 「いやぁ、すみません。あなた方を見ていたわけではなくてですね」


 と、一応言ってみる。


 「嘘つけ、ガン飛ばしてたよなぁ!」


 派手めな男子学生が、机をドンっと叩きながら怒鳴る。


 「まあまあ、落ち着いて」


 僕は、気色ばむ男に言う。でも、彼は顔を真っ赤にして、鬼の形相といって差し支えないレベルの顔をし、両の拳をプルプルと震えさせる。


 あれ、なんか間違えた?


 対応を間違えたらしく、男子学生は立ち上がり、こちらに向かおうとしている。一発殴られるかと思った。でも、彼の拳は空を切ることすらなかった。


 「ちょっと、うるさいですよ」


 この場に響くには、落ち着きすぎた声。さらりとしたアルトが入り込み、みんなそっちを向いた。


 あの女の子が、いつのまにか席を立ってこちらを見ていた。


「関係ないやつは引っ込んでよ!」


「関係はある。私達がこのお店に入った時から」


怒りからか、呂律が回っていない。彼女はそれに、間髪いれずに言い返して、さらに続ける。


「貴方達、私達が入った時からうるさいわよねその時から、私達と貴方達は被害者と加害者の関係になったの。自覚してる? だから、私は、一被害者として、貴方に物申す権利があるのよ。正直言えば、出て行って欲しいのだけれども」


 この言葉に、男はすでにひどい顔を、さらに歪め、怒りをあらわにしていた。一方、女の子の方は、怒っているわけではなく、怯えているわけでもない。


 ただ、無表情に、男を見つめていた。


 男の怒りは、既に沸点に達していたのだろう。男の手が上がった、その時だった。


 「出て行け!」


 一触即発の場面に不釣り合いな、無邪気な声が響いた。声のした方向を見ると、幼稚園ほどの男の子が、母親に口を塞がれていた。


 しかし、もう遅い。


 無邪気とか、幼さとかは、あまりに純粋だから、時に残酷で、それでいて人を動かす力になる。


一瞬で店内には、騒音に耐えかねた人々の声が響き渡る。


 出て行け! そうだ! うんざりしているんだ!


 店内のあちこちから響く、批判の声に耐えかね、派手め学生グループは、店内から逃げ出した。


 その時、さっきの男をなだめていたのが滑稽だった。


 でも、たとえ滑稽であっても、僕は彼らを糾弾も、笑い飛ばすこともしない。所詮僕は傍観者。最初にちょっかいは出されたが、途中から、物事の進行は僕の手を離れていたのだ。


 立ち向かいもせず、誰かが全部背負ってくれる人が現れるのを待つだけの人が、糾弾や、バカにしたりするのは少しばかり傲慢だ。


 だから、きっと僕一人だろうが、何もしなかった。


 彼らがいなくなり、勝利のときの声のように鳴り響く、万雷の拍手の中でも、僕は一人で目を閉じていた。


 「ありがとう」


 拍手がひと段落したあと、僕は彼女に言った。


 「いいのよ。当たり前のことをしただけだから」


そんな時でさえ、彼女は人形のような表情で、きっと、彼女を称えるあの拍手の中でも、ずっとこの表情だったんだろうな、そんなふうに考えさせられた。


もしも僕らの出会いを簡単に表すならば、自分が持っていた、世の中の人に対する評価とは、あまりに違う存在との遭遇。そんな風になるだろう。


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