第31話
祖母の小野池和子は、オリジナルのミヤという人間に作られた人形、それが作り上げた人形なのだという。彼女は弥勒という人間を現世に蘇らせるために作られ、何世代かに渡って技術を継承、似たような存在を複製していたようだ。
どうすれば人間と同じように成長するに人型が作れるのか、そもそも子供を作って技術を受け継がせればよくないか? などと色々な疑問もあったけれど、それがミヤという人間の課した制約なのだろう。愛した男を求めるために、他の男を受け入れたくはない。そんな動機があったとすれば、これも純粋な愛のカタチのひとつだった。
「ありがとうございました」
礼を言って寺院を跡にする頃には、夜の帳が街を覆っていた。傷跡のように伸びる一本の雲が、月光をわずかに陰らせている。
「まさか、私も騙されていたとはね」
「他人の記憶を弄る魔法もあるんじゃないか? 局所的な情報とか、特定の個人に対する情報を攪乱する魔法が」
「でも、人間の心までは弄れないのよ」
彼女は、憤慨したように鼻を鳴らした。
「みーくんの家に、資料とかはないんですか?」
「あったとしても、なぁ」
自分が作られた人形だと言う結末だけは変わらない。
魔法使いだろうがなんだろうが、その事実だけは変わらないのだ。海外出張をしているという両親も架空の存在、俺を学校へ通わせるために祖母が様々な書類に細工をした結果だろうと言われたし、俺には頼るべき相手がいなくなってしまった。
いや、家族がいなくなってしまった、というべきかな。
心が折れそうになって、佐内の頭を撫でる。
「あの、どうしたんですか」
「なんでもないよ。佐内はいつも小さいな、と思って」
「酷いことを言いますね。みーくんだって、独活の大木って言われたら凹む癖に」
「ごもっともだ」
三人で並んで、堤防を歩いていく。
野生の鬼灯がつけた実も、徐々に赤らみ始めていた。
俺の落ち込みを悟ったのか、佐内が静かに語り始めた。
「みーくんは確かに誰かの生まれ変わりかもしれません。誰かの肉体に、古い魂を植え付けただけの偽物かもしれません。だけど、それでも私のみーくんは、あなただけですよ」
「……だよなぁ」
祖母が自身の複製となるような何かを作れたとしても、他人は作れないだろうし。
そう信じるしかないんだから、この人生を楽しまなくちゃいけないよな。
「難しい話だな」
「そうね。これは相当に難しい話よ」
「うんうん、それもまた人生って奴だ」
「ねぇ、弥勒。ここでひとつ、小さな疑問があるんだけど」
先頭を歩いていた春日が立ち止まった。
見通しのいい場所だった。近くに民家はなく、広く田畑が広がっている。かつてこの地域を襲った洪水もその影を残していない。振り返った春日の頬には怪しい笑みが湛えられていた。
「どっちが本物のミヤなのか、って話なんだけど」
彼女が指を鳴らすと、草が舞いあがって人の形を取った。
呼応するように、両手を重ね合わせて祈りの姿勢を取った佐内の背後から、大きな泥の手が盛り上がる。聖女の祈りにも似た姿からは想像が出来ないほど、禍々しいものを作り上げるようだ。
「なんだ。やっぱりあなた、魔法が使えるんじゃない」
「使ったのはこれが初めてです。ただ、どうすれば魔法が使えるのかは古い絵本に描いてあって――魔法の理論は、貴方から説明してもらいましたから」
「あのなぁ。どうして喧嘩の雰囲気になっているんだ? 俺には理解できないんだけど」
「だって、違和感の正体が分かったんだもの。それを解決しないわけにはいかないじゃない」
うなだれて、今後の策を考える破目になった。
えぇと、まずは現状の整理から。
弥勒には好きな女性がいた。それはミヤという。俺の記憶には存在しないのだが、魂には彼女との記憶が深く刻まれているらしい。佐内を妹のように可愛がっていたのも、春日のことを煩い奴と思いつつ突き放せなかったのも、その辺りが影響しているのだろう。逆に言えば、ミヤの魂を持っている女性も俺に対して強烈な愛を感じるかもしれない、という話なのだ。
「弥勒は、どっちが本物だと思う?」
「みーくん、決めてください」
「…………」
四つの瞳が俺を見つめている。
素直な好意をぶつけてきて、髪から赤い粒子の迸る春日宮姫か。
ずっと昔からそばに居て、最も俺が信頼している佐内みゆか。
どちらが本物のミヤの生まれ変わりだったかなんて、そんなことを決められるはずがないじゃないか。俺だって、住職の話を聞いているうちに思い立ったことがある。ミヤという少女が魔法を使う根底にあったもの、それは否定だ。現実を否定して理想に追い縋ろうとしたその姿勢は、かつての自分に重なるものがある。
つまり、こういうことだろう?
俺が魔法を使うとき、その根底にあるもの。信条とは、寛容や工程などではなく。
拒否なのだ。
片手を前に突き出して、小さく声を出した。
「やめてくれ」
春日の後ろで渦巻いていた草の人形も、佐内の後ろで脈打っていた泥の腕も、音を立てて崩れていった。驚いたような顔で相手を見つめる彼女らは、俺が魔法を行使したことに気付いているのだろうか。自分の意志で魔法を解いた、なんてことを考えているのかもしれない。
精神に干渉する魔法なんて、俺自身使えるとは思っていなかったからな!
閑話休題。
目の前の問題を、さくっと解決することにしようか。
「大体、選ぶって何だよ。本物を選んだところで、偽物が消えて居なくなるわけでもないのにさ」
その時、神妙な顔をして俯いていた二人が顔を上げた。信じられないとでもいうように、顔には驚愕が浮かんでいる。
「もしかしてみーくん」
「私達の言っている、『本物を選べ』の意味が分かっていない感じ?」
「分かっているよ。ミヤの生まれ変わりがどっちなのかを選べってことだろ? 証拠や根拠がないのに選べるわけがないだろう」
自信満々に言い切って、あぁ、これは間違えたなと悟る。
春日に襟首をつかまれて、佐内には裾を引っ張られた。
「私は弥勒に好きって言ってもらいたいわけよ」
「私はみーくんに、その、私を選んでもらいたいのです」
「あー、なるほどね。全く分かってなかったわ」
誤魔化すように笑って見せたが、それが彼女達の怒りに火を灯したらしい。
「みゆちゃん」
「宮姫さん」
二人は魂で繋がった姉妹のようにアイコンタクトで通じ合って、同時に強烈な平手打ちをお見舞いしてきた。嘘みたいに宙へ吹き飛んで、田んぼのあぜ道に転がりながら考える。
失った記憶は存在しないと知ったその日に、二人の女性から詰め寄られる。今日はなんて厄日なんだろうか。でも同時に、それはとても幸せなことのようにも思えて、心の底から笑いがこみあげてくる。
なんだよ。頭を悩ませるほど、他人に嫌われているわけじゃなかったのか。
「それで弥勒、いつ結婚するの?」
「ダメです! みーくんが納得するまで、私はふたりの結婚を断固阻止します!」
「なによー、みゆちゃんも弥勒のこと好きなの?」
「そんなわけないじゃないですか」
「もー、照れちゃってー。それでも弥勒はあげないぞ」
「いらないです。でも、春日さんには絶対渡しませんから」
当人をほっぽって進む二人の会話を聞きながら、こみ上げる涙を抑えていた。記憶も家族も、最初からないなら悩む必要なんてなかったんじゃないか。自分が他人とは違うのも、出自の秘密を考えれば当然のことだった。苦しみもがいていたあの時期が、まるで嘘みたいだ。
だけど、あの時期は必要だった。苦しんだ分だけ誰かに優しくできたし、誰かが優しくしてくれたことに気付けたのだから。佐内との出会いも、押しかけてきた春日も、すべては幸福が何たるかを自慢げに語るための伏線に過ぎなかったのだ。
涙をこらえていたら、言い合っていた二人が心配そうな顔で覗き込んでくる。
「大丈夫ですか、みーくん」
「そんなに痛かったの? ごめんネ」
「気にしないでくれ。ちょっと、幸せを噛みしめていただけだから」
「なにそれ。変なの」
解決していない問題を、さも解決したかのように振る舞いながら。
俺達は、すっかり暗くなった空の下で笑い合うのであった。
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