第30話

 書斎を探せば、魔法陣のような落書きが施された書物を見つけることも出来るだろう。しかしそれが、この絵本に描かれている物語とどう関わってくると言うのだろうか。頭を悩ませていると、佐内が口を開いた。

「どうするんですか、春日さん」

「私に聞かれてもなぁ」

「魔法使いじゃないんですか。春日さんに頼れないなら、みーくんはどこにも頼れないし」

 続く佐内の言葉に、思わず立ち上がった。

「みーくんには、家族がいないんですから」

「ちょっと待てよ。俺には両親がいるぞ。血縁者じゃないし、ロクに顔を見せたこともないけど」

「えっ。あんた、和子さんと二人暮らしじゃなかったの?」

「だから俺は……」

 事実を説明しようとして、ふとあることに気が付いた。

 この会話と、その背景にある知識そのものが前提条件を違えていたとしたら。

 顔は前を向いているのに目に映るのは背後の景色みたいな、強烈な違和感を覚えた。

 佐内を指差して尋ねてみた。

「佐内はどう聞いているんだ」

「えっと。みーくんのご両親はみーくんが小さい頃に死別したって」

「春日。お前はどうだ」

「和子さんには子供がいなくて、ずっと一人暮らしだったって。それで、弥勒を養子にして……違うの?」

「なるほど、ありがとう。全員違うってわけだ」

「は? どういうことよ」

 俺が知っている両親の話をすると、彼女達は驚いたように目を見開いた。

 ただの記憶違いなら被る場面があってもおかしくないし、一応、この状況からも整合性を取る努力というものは出来る。俺の両親も養子なら祖母に子供がいなくても不思議ではないし、そのことを秘密にしていれば春日が知ることはない。その両親が海外出張へ行って長いこと帰ってきていないと言うのは、幼い俺に両親との死別を教えないための苦肉の策だったともとれる。真実を伝えるより先に、祖母が死んでしまったとすれば。

 祖母の葬式に両親が出席していなかった理由も、両親がいないというのなら納得も出来よう。あとは家族ごっこをしていた別の誰かが家に入り込んでいた可能性だが、それは限りなくゼロに近いだろう。祖母がそこまで他人からの愛に飢えていたとは思えないのだ。

 さて。

 ここまでがすべて、強引なこじつけに過ぎないとしたら。

 真実が深い闇の中で、誰かに掘り返されるのを待っているとしたらどうだろう。

 町内会の知り合いに、片っ端から電話をかけた。合計で一五件ほど、電話に出なかった家庭も含めれば二十件ほどに尋ねただろうか。

 結果として、すべての答えがバラバラだった。最後に、佐内の両親へも電話をかけた。曾祖父が出てくれたようだ。

「おう、弥勒か。みゆが世話になっているようだな」

「あぁ、その説はどうも。今日はちょっと、お聞きしたいことがありまして」

「なんだよ。もったいぶらずに言ってくれ。畑の野菜が欲しいのか?」

「いや、そういうことじゃなくて。……俺の親父についてなんだけど」

「お前の親父? はて、和子は誰とも結婚していないし、養子を貰ったのはお前一人だったはずだが……」

 その後は頭が真っ白になって、謝礼の言葉を絞り出すのでやっとだった。すぐ傍で話を聞いていた佐内も、顔色が悪くなっている。他の人ならともかく、祖母と深い交流のあった佐内家の人間ですら認識が違うのだ。

「俺は、一体、何者なんだ」

 頭を抱えてうずくまると、傍にいた春日が優しく背を撫ぜてくれた。

 一定のリズムで繰り返される手の動きに心が安らいで、佐内の声に顔を上げる。

「千刈住職なんですよね。あの絵本を描いたの」

「分からない。俺が知っている――佐内も知っていた絵本を描いていたのは、あの人のはずなんだ」

「だったら、直接聞くしかないでしょう。魔法使いさんなら、何かを教えてくれるかもしれませんし」

 魔法使いが、全員善人とは限らないだろう。

 春日だって、小さな悪事を働くのだ。

 だけど道を示すものを、他に見つけることも出来なくて。

「そうだな。そうするしか、ないもんな」

 善は急げ、思い立ったが吉日である。真夏の太陽の下を歩いていくことになったが、それも仕方のないことだ。暑い暑いと道中に三十回くらい文句を言われたが、夕暮れ時に向かったところで変わりはしないだろう。

 むしろ、日中なら確実に千刈住職を捉まえられるのだ。今が一番の好機である。

 自宅を出て街を南へと進む。川が近くなると堤防もはっきりと分かるようになり、桜の木々が植わった堤防沿いに道を進んでいく。林に囲まれた小さな寺院に入っていくと、気温が数度低くなったようだ。この寺院は住職が一人で管理をしていて、他の人の姿は見えない。本堂を覗き込むと、住職が正座をして茶を啜っていた。休み時間なのだろうか。

「あのー、ちょっといいですか」

「ん? お前は小野池の孫だな。後ろにいるのは春日宮姫と、佐内のとこの娘か。一体どういう取り合わせで……」

 はっと顔を上げた彼は、その場から飛び退った。忍者のように畳を捲り上げて、自身と自分たちとの間へと壁を作り上げた。

「貴様、恩を忘れて、研究を盗みに来たのか!」

「んなわけないでしょうが」

 面倒ごとを起こすまいとしたのか春日が指を鳴らしたが、それがかえって住職の気を悪くしたようだ。彼は叫ぶと、音を立てて手を打ち合わせる。彼の姿は、まるで観音様の様にも見えた。

「貴様らがその気なら、私も容赦はせんぞ!」

 住職が手を打ち合わせると、床の木々が音を立ててたわんだ。

 寺院全体が大きな生き物のように歪んで、俺達に襲い掛かって来る。

「やめろ! やめてくれ!」

「バカめ、盗人に掛ける恩義などないわ」

「誰も盗みに来たなんて言ってないでしょうが」

「だからやめろっての! 俺達はこんなことをするためにここに来たんじゃないんだ!」

 腕を突き出して、精一杯の嘆願をした。春日も千刈住職も動きを止め、声をあげた俺の方を見つめている。彼は、諦めたように座り込んだ。零れてしまったお茶に未練がましい瞳を向けてから、小さく舌打ちをする。

「よかろう、話だけは聞いてやる。目的はなんだ?」

 波打ちながら元の形に戻る床に、三人が横並びで座る。佐内だけは怯えたように、俺の服の裾を掴んでいた。春日がもう一度指を弾くと、じろりと、俺達を睨み付けてきた。

「絵本について、なんだけど」

「絵本だァ?」

「これだよ。この絵本は、住職が中心になって作ったんだろ?」

 この地方に昔から伝わる絵本によく似た、しかし全く違う内容のものを手渡した。彼は中身を精査するように眺めて、ひとつ、大きく頷いた。

「俺が絵を描いた奴だが、話をまとめたのは和子だぞ」

「内容は、あなたが描いたときのままですか?」

「ん、何かを調べているのか。おい、順を追って丁寧に話さんか」

 地域の小学生達に読み聞かせていた内容とは違うこの絵本に、弥勒と言う名前の少年、そしてミヤという名前の少女が現れたことを告げた。その他にもいくつか、興味深い類似点を挙げていく。

 作中の少年がみなしごだったこと、ミヤが佐内と春日、それぞれに共通する特徴を持っていること。祖母と同じ魂に関する研究をミヤがしていたということ。俺達の話を聞いて、住職は小さく呻いた。

「そうか。主人公が弥勒と言う名前だったのはすっかり忘れていたな」

「何か知っているんですか」

「うーむ、だが、お前に教えるとなるとなぁ」

 彼は腕を組んだまま煮え切らない態度を示した。

 だけど、この神社に来た理由は他にもあるんだ。

「この寺にはアレが奉納されているでしょう」

「あれって、もしかしてお地蔵様ですか」

「その通りだ、佐内。……千刈住職、お願いします。貴方達が伝えてくれた昔話が、どこまで本当なのかを知りたいんです」

 目を閉じたまま何も言わなかった住職は、何かを悟ったように溜息を吐いた。ふらふらと部屋を出て行き、帰ってきたときには苔むした石を抱えていた。

「俺の魔法は自然を操る魔法だ。光の研究は難しくてな、そこのお嬢さんの親父に伝えて以来やっていないが、代わりに植物を意のままに操る魔法を」

「御託はいいから早くしてよ」

「えぇい、話を聞かない奴は結婚出来んぞ」

 春日に文句を言いつつ、住職が手を合わせた。地面から伸びる雑草が苔を掻き分けて地蔵を覆っていく。二分ほど、植物たちが異常な速度で成長するのを眺めていただろうか。

「よし、完璧に掃除できたぞ」

 彼が鬱蒼としたバスケットボール大の植物に手を突っ込むと、中から人間の赤子サイズのお地蔵様が現れた。確かに苔が綺麗に取り払われ、地蔵本来のゴマ豆腐みたいな色合いになっている。魔法って、やっぱり便利なんだな。

 地蔵を眺めていた春日が、小さく呻いた。

「……嘘でしょ」

「あったか」

「ありましたね。ほら、ここです」

 佐内が指差した先を見てみれば、そこには目を追いたくなる文字列が刻まれていた。

『ミロク』

 深い溜息を吐いて倒れ込んだ俺を支えたのは誰だったか、咄嗟には分からない。

 ただ、闇へと沈んでいくような感覚だけが魂を包み込んでいた。

 我に返った俺に膝枕をしてくれていたのは春日で、手を握ってくれていたのは佐内だった。体を起こした俺に住職が語ったのは、とても簡単で、小学生にも分かるような話だった。

 いやいや、流石にそこまで簡単な話じゃないんだけどさ。

 俺に記憶がないのは、魂を定着した人形だから、なんだとさ。およそ中学生に相応しい肉体と、十二歳で死んだ弥勒の魂は親和性が非常に高かったらしい。魂を抱いた身体は人間と同じように成長し、そして死んでいく運命にあるこの身体を、俺はどうやって他の人間と違うと証明すればいいのだろうか。機械たちに作られた人間は自殺することでその証明をしたそうだが、生憎と俺には死ぬ理由がない。記憶の欠けた何者かであるという以外は、地域で私塾を開いている気さくなお兄さんに過ぎないのだ。

 この肉体も、本物の人間と寸分違うところがない。

 人形だったと言われても、何も、答えられないのだ。

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