第26話

時刻は午後九時を回ったところだ。こんな遅くに晩御飯を食べると太ってしまうのではないかと心配になるが、まぁ、食べないよりは健康だろうから気にしないことにした。晩御飯の準備をしようと立ち上がると二人から押さえられ、彼女らの後に続いて台所へ入ろうとしたら乙女の聖域だからと追い出されてしまった。

 言葉をかわさなくても相手が何を考えているのか分かるような、見事な連係プレーだった。佐内は春日に対して微かに憧れているような描写を見せることがあったし、春日も佐内に対して妹以上に可愛がっている節がある。女性同士というものは、いつの間にか仲良くなっているものなんだろうか。

 いいなぁ。俺も女に生まれたら……なんてことを考えて、それは違うだろと冷静にツッコミを入れてみる。俺は多分、誰に生まれ変わったとしても友人が少ないだろうよ。他人に合わせるのが苦手だからな。

 晩御飯が出来るまでの間にすることもなかったので、一人で件の部屋へ向かうことにした。幽霊なんていないだろうと思いつつも、怖くなってそっと書斎の扉を開ける。埃だらけの部屋には沢山の書籍が散乱していて、絵本の類も棚からはみ出ている。床にも、一冊の本が落ちていた。

「ひどい埃だなぁ」

 電気をつけると白っぽい部屋が眼前に広がる。意外と広い部屋だったことを、それでようやく思い出した。ここにある本を集めるだけでも、何百万と掛かっているだろう。文庫本は元よりハードカバーも貯蔵されていて、もしかするとこの部屋だけ沈んでいるかもしれない。二階になくてよかった、と床が抜けないことにほっと溜息を吐いた。

 窓を開けようかと思案してやっぱり止めることにした。埃が舞いあがって呼吸が出来なくなりそうだ。整理しようにも量が多いし、片付けるたび集中力が切れて「これは何の本?」と散らかしてしまうのだ。だから、この部屋が散らかっているのはネズミや泥棒のせいでも、ましてやポルターガイストや祖母の幽霊でもない。

 俺のせいなんだよ。

 ふと目についた絵本を持って台所へ向かう。焦げたような臭いに慌てて駆けていくと、フライパンを持った佐内が慌てていた。味噌風味の野菜炒めを作っていたらしく、これ以上焦げる前にと春日が慌てて大皿を取りに行った。

「落ち着け。まずは火を止めて……」

「はい、止めました」

「落とすといけないから、フライパンはコンロの上に置いて待機してろよ。春日、その皿はこっちに貸してくれ」

「りょーかい!」

 二人に指示を出しながら、晩御飯が野菜炒めだけなのだろうかと首を傾げてみる。実際その通りみたいだったから、簡単な卵スープを作ることにした。もやしとキャベツ、冷蔵庫に半分ほど残っていたベーコンを使った簡素なものだ。コンソメと醤油で味付けをして満足すると、二人が俺の背後に立っていたので驚いた。

「な、なんだよ」

「いやー、弥勒って料理の手際いいよね」

「そうですよ? みーくん、昔から料理だけは上手でしたもんね」

「……男料理と、お菓子作りだけな。手の込んだ格好いい料理とかは難しいし、あんまりやろうとしないけど」

 料理の得意な祖母に教えて貰ったのだ、下手なことを言って彼女の評判を貶めるわけにも行かないだろう。言い訳を重ねながら、自分が照れていることを知った。仕方ないよな、褒めてくれる人が少なかったんだから。

 恥ずかしがり屋も、時として認められるべきなのだ。

 春日と佐内の作った野菜炒めは、焦げを無視すれば普通に美味しいと言えるものだった。黒い炭ばかりを生産していた頃と比べれば佐内は目を見張るほど成長しているし、春日に至っては日進月歩の速度で進化している。何かが得意になるのはいいことで、それが仕事なんかじゃなく、日常生活で活かせるものならなおのこと喜ばしい。

「よっと。春日、お前はアルコールを摂取しても大丈夫か」

「変な聞き方しないで。もう成人済よ」

「一口飲んだら倒れるとか、飲んだら暴れ始めるとか、そういうことはないよな」

「とーぜん。大丈夫に決まっているじゃない」

 本当かなぁ、一度しか春日が飲んでいるところを見たことがないから不安なんだけど。

 折角気分が良くなってきたのだから久しぶりに酒を飲もうと、冷蔵庫の中で半月以上眠っていたビールを取り出した。春日にスキを見せないようにするため最近は控えていたが、元から酒好きな人種なのだ。成人した直後は何度か酔いつぶれて酷い目にもあったし、そこで得た教訓をもってしても飲み過ぎる癖がある。今回はやや控えめにしておこうと決意を固めてからプルタブに手を掛けた。

 佐内は未成年だから、一緒に飲めないことだけが残念だ。

「しかし、二人がここまで料理上手になるとは」

「私のセンス、すごいでしょ? 勉強熱心だから、一回聞いたことは忘れないし」

「はいはい。佐内も、やれば出来るんだな」

 半分焦げたキャベツを齧りながら鉄臭いビールを煽る。ほろ苦い甘みが舌の上に広がって、なかなか食が進む。何の気もなしに褒められたのが気恥ずかしかったのか、佐内は困ったように頬を掻いた。

「たいしたことはしていませんし、ほとんど春日さんがやってくれましたから」

「謙遜しなくてもいいのに。で、私と弥勒の結婚を認めてくれる気になった?」

「それはダメです。当人同士が合意していませんから」

「がくっ」

 春日が首をうなだれて、うなじが見える。その白さに目が眩みそうになって、慌てて酒で、湧き上がってきた感情ごと流してしまった。ご飯をもくもくと食べ続ける佐内を眺めながら、少女が成長するまでどのくらいかを考える。あまり大人になって欲しくないと思う自分もいて、心を覗かれたら大変だろうなと肩を竦めた。

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