本物と偽物と、オレ
第25話
お盆まであと一週間に迫っている。
が、今日は塾が休みだ。明日一日を乗り越えれば、生徒達には長めの休みが与えられる。無理やり勉強させられそうになったときは「勉強したくても塾が開いていないから」と言うように、親御さんへの言い訳も伝えておいた。その時期はレクチャー教室としての貸し出しも一時停止しているから、俺にとっても羽を伸ばせる重要な時期だ。お盆の直後には町内会によるバーべキュー大会が控えているから、あんまりのんびりしていられないのも事実なんだけどな。
閑話休題。
それで今は、という話だ。
今日は春日に引っ張り出されるように家を出て、一日中遊びまわっていた。いわゆるデートという奴である。近所の人にも秘密で、幽霊が出る屋敷に自主的に閉じ込められてくれていたのだ。春日の我儘に付き合ってやると言うのが、最低限度の責任というものだろう。
朝早くから出かけたのだが、宿題がたんまりと残っているらしい佐内が、春日に言いくるめられるようにして留守番することになってしまったのが運の尽きだった。彼女さえいればもう少しばかり春日の我儘な遊び方を抑制できたかもしれないのだが、すっかり日が暮れてから帰ってきたものだから、家に入るなり腕を組んだ佐内にお出迎えされた。怯えて動けなかった俺とは対照的に、可愛いお人形を愛でるみたいに春日は佐内の胸に飛び込んでいったのが面白かった。すっかり毒気を抜かれた佐内に睨まれて、茨の冠を与えられた聖職者のような気分を味わったのは内緒にしておこう。
ちなみに佐内は、コンビニまでご飯を買いに行ったらしい。料理が出来ないと手間がかかるんだなぁ、と妙なところに感心していたら怒られてしまった。春日ほど料理技術が急速に成長しないのを気にしているようだが、春日の方が異常なんだぞ。元からセンスがあったのに、まるで練習をしたことがない奴と上達の具合を比較しても仕方ないだろうに。
今の佐内はもぐもぐと口を動かしている。小動物みたいな可愛さに、俺達は胸中のトキメキを感じていた。
「どう、美味しい?」
「はい。こんなに美味しいのは初めて食べました」
「でしょー。なんか、新しくできた店を見つけたんだよねー」
「そうなんですか。また今度、場所を教えてもらっても……?」
帰り際に購入したお土産のシュークリームを食べて、佐内も少し機嫌を直してくれたようだ。春日が調子に乗っていることを除けば、まずまずの成果である。
「いいよ! どうせ弥勒の奢りだから、その時も買ってあげる!」
「勝手に人を巻き込むなよ、春日」
聞こえる文句はなかったことにして、全身の筋肉をほぐすためにストレッチをする。一日、春日に拘束されていたのだ。腕や足を紐で縛られていたわけではないが、押し切られる形で駅近くの複合型商業施設へと遊びに行っただけでも一苦労だ。何って、心労がな。
彼女が見たがっていた映画は十二時からの公演だったから、予約だけを済ませてゲームセンターで時間を潰した。思いの他春日がクレーンゲームを得意としていた、というか魔法を使ってインチキをしようとしていたので止めたのも印象深い。普段から店に不利益が出ない程度の範囲でやっているらしいが、なんだかなぁ。持つ者と持たざる者の差というか、流石にそれは卑怯だろう。
ハンバーガーショップへ行って早めの昼食を済ませてから映画を見に行ったが、かなり面白い内容の映画だった。地元、未桑町を舞台にした耳の不自由な少女の話だ。乗り越えるべき障害と闘う物語だと思っていたし、原作の漫画を読んでいるときはそう感じていた。だけど映画を視聴しているうちに音を立てて世界が塗り替えられていく。
その映画は、欠点とどうやって共存していくかという物語として読むことが出来た。親しい人間を作れない主人公、執念深く怨み他者を嫌悪する知り合いの男、八方美人ゆえに嫌われてしまった女性、臆病者だから大切なものを守れない奴、自己表現をしないせいで偶像として扱われる女友達。
丹精込めて組み上げたパズルが、すさまじい音を立てて壊れていく感覚が恐ろしい。
何より、主人公に対して唯一好意を抱いていたヒロインが最後まで報われないのが怖かった。
「夢を見ていたんだ。私のことを、アンタが好きになってくれる夢を」
主人公と一緒に朝日を眺めながら、ヒロインが告げる。
そして川辺から、唐突に彼女が飛び降りて。
その後のシーンは覚えていない。強烈な刺激を与えられて、脳機能がダウンしてしまったみたいだった。映画も終わりエンドロールが流れ、プロローグとして一分足らずの映像が公開された後で劇場に灯りがともされた。内容が頭に入ってこないままに、記憶を反芻する。
水辺と、女性。
俺はそこに、何か重大なことを忘れている気がしてならなかった。
春日の言うままに遊び、忘れようとした疑問も消えることなく、家に帰って来てからもその謎を解き明かすために考え続けている。考えに耽るあまり返事を疎かにしていたらしく、ついに佐内から怒られた。
「もう、みーくんのバカ。春日さん、みーくんに何かしたんですか」
「んー。楽しすぎて惚けちゃったとか?」
「そんなわけありません。大体、デートというのも春日さんの方便で――」
佐内と春日が言い合っている。みんな笑顔にー、というのは簡単なんだけど、実行しようとなると難しいよな。そういえば、と呟いた誰かさんに向き直る。何かを思い出したらしい春日が立ち上がって、台所から走り去っていった。
佐内と顔を見合わせたら話を聞かずにぼうっとしていたことを責められてしまったが、二分もしないうちに春日が戻ってきたおかげでそのお説教も短くて済んだ。彼女の手には数珠が握られている。
「なんだよそれ」
「和子さん! 幽霊出たこと、忘れていたから」
「忘れていたと言うが、あれはお前の見間違いじゃないのか」
「そんなわけないじゃない」
心外だと言うように、彼女が顔の前で指を振った。指を弾くと、数珠が俺たち二人の方へも飛んでくる。魔よけのつもりだろうか。これ、百円均一で買った奴なんだけど。
「取り敢えず、今週中に作戦敢行するからね!」
「わかったよ」
溜息を吐いたら、晩御飯も食べずに遊んでいたことを思い出したのか腹の虫が鳴き始めた。
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