第24話
むぅ。
私が子ども扱いされているのは、私よりも頭が良くて生徒たちの人気が高い女性が登場してしまったからに他ならない。一体どこから湧いて出たのかと、その美人さんを睨み付ける。彼女は涼しい顔をして、子供達に惚気話を振っていた。
「あーあ。弥勒先生とデートしたいなぁ」
「みや先生はどこ行きたいの?」
「私はどこでもいいの。手を繋いで仲良く散歩、でもいいし」
「そうなんだ!」
「デートならねー、うちのパパとママがねー」
春日さんは、塾の女生徒とかなり仲良くなっていた。
男子生徒からも意識されている節がある。年上の女性、という点でお手本みたいな外見をした人だからだろう。私だって二十歳くらいになればあのくらいばいんばいんで、歩くたびに揺れるようになるんだぞ! とややなだらかな自分の胸囲を見つめつつ思う。男というものは単純だから、外見での判断が主になるのだろうか? みーくんもあの色気にやられたのかな、なんて軟弱な。
歯ぎしりしそうになるのをぐっとこらえる。
私だって、大人の女なんだから。
そっと視線を逸らすと、みーくんが見えた。彼はいつでも、狼みたいな人だ。いつも何かを考えていて怖い顔つきをしているけれど、内心では誰かに愛され好かれることを望んでいる。一人でも過ごしていけそうな風を装ってはいるけれど、沢山の人が笑っている場所にいることを何よりも幸せだと考えているのだ。
いじらしい、とでも言えばいいのかな。
みーくんみたいな人は社会では生き辛いだろうと、お母さんも言っていた。私もそう思う。会社勤めなんかをせずに、こうして地域の私塾を開いているのが性にあっているのだろう。私が小説家になりたいという夢を抱くのと同じで、彼もこの地域を良くしたいと言う夢を描いている。荒唐無稽さで言えば、どちらも似たようなものだし。
生徒達が使った砂時計が元に戻っていることを確認して待合室に運び込んだり、母親の迎えや友人兄弟を待っている子供に紙芝居の読み聞かせをせがまれたりと、雑多なことをしているうちに時間は過ぎていく。
夕方六時を過ぎた頃、最後の生徒が今日の分の勉強を終えて帰って行った。今日はこれ以上頑張っていても生徒が来ないだろう。朝九時半から開塾していたから、小学生達はみんな早かったのだ。
お昼から遊びたい子もいるだろうから、というみーくんなりの配慮が彼らに幸せを与えている。塾で友達と遊ぶより、家や公園で遊ぶ方が楽しいものだ。私が言ったその言葉を教育者の端くれとして覚えてくれていたらしい。どうせなら、私が高校生になる前にしてくれればよかったのにな、と少しだけ文句を垂れてみる。
だけど、過去は過去だ。振り返る必要はあっても、必要以上に捕らわれる必要などないのであった。
塾の簡単な清掃を終えてから家に戻り勉強を教えて貰うことになった。春日さんは晩御飯の買い出しに行ったらしくて、久しぶりに二人きりになる。和室で、クロワッサンみたいに綺麗な木目の入った机に向かいながら、みーくんの隣に座っていた。
「違うぞ。ここの式は――」
肩を突かれて、顔を横に向ける。すぐ傍にみーくんの顔があって、思わずぽーっとする。
距離にしておよそ十五センチだ。この距離に春日さんが詰め寄って来たら露骨な反応を見せるくせに、私が相手だと何とも思わらないらしい。子供っぽいから? それとも、長く顔を合わせているうちに平気になってしまったとか?
考えるほどに、私に不利なことばかりを妄想してしまう。
「むう。拗ねてもいいですかね」
「えっ、教え方がそんなに下手だったか」
すまん、と頭を下げるみーくんを睨み、そのまま勉強を続けた。
どうして私が抱っこして欲しい時にはせずに、してほしくないときばかりに突撃してくるのだろう。みーくんは空気が読めないのか、ズレているんじゃないだろうか。中学の時だって何度もこの家に泊まりこんだけれど、添い寝をしてくれることも少なかった。
いつだったか、みーくんが私に言ったことがある。あれは彼が高校を中退した直後だったろうか。
『俺は鏡だ。好意も敵意も、抱かれたものをそのまま跳ね返す鏡だった』
受けた痛みも屈辱も、全てを他人に跳ね返していた。それが彼の青春だった。その為に貴重な青春時代を沢山の敵と共に過ごすことになり、結局は高校を中退することになったらしい。現在の柔軟な姿勢からは考えられないが、彼にもそんな時期があったのだろう。幼い頃の私に残っている彼の姿は、和子お婆ちゃんと仲良く笑っているところとか、勉強のできる私を褒めてくれるところとか、そういうのばっかりなんだけど。
鏡だったらもっと私を――と考えて得心する。受け身の姿勢でみーくんの好意を待ち続けているのが私だ。その鏡だというのなら、彼が私に好意を示してくれないのも当然と言える。過剰な愛情表現に一家言ありそうな春日さんのことが、なんだか羨ましくなってきた。
みーくんが怒っているところなんて、滅多に見ないもんなぁ。
「その式は……なんだよ」
「なんでもないです。なんでもないんですよ」
「いや、だったら頬をつまむ必要もなくないか」
「いいじゃないですか。私だって他人の頬をつまみたい日があります」
困惑したような表情を見せた彼は、私が怒っていると思ったようだ。慰めるために頭を撫でてくれた。そのまま甘えようとしたけれど、彼に背中を押されて机と向かい合う羽目になる。むう。いつもこうだ。甘えたいときは優しく受け止めてあげると口では説明してくれるのに、いざその場面になると尻込みして逃げようとすることの方が多い。
やっぱりみーくんは、卑怯者だ。
「疲れました」
そういって私が横になると、彼も集中力が切れたらしくて畳の上に寝そべった。一ヵ月もある夏休みをだらだらと寝過ごしていいのか、と真面目な私が批判する。だけどそれ以上に、もっとみーくんとの仲を深めたいという私の声の方が大きいのだ。
残り三問。五分もあれば終わるだろう。だけど面倒臭くなって、私はそのまま起き上がらなかった。みーくんの腕枕に甘えるように、そっと彼の横へ位置を変える。
互いに言葉も発さず、天井を眺めている。そんな時間が十分ぐらい経過しただろうか。
「ただいまー。抽選に当たって、オマケ貰って来たよー」
買い物へ行っていた春日さんの声がした。そして、足音高らかに近づいてくる。どくどくと心臓が波打ち、頭が混乱した。どうしよう。この状況を怪しまれたりしないかな。みーくんの腕から飛び出したほうがいいのかな。
だけど、私が思想を行動にアウトプットするよりも春日さんが部屋にやって来る方が早かった。勢いよく和室に入ってきた彼女は、両腕に抱えた戦果品を見せびらかしてくる。
「今日はネギマ! バーベキューでも使えるから、その練習!」
なるほど確かに、ビニール袋からはネギがはみ出している。私達が添い寝しているのを見てあっ、という顔になった。彼女はそのまま袋を放り出して、みーくんの背後へと陣取った。綺麗な女性に身体を押し付けられて緊張したのか、思わぬ形でみーくんにギュッとして貰えたのは喜んでもいいのだろうか。
「お前、そんなにくっつくなよ」
「いいじゃない。減るもんじゃないし」
「五月蠅い。寿命が吸い取られていそうだから嫌なんだ」
「なんで吸い取られるのよー。サキュバス的な?」
私そっちのけで楽しげに話し始めた二人が羨ましくて、思わずみーくんの親指に噛みついた。驚いたように手を引こうとした彼だったけれど、春日さんと口論しながら私にも構うのは難しいと判断したみたいだ。空いているもう一方の、男性特有の大きな手で私のお腹を撫でて来る。なんだかくすぐったいけど、妙に落ち着いた。
ガジガジと彼を甘噛みしながら、赤ん坊みたいだな、と自分を振り返る。
春日さんにバレないことを願いながら、みーくんの指を吸う私であった。
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