第23話

 年端もいかない少女がやってきた。

 私よりも年上の二人がそう考えているだろうことは、容易に想像できる。二人が私のことを子ども扱いしているのも分かっている。だけど私だって、年齢を鑑みれば大人の女性と大して違わないのだ。十六歳も四捨五入すれば二十歳だし、親の許可をこじつけられれば結婚だって可能だ。

 佐内みゆは、子供じゃない。それを、そろそろ認めてもらいたいものだ。

 例えば、そう。

 塾で小学生達に勉強を教えるのは大人達の仕事にして、高校生は親御さんを待つ子供の子守りをしていてくれ、なんてことは言わないで欲しい。

 小学生の子に紙芝居を読んでいたら、教室の方から楽しげな笑い声が響いてきた。春日宮姫という、みーくんの家に押しかけてきて妻になろうとしているらしい人だ。能天気な声にむっとして、彼女のいる方向を睨み付ける。

 みーくんとの付き合いは私の方が長い。ちょっと一緒に暮らしたからと言って、油断しないでもらいたい。そういう意味を込めて壁を睨み付けていたら、小学生の子から不思議な、困惑したような視線が飛んできた。

「お姉ちゃん、今日はお腹痛いの?」

「いえ、別に」

「本当? 今日はなんだか、むつかしい顔してるよ」

「そうですか? 気を付けます」

 一年生の女の子に指摘されて、頬をむにむにと揉みほぐす。笑顔でいるよりも無表情でいる方が多い私だけど、小学生達を怖がらせてはいけない。身長的を小学校高学年の男子生徒に追い抜かれて不満に思うこともあるけれど、決してその不快感を外に出してはいけないのだ。

 それが小野池弥勒と佐内みゆの、雇用主と労働者としての約束だった。

 昨日荷物を運び入れて、泊まることにして。

 一晩考えた結果、やっぱり春日という女性のことを根本から好きになることは出来なかった。他人として嫌うと言うよりは、鏡に映った自分を眺めているような気分になるのだ。私は彼女ほど身体の発達した女性ではないし、性格もまるで違う。だけど、何かしら似通っている部分があるのだろう。

 本能とでも呼ぶべき部分が彼女のことを恐れている。

 そして、忌避に近い憧れを彼女に抱いているようだった。

 考え事をしながら紙芝居を捲る。みーくんに比べておざなりな私の読み聞かせを、小学生の女の子は瞳を輝かせながら聞いてくれた。そのことに感謝と、僅かばかりの罪悪感を覚える。一通り読み終えて、彼女が新しい紙芝居をせがみ始めたところで教室の引き戸が開いた。一人の少年が疲れたような顔をして待合室に入って来る。

「やっと終わったよ。弥勒先生、説明が長いんだもん」

「お兄ちゃん遅いよー。もー」

 私が本を読み聞かせていた少女のお兄さんらしい。意外と背が高くて、高校一年生の私と変わらない。というか、来年になったら確実に抜かれているだろう。ペコリと頭を下げた彼に妹を引き渡して、玄関まで見送りに向かう。入れ違いに入ってきた少年にも挨拶をして、彼が進む後ろについて待合室まで戻って行く。

 待合室に人がいなくなったので教室の方へ向かってみると、みーくんが時間のうまい使い方というものをレクチャーしているところだった。

「いいか、夏休みというものはだな」

「せんせー、もう砂時計回していい?」

「うわっ、それは卑怯だろ。取り敢えずこれを持って行けよ。それで……」

 みーくんがプリントを配っているのは、ほとんどの小学校で夏休みが始まっているからだ。長くて貴重な夏休みの過ごし方を、学校で配られている類似したプリントの数段は人生に役立てようと書いたものを配布している。そこに記載されていることを要約すると、大体次のような三つの事例に分けることが出来る。

 ひとつ、子供はよく遊ぶこと。

 ひとつ、勉強は出来る範囲でやっておくこと。

 ひとつ、家族は大切にすること。

 たった三つの条文だが、これ以上に分かりやすいものもないだろう。大人になれば責任や、許容の少ない社会が彼らを苦しめる。そのときに子供時代を振り返って、少しでも楽しい思い出を増やしておこうという試みだ。実際に彼らが社会に出たときにそれを活かすかどうかは別としても、使えるものを懐に忍ばせておくのは悪くない。

 準備はし過ぎることがないのだ、とみーくんのお婆ちゃんも言っていたような気がする。小さい頃の話だから、あんまり覚えてはいないのだけど。

 あとは、長期休み恒例のレクリエーションについての広告みたいなものも手渡している。今年の夏休みも例年通り、バーベキュー大会を近所の公園で執り行うことになったようだ。これは塾ではなく地域の自治体による活動だが、実際は地域の老人達が彼に仕事のほとんどを任せているので、実質的に塾の催しものみたいなところがある。

 彼が行動を計画し、そのお手伝いを地域の人に頼む。出来ないことはやらなくていいし、危ないことは事前に注意したり排除したりする。地域の人に呼び掛けてみても、都心部へ出て行きたがっている若者や仕事盛りの大人達は参加してくれない。だからこうして、塾の子供たちを通して参加者を増やそうと努力をしているのだ。誰もが参加しやすいように約束や取り決めを作り、公園の使用許可まで取って来る。

 楽しくない催し物に人は参加しない。だけど、誰かのために細心の注意を払って企画した催し物を楽しめない人を喜ばせる必要もない。和子お婆ちゃんも、そういうことを言っていた。

 基本的には塾の子供とその親プラス数人だが、子供が沢山の友達を連れてくる場合もあるので、多い時は参加人数が四十人近くになることもあった。これだけの人が集まってくれるのはこの地方ではとても珍しい自治体らしくて、みーくんがどうやって人を集めているのかを隣の自治体のおじさんが尋ねてきたこともあったらしい。

 だけど、彼がやっていることは誰でも思いつくような単純なことだ。誰かが面倒臭いといって拒否したものを受け止め、目標の達成に全力を尽くす。その姿勢を知っていて、彼の人格も知っているから地域の子供たちは彼を慕っているのだと思う。

 彼が高校を中退してしまったことが、未だに信じられないくらいだ。……年上や同級生とは相性が悪いのかもしれないな。

 みーくんには両親がいない。いたのは血の繋がらない、風変りな和子お婆ちゃんだけだ。それも、彼が馴染めなかった理由のひとつかもしれない。

「――ねぇねぇ、この日にはバーベキューがあるんだ。親御さんの許可がとれたら来てくれないか。若干の参加費は必要だけど、希望を出してくれればある程度の好きな食べ物も用意しておくから」

 入口から教室を眺めている間に、また新しく生徒が来た。参加費や開始時間、親向けの注意事項等が書かれた紙を子供に手渡す。そして、彼らよりも数十歳上の人間に向けて書かれた言葉を彼らにも理解できるようにかみ砕いて説明する。みーくんがいつまで経っても子供達から大人扱いされず、しかし地域に住むどの大人よりも好かれているのは彼がこうして柔軟に対応してくれるからだろう。

 何より、一個の人間として扱ってくれる。子供だからと適当な対応はせず、自分たちに見合った行動を、骨身を砕いて考えてくれている。それが嬉しいのだ。小学生の頃、私もそう感じていた。

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